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第54話
エレベーターは諦めて階段を使おうと雛森は足を進めた。すると、不意に廊下を歩いてきた南と目が合う。
雛森に背を向け、必死に南へと話しかける大沢。それを間に挟み雛森と南は対峙した。
大沢はまだ雛森がいることに気づいていないようで、それだけが不幸中の幸いと言える。
昼のことがあり、雛森は南の視線を振り切って進む。けれど耳だけは南と大沢を捉えて離さない。
「まだ仕事?」
やけに落ち着いた南の声に、雛森の足が止まった。
大沢と話をしながらも、南は隙をみては雛森を視界に映し、ゆったりと笑う。
「無理しちゃ駄目だよ」
言葉を続けた南に、雛森はそれはどちら宛てなのか聞きたくなった。南が会話をしているのは大沢なのに、その瞳が捉えるのは雛森。
自分を見ていない南に、大沢が首を傾げるのと同様の仕草を雛森もとる。
「辛くなったらうちに来ればいい」
「南さん、急にどうしたんですか?」
大沢に対しやっと南が微笑んだ。
いつもの外面のいいその笑顔に、やはり自分宛てではなく大沢に向けての言葉だったのか、と雛森は止まっていた足を動かす。
雛森が一歩進めば二人の声は小さくなる。
このまま南と大沢は会社を出て南の自宅へと向かうのかもしれない。その途中で、南が気に入っている店で食事をするのかもしれない。
美味いと嘘をつくのか、それとも味がわからないというのが嘘なのか……またそのことを考えてしまった雛森は、本日何度目かの嘲笑をした。
同性なのだから、一緒にいることが恋愛に結び付く可能性は低いが、相手が南ならあり得ない話ではないだろう。そして大沢も受け入れそうな気がする。
それほど大沢は南に付きまとっているように見えた。
(俺もあんな感じに見えてたってことか……気色悪い)
このままアヤの元へ行くと全てを見透かされそうな気がした雛森は、諦めてバイヤールームへと戻ることにした。途中で喫煙所に寄り一服をして、壁に身体を預け目を閉じる。
本当はこのまま辞表を出して全てから逃げてしまいたい。何にも追われず、何も考えない時間を過ごしたいと雛森は強く思う。
勿論、根が真面目な雛森がそんなことなど出来るわけもなく、重たい足を引きずって部屋へと戻る。
書類が散乱していたはずの自身のデスク。迷走していることが丸わかりな没案の山、それは綺麗に片付けられていた。
一体誰が、と浮かんだ疑問は瞬時に解消する。
見慣れた茶色い包みは、少し前に差し入れられた時と同じように机上に鎮座している。
今日は貼られていない付箋は、気分なのか敢えてなのかは、雛森には推測すら出来ないけれど。
それでもこれを南が持ってきたのは明白だ。
いつの間にこの部屋に来たのか、大沢に何と言ってこれを差し入れたのかはわからない。けれど、さっき南が言っていた謎の台詞も雛森宛てだったとしたら……。
そんな事を考えても無駄と思った雛森は、机に突っ伏した。
(考えすぎて頭が痛い。全部あのクソ南の所為だ)
いっそ捨ててしまおうかと思った包み。ゴミ箱へ放り投げる寸前でやめてそっと中を覗く。
そこにはサンドイッチと小さなケーキが入っていた。
一人きりの部屋で隠れるようにして雛森はそれを食べる。どちらも美味しくて、久しぶりの食事に夢中になり、気付けばほんの数分で間食していた。
(あいつ、この味もわかんないんだよな)
一般的な味付けじゃ何も感じない、何もわからないと言った南は、外で誰かと食事をするとき何を思うんだろうか。美味しいと嘘をついて笑う南を思うと、雛森はどうしてか苛立つ。
意味のわからない南に腹を立て、腹を立てている自分が許せない。
それを誤魔化すように、雛森は問題だらけの仕事に取りかかった。
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