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第46話

*  一人、非常階段に残された南は深く息を吐いた。 ある程度想像していた千葉の存在を、改めて雛森から聞かされると正直面白くない。自分以外があの仏頂面を歪ませることが気に入らない。  飄々としている雛森を傷つけていいのも、泣かせていいのも自分だけだと思っている。たとえ雛森自身が信じなかったとしても、南の本命は雛森であることには変わらない。  凛とした横顔が綺麗だと思って声をかけ、身体から始まった関係。 相性が思った以上にすこぶる良く、それに加えて反応も悪くない雛森を気に入ったのも事実で、そこに恋愛感情はなかったはずだった。  それがまさか天敵である神上亜弥と恋人だと噂される人物とは思わず、その噂を知った時は愕然とした。今度こそアヤには負けたくないと思い、意地になって雛森を落とそうとして。  結局、落とされたのは自分。ミイラ取りがミイラになった、という訳である。 「全部タイミングが悪すぎる……」  呟いたのは南の本心。  本当は昇進する前に全て済ませるつもりだった。押して押して、身体を手に入れたら今度は情に訴えてみる。それで雛森が揺れるとは思わないが、時間をかけて長期戦に持ち込めばいいだけの話だ。  最大のライバルは今や自分の恋愛に夢中だし、この会社にアヤ以上に脅威になる相手はいない。ゆっくり時間をかけて絡めとるつもりだったのに…… 「誤算はあいつだよ、大沢。雑魚キャラのくせに」  自分に憧れを抱いているらしく、雛森をライバル視する大沢が流した噂がまずい。 まるで雛森が権力目当てに南に近づいている、というあの噂。それをプライドの高い雛森が毛嫌いすることは容易に想像がつく。  雛森自身に力があり、今彼の置かれているポストは雛森が自力で掴んだものだ。そこに南もアヤも一切関与していない……それなのに、あたかも雛森が媚を売って口利きをしてもらったかのような嘘の噂。 雛森がそれを知った時、自分を更に敬遠することは容易に想像がつく。 考えるだけで、南は静かに怒りの炎を燃やした。 「鬱陶しい」  嫌悪をありありと含んだ南の声は冬空に消える。  今頃、大沢は廊下で見た自分達の姿を、面白おかしく吹聴して回っているだろう。それも雛森だけが悪者に作り替え、彼を蹴落とすためのオリジナルストーリーとして。  優しくした後は冷たく突き放す。意識させるためについた「好きになるな」という嘘が自分の邪魔をする。  けれど、もう小細工をしている場合じゃない。 南自身の限界も近く、きっと今が正念場なのだということはわかっていた。 「さて、そろそろケリつけるか」  心を決めた南は、雛森から返されたジャケットを翻す。 ふわり、と雛森の匂いを漂わせるそれに思わず南の頬が緩んだ。  全ては嘘だ。恋愛ごっこなんて、南は端からするつもりなどない。その嘘を真に変えるべく、南は颯爽と歩き出した。

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