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アップルパイ攻防1
竜士が帰っていた。
ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外した寛いだ格好でダイニングテーブルの椅子に座り、スマートフォンを触っている。テーブルの上には何やら白い箱が置かれていた。
……洋菓子店のテイクアウト箱に見える。いや、まさにそれだ。竜士は何を買ってきたのだろう。少し、顔が強ばった。
「あれ? お前、どこ行ってたんだよ」
疲れが薄く滲んだ顔を少しだけきょとんとさせ、竜士は眼球を上下に動かし瑛汰を見た。「……走ってきたのか」
「あぁ」
「急にどうしたんだよ」
まぁな、と答えになっていない返答をし、竜士のそばへ行く。……竜士は、目鼻立ちがくっきりとした二枚目だ。180センチ超えの長身は、がっちりと厚い筋肉を纏っている。誰がどう見ても、長年スポーツをやってきたのだと分かる体躯だ。
彼もかつては全国レベルで活躍した陸上選手だった。
竜士とは高校が同じで、部活も一緒だった。
が、彼は短距離が専門種目で練習もバラバラだったため、3年間これと言った関わりを持つことなく高校を卒業した。違う大学に進学後、竜士は3年生と4年生時のインターカレッジにて、100メートル走と200メートル走でそれぞれ優勝し、その年のアジア大会や世界大会にも出場するなど、華々しい陸上人生を送っていた。
大学卒業後は、数多くの有名選手が在籍する大手損保会社の実業団に入団し、1年目にはオリンピックの代表選考会を兼ねたアジア大会に出場。代表権獲得まであと一歩及ばずだったが、次の五輪こそはと、本人も周囲も確かな自信を持っていたという。
しかし、その翌年に膝を故障してしまってからは、手術とリハビリをしても思うようにパフォーマンスを発揮できなくなり、25歳の冬に現役を引退した。
当時の新聞に、小さいながらも記事になっていたのを覚えている。……そうか、ダメだったのかと、その記事を読みながら、瑛汰は密かに残念に思っていた。
けれども竜士本人は、至ってあっさりとしていたという。脚が痛み、動かないのならしょうがないと現実を受け容れ、気持ちを切り替えて新生活をスタートさせた。
引退後は損保会社の社員となり、営業職としてバリバリと働き始めたのだった。
そうして、社会人5年目の秋。新宿二丁目のゲイバーで、自分たちはまさかの邂逅を果たした。
別の店で引っ掛けてきたとみられる同世代の男を連れた竜士が、当時付き合っていた彼氏と別れたばかりで、ひとり寂しくカウンター席で飲んでいた自分と目が合い、あんぐりと口を開けたのを思い出す。思い出せば思い出すほどにおかしくて、今でも人知れずくすりと笑ってしまうことがある。
こうしてバイの竜士とゲイの瑛汰は、高校卒業以来、10年ぶりに再会したのだった。
高校時代にまったく口をきいたことがなかったが、竜士はその後、持ち前の社交性から瑛汰を飲みに誘ってきた。
かつて、密かに恋心を抱いていた相手からの誘いに、表層では淡々と応じながら、内心はひどくそわそわした。それから、何度かふたりで飲みに行き、互いに本命がいないと分かってからは自然と距離は縮まっていき、流れで付き合うことになった。
よくある話だ。酒を飲んで気分が良くなり、互いに開放的になったところに、竜士が自宅に来ないかと誘ってきた。瑛汰はそれを二つ返事で応じた。その後、色んなことがあって、ふたりして裸でベッドに寝転がっていたところ、相手から「俺たち、付き合うか」と言われた。まぁ、そうなるだろうなと思っていたので、少々面映ゆくなりながらも瑛汰は小さく頷いたのだった。
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