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アップルパイ攻防3

「痩せるためだ」 そう答えれば、竜士のことだ。馬鹿にしたようににやにやと笑ってくるだろうと思った。その時こそ怒りに身を任せ、家を出て行くと宣言してやろうと幾度目かの決意を胸に燃やした。 ……ように見せかけて、また何も言えないのだろうが。 ところが、竜士の反応は意外にもあっさりとしていた。「ふーん、あっそう」とまったくと言っていいほど関心を寄せず、瑛汰は肩透かしをくらった気分だった。……それはそれで苛立ったが、目の前に置かれたテイクアウト箱を無造作に開け始めた竜士を黙って見る。 「これ、前にテレビでやってたアップルパイ、買ってきた。ほら、期間限定で出店してるフランスの洋菓子店の。食うだろ?」 そう言って、開いた箱の中身を見せてくる。そこには、こんがりとキツネ色に焼かれ、ツヤツヤとした光沢を放つそれがふたつ、所狭しとばかりに収まっていた。 ひとり分サイズに、楕円形に形成されていた。中身をすっぽりと包み込むように覆われたパイ生地は、小高い丘のようにふっくらと盛り上がっており、厚みがある。手で触れなくとも、ずっしりとした重みと密度を感じさせるフォルムだった。 ふわりと薫ってくるは甘酸っぱい林檎と深みのあるシナモンの香り。……瑛汰は、口腔に一気に溜まった唾を飲んだ。 見るからに美味そうだった。そうに決まっていると言わんばかりの匂いだった。少し前、テレビでこのアップルパイが特集されていたのを見た時、口には出さなかったものの、「是が非でも食べたい」とはっきりと強く思った。液晶画面越しでも、十分に魅力的だったが、実物を目の前にした今、悩殺されんばかりだった。 お菓子に対し、魅力だの悩殺だのと言うのはおかしいのだろうが、そう感じてしまうのだからしょうがない。性癖だ。 と言っても、性的に興奮するわけではない。自分という人間が独自に有している感性なのだと思っている。お菓子相手に欲情する危ない人間では、決してない。 物凄く、食べたい。めいいっぱい、かぶりつきたい。 けれども、その欲求を抑えつけるように、瑛汰はぐっと握りこぶしを作った。 ……というか、俺が痩せると言ったそばから、「食うだろ?」とはこれ如何に。コイツ、俺の話を聞いていなかったのか。……まぁ、いつもなら訊かれるまでもなく、コイツが買ってくる菓子に手を伸ばしているからだろうが、今日からはそういうわけにはいかない。 「……食べない」 「はぁ!? なんで!?」 竜士はえらくびっくりし、ひっくり返るような声を出した。「お前……、一体どうしたんだよ?」 「食ったら痩せれないだろ」 むすっとした声で答えれば、竜士は見開いていた目をいびつに細め、眉間に皺を寄せる。 「アップルパイひとつくらい、大丈夫だろ」 「そ、それが命取りになるんだよ……」 竜士の言う通りかも知れない。と一瞬思ったが、いや、ダメだダメだと思い直し、瑛汰は竜士とアップルパイからぷいっと顔を背ける。 羨ましいことに、竜士は大食漢だが、陸上選手だった頃とほとんど体型が変わっていない。 それに対し自分は、食べた分だけ身体に肉がついていく分かりやすい体質だった。仕事で疲れている時などに甘いものをがっつりと食べ、さらには運動不足とくれば、太るべくして太ったと言っていいのだろう。 学生時代は陸上競技で結果を残すため、徹底した食事管理とトレーニングに努めていた。お菓子を我慢し、炭水化物を控え、タンパク質を多く摂り、筋トレで軽やかでバネのような肉体を作り上げ、規則正しい生活を送っていた。我ながら、ストイックな人間だったと思う。 それが今では、この体たらくだ。いい加減、どうにかしなければならない。そのためにも今、食欲を律するべきだった。

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