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第42話

 南からの連絡を無視して数日。 顔も合わせないように気をつけている雛森は出社時間を大幅に早め、誰よりも遅く帰るようにしている。勿論、行きつけの店にも出向いていない。  その生活はかなり辛いものはあるが、精神的には落ち着いている。 バイヤールームに南が来たらどうしようかとも思ったが、それは雛森の杞憂に終わった。 「南さん、最近来ないねぇ」  部屋のどこかからかそんな声が聞こえる。あれだけ雛森に迫ってきた南が、ぱったりと姿を見せなくなったからだ。 「最近忙しいからじゃないですか。それか、あいつが飽きられたのかも」  聞こえた声に返事をしたのは大沢だった。そうなれば、大沢の言った「あいつ」とは雛森のことで間違いない。 (聞こえてんだよバーカ)  春夏に向けての商品をピックアップしつつ、雛森は心の中で呟く。 纏めた資料をアヤに提出しなければならなく、その作業を進めながら雛森は大沢と同僚の誰かの会話をBGMのように聞いていた。 「部長になっちゃったら、南さんもっとモテるよね。もう無理かなぁ」 「南さん狙いだったんですか?」 「ううん、本当は神上さんだったんだけど絶対に無理じゃん? 南さんなら優しいから可能性あるかもって思ってた」  冗談まじりに出た言葉に、雛森は嘲笑した。  見かけと噂に騙され、南を支持するなんてバカだと雛森は思う。どちらも優しくはないが、まだアヤの方がマシだ、そう言ってやりたいぐらいだった。 「それわかります。神上さんはなんか怖いっすよね」  答えた大沢が、自分を見ているのを雛森は雰囲気で察した。きっと、これから大沢は自分のことを話すのだろう、それもわかった。 「まあ神上さんに捨てられて南さんに泣きつく気持ちもわからないでもないけど……でもそれって情けなくないですか?」 「ちょっと! 大沢君言い過ぎ」 「だって迷惑してんすもん。噂が本当なのかって聞かれるこっちの身にもなってほしいっすよ」  諫めた相手ではなく、あきらかに雛森に対して言った大沢が立ち上がる。そして雛森のデスクまで歩いて来て、手をつき覗きこんだ。 「次は誰にいくんだよ? 神上さんと南さん、その二人が駄目なら……社長とか? じゃないとレベル的に落ちるもんなぁ」 「……」 雛森は何も答えず目だけを動かした。 「無視? いつもみたいに言い返してこいよ。それともショック過ぎて喋れなくなった?」  よくもまあ、そんな検討違いな言葉がほいほい出てくるものだ。何も知らないくせに噂話を鵜呑みにして、優越感に浸る男を雛森は見上げる。 「邪魔」  一言だけ返した雛森に、大沢の口元が引き攣る。作り終えた資料に間違いはないか確認した雛森は、それをアヤへと送信すると席を立った。 「やんのか?」  雛森が立ったことにより、目線が同じになった大沢が挑戦的な目を向ける。それを一瞥した雛森は、唇を歪めて言った。 「俺がお前を相手に? それこそレベル落としすぎだろ」 「なんだと⁈」 「くだらない話してるなら掃除でもすれば? お前、この仕事向いてないよ」  椅子の背凭れにかけてあったジャケットを掴むと、雛森は扉へと向かう。 「一服してきまーす」  だらけた声を出し、雛森は部屋を出る。 止める大沢の言葉を背中に受けながら喫煙所へと向かう廊下を歩いていると、そこには最も会いたくない南の姿があった。

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