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第45話

「千葉って誰?」  南から出たのは、初めて家に泊まった時に聞かれたことと同じ内容だった。 それを聞かれたくないが為に、一日一つ言うことを聞くと了承したのに。それなのに南は、見返りとして聞き出そうとする。 雛森が一番触れてほしくない場所へと土足で上がりこもうとする。 「あんたには関係ない」  出た言葉の冷ややかさに、雛森は自分自身で驚いた。絶対に踏み込ませまいと虚勢を張り、必死に南を追い出そうとする。 「関係なくはないでしょ。自分から言いたくないのなら、僕の持てる権限と伝手を全部使って調べあげようか? 英良ちゃんの学校、前のバイト先に交遊関係、時間はかかるけどどんな手を使ってでも見つけ出すよ」  南が本気になれば、きっとすぐにたどり着くだろう。どれだけ雛森が隠そうとも『あの人』はその業界では有名だし、雛森との接点だって簡単に見つけてしまえる。  あの時、南と『あの人』を見間違ったのが始まりだった。理由を突き詰めていったとしても、誰の所為でもなく自分のミスが招いた結果だ。  悩む雛森の背中を押したのは南の一言。 「今さら英良ちゃんの何を聞いたところで嫌いなんかなったりしないよ。僕、自分以外はどうでもいい男だって知ってるでしょう?」  緩く笑った南に、雛森は「同じだ」と思った。 以前、南から味覚がないと聞かされた時に「どうでもいい」と答えた自分と目の前の南が被る。 (ただの野次馬根性……どうせ俺の弱みを握りたいだけ、か)  らしくなく南に何かを求めていたのだろうか、雛森は自分自身に問いかける。 仕事で疲れ、噂話に辟易していたところを優しくされて、心を乱されかけたのかもしれない。  冷淡な笑みを浮かべた雛森は、事もなげに言い捨てる。 「あの人、千葉さんは俺が初めて付き合った男で俺に全部を教えてくれた人」  通っていた専門学校に外部から臨時講師として来た千葉と知り合い、雛森はたくさんのことを知った。 胸を焦がすような熱い気持ちも、思いが通じ合った時の喜びも、身体を重ねる温かさも。そしてそれが全て嘘だったときの絶望も。  雛森は、その全てを千葉から教わった。 「千葉さんがいたから、俺は無駄なことに気を取られずにやってこれた」 「無駄なことって、例えば?」  問いかけてきた南に、雛森は答える。 「全部。無能な奴と話すことに実らない努力、時間も体力も費やす恋愛。どれも無駄だ」  単調な声で告げた雛森は手摺から身体を起こし、羽織っていたジャケットを持ち主に押し付ける。 横目で南を盗み見て、雛森はヘラヘラと笑った。 「これで満足ですか? なんなら千葉さんが俺に何をして、何を言ったかもお教えしましょうか?」  雛森はわざとらしい言葉で揶揄うが、南に睨まれて黙る。それに興をそがれた雛森は、軽く舌をうってバイヤールームへと戻った。

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