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第64話
「そういう冗談の相手してる暇ないんで。こっちは忙しくて年末年始どころじゃない」
冷たく言い捨てた雛森は、南から顔を背けた。
会社が休みの間も雛森にはかなりの量の仕事がある。
雑誌掲載商品の発注も追加でかけて、それに合わせてのアイテムも何点か新しく用意して……考えれば考えるほど雛森は頭が痛くなりそうだったが、以前のように心苦しくはならなかった。
新しく自分のすべき事を見つけた雛森は無意識に頬を緩ませる。
「なので南さんも俺に構ってないで自分の仕事をしたらどうですか? 次期人事部長サン」
持ち前の生意気さを発揮した雛森だが、そこは南の方が一枚上手だった。
「大丈夫だよ。ちゃんとうちのブランドを優先するように言ってあるから」
真正面からのんびりとした口調で南が言う。思わず面食らった雛森は、背けた顔を戻し南を凝視した。
南の言葉の意味がわからないほど、雛森は鈍くはない。
「あんた……まさか、また裏で根回ししたのか?」
「英良ちゃんってば僕が悪者みたいな言い方するね。僕はただ、ちょっとお願いしただけだよ。みんな素直に聞いてくれるなんて、すごく優しいよね」
雛森の問いに、南は揶揄い混じりに答える。
(それは聞いてくれたんじゃなく、聞かせたんだろうが……このゲス)
雛森自身がされたように、今回のことで南は弱みを握っている人間を言葉巧みに強請ったのだろう。卑劣な南ならば、角を立てずに相手を脅し、圧をかけることなんて容易だ。
だからこそ、この年の瀬になって急に依頼が押し寄せたのだ、と雛森は察した。
そして雛森の推測は正しかったようで、南は否定も肯定もせず表向きの笑顔を張り付けている。
「南さんってマジで性格悪いんですね。そこまでいくと称賛に値しますよ」
「英良ちゃんに褒めてもらえるなら、今後はもっと磨かなきゃね」
「性格の悪さを磨くってなんすか。意味わかんねぇ」
南の冗談に雛森が笑う。
気づけば隣合わせで歩き、同じスピードで同じ歩幅で廊下を進んでいた。
今日が終われば、もう年明けまでは会うことはない。それは二人が交わした『約束』の終わりを意味している。
バイヤールームの扉が見えて、南が足を止める。気づいた雛森も立ち止まり、隣に立つ南を見上げた。
やけに穏やかな南に、雛森は何も言わない。言葉のないまま南を見つめ、雛森はこの一ヶ月を振り返ってみた。
自分らしくなく動揺し、焦れて八つ当たりもした。考えることが嫌になって、仕事を放りだしたくもなった。
楽しかったとは口が裂けても言えないが、全く楽しくなかったと言えば嘘になる。
良かったことと嫌だったことを天秤にかけると、確実に後者に傾くのに、なぜだかそれも悪くなかったと思える。
無駄に悩み、無駄に腹を立て、無駄に振り回された。その全てを雛森にもたらしたのは紛れもなく南だ。
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