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疑惑にシュガーレス(3)

 熱烈すぎる二人の口付けを眺めながら、翼は今まで起きたことを頭の中で整理した。  まず、不機嫌な雛森が神上を訪ねてやってきた。けれど神上は会議で席を外していて、その八つ当たりとしてサルと呼ばれた。その雛森の威圧に耐えながら仕事を進めていると、今度は南がやってきて、言い合っていたのは間違いない。  そして今、なぜか二人は翼の目の前でキスを交わしている。ここまでは実際に起こったことだ。  絡み合う舌が奏でる水音。逃げようとする雛森を追いかける、南の楽しそうな瞳。雛森を挟んだところにあるそれが、翼に向けられる。  その目尻に皺が刻まれ微笑んだ。南が翼に向かって、雛森とのキスを続けながら微笑んだのだ。  見られていることを厭わない、気にもしない。見たければ気の済むまで、好きにどうぞ。  そう言われている気がして、翼は頬を赤らめる。野次馬根性を見透かされて羞恥が翼を襲った。  この場で羞恥を感じるべきは雛森と南のはずなのに、翼の方が耐えられなかった。 「みな……ん、く…やめ」 「英良ちゃん、ほら。翼くんが見てるから、もっと色っぽい声出してあげなよ」 「おま、ふざけ」  止まない吐息と卑猥な音に翼は肩を竦ませる。もう見ていられなくて、逃げ出したくて、でも足が動かなかった。自分も神上とこんなことをしているのかと思うと、色々と妄想してしまう。  雛森と南を、自分と神上に置き換えてしまった翼。それを知っているかのように笑う南、南に拘束される雛森。三者三様の反応を見せる中、ゆっくりと扉が開き誰かが中に入ってくる。 「――人が真面目に仕事してる間に、お前ら何してんの?」  現れたのは、待ちに待った神上亜弥だ。かなり遅い登場にも関わらず、扉の傍の壁に凭れ、腕を組んで傍観している。その顔は雛森以上に能面に近い。 「アヤ、遅かったね。アヤが居ないから翼くんが物欲しそうな顔して僕らを見ていたよ」 「なっ…!違います!!」 「じっとこちらを見て、口まで開けていたのに?」  それは驚いたからだと。目をそらせなかったのも、口が開きっぱなしだったのも、全て驚愕からであって、羨ましいなど一切思っていない。それを伝えるべく、翼は神上を見つめる。  目が合った神上は能面を崩すことなく、瞳も頬も緩ませずに翼に訊ねた。 「お前言っておいた仕事は?」 「ま、まだ……です」 「こんなに時間やったのに?それなのに終わってないわけ?」  たとえ翼と神上が恋人関係にあったとしても、それは仕事中は関係しない。神上は翼に対しても周囲と変わらない鬼上司だし、特別な扱いなどしない。  そのことをわかっている翼は小声で「すみません」と呟き、俯いた。 (なんで俺が怒られるわけ?!悪いんは、どう考えてもあの二人やのに!!)  言えない翼の言葉は、自身の心の中で叫ばれた。ちらりと窺った先には、乱れたスーツを整える南と、濡れた唇を拭う雛森の姿がある。艶やかだったそれが消え、いつもの皮肉たっぷりな形に戻した雛森が声にせず翼に告げてくる。 『バーカ』  本気で転職を考えたくなった翼に同情はしても、誰が責めることができるだろう。  真面目で堅物、内向的ではあるけれど芯は通っている翼。その周囲に集まる人物のクセが強いだけで、翼は悪くはないのに。  次の連休には実家のある関西に帰る。そう決意した翼の前に神上が歩いて来る。てっきり怒られるのだと身構えた翼が真っ先に見たものは、薄く、ほんのりと赤い三日月だった。 「ーーんんっ?!」  いや、三日月の形をした神上の唇だった。

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