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Last
「英良ちゃん、今日で約束が終わるんだよ」
静かに凛として、それでいてどこか甘さを含んだ南の声。
「これが最後のお願いなんだけど。英良ちゃん」
再び雛森を呼んだ南は、真っすぐに雛森だけを見つめて告げる。
「僕と無駄なことしようよ」
白い歯を見せて笑った南が手を差し出す。その言葉の意味がわからず、雛森が微かに首を傾げれば南の目尻の皺が増えた。
それは、とても嬉しそうな『本物』の笑顔だった。
「それどういう意味で言ってるんですか?」
その真意を問う雛森に、南は差し出した手を持ち上げ、そっと雛森の頬を撫でる。
「そのままの意味。英良ちゃん、僕と『無駄な恋愛』ってやつ、してみない?」
目を見張った雛森が、数秒して俯く。
南からの最後のお願いは『要求』ではなく『提案』だった。あれだけ強引に人の生活を掻き乱しておいて、最後の最後でわざとらしく誘う南に雛森は薄く笑う。
ゆっくりと顔を上げた雛森は、赤く薄い唇を挑戦的に上げ艶やかに返す。
「俺は無駄なことはしない。だから、あんたと無駄な恋愛なんてしない……恋愛ごっこもしない。それでもいいなら本気で落としてみれば?」
『恋愛なんて無駄なことはしない』いつかに聞いたそれと似ているようで、明らかに違う雛森の返事。理解した南が破顔する。
「最高だよ英良ちゃん。そういう強気なところ、すごく好き」
「俺はあんたなんか好きじゃないけどな」
「本当につれないよね。こんなに思い通りにならないなら、もう諦めちゃおうかな」
「あー、それは助かります。俺も南さんみたいな性悪なんて興味ないですから」
諦めると言いながらも自信ありげに笑う南に、雛森は冷笑を投げて部屋へと入った。
世の中は今日も無駄に騒がしく、無駄に楽しそうで無駄な時間を過ごしている。
けれど、自分にとって『無駄』と思えるそれらも何らかの意味を持つ。些細な事でも誰かが一喜一憂して誰かの何かを変えていく。
『無駄なものに縋るなんてみっともない』
雛森は、千葉に言われた言葉を思い出した。そして、今でもその通りだと思った。
千葉の言う通り、無駄なものに必死に縋りついて、無駄に時間と体力を費やすなんてバカのすることだ。雛森にとって、その言葉自体は変わらない。
それでも、言葉は変わらなくても雛森の捉え方は少し変わった。
「恋愛なんて無駄なものはしない……じゃなく、俺は無駄な恋愛はしない。もう誰かの言いなりになんてならない」
新しく生まれた決意を雛森は口に出して胸に刻む。すると、燻っていた胸のつっかえが無くなった気がした。
愛だの恋だのに現を抜かすような関係は必要ない。南と雛森の関係は、いつも駆け引きばかりで油断している隙はない。
何が真実で、何が嘘かわからない男との攻防は決して甘くはなく前途多難。
だからこそ嘘つきな二人はシュガーレス恋愛にのめり込む…………のかもしれない。
≪fin≫
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