9 / 22

アップルパイ攻防6

「このアップルパイ、期間限定だって言ってただろ? あまりの売れ行きの良さに材料が不足してて、今日で販売終了だと」 自分の顔が、これでもかと言うほどに強ばったのが分かった。竜士は続ける。 「しかも店自体も、今度はいつ日本に来るか分からないって聞いた。こんなに美味いアップルパイを食えるのは、最初で最後かも知れないなぁ……」 そして、優雅に振っていたフォークをふたつ目のアップルパイに突き刺そうとしたその時、瑛汰はそれを制するように、咄嗟に口を開いた。 「ダメだ! 俺が食う!」 限界だった。竜士はぴたりと動きを止める。フォークの先端とパイの距離はおよそ1センチ。ギリギリのところだった。 竜士は瑛汰を見て、にっこりと満面の笑みを浮かべる。 明らかな勝者の顔だった。それこそ、表彰台の一番高いところに登った時に見せるような。 それを見せられた瞬間、全身がひどい敗北感に支配され、ぐったりと気持ちが沈んだ。握りこぶしを作る気力すらなく、脱臼するのではと思うほどに、だらりと肩が下がる。 「おう、食え食え」 気前良くそう言い、竜士がフォークを差し出してくる。それを奪うように受け取り、アップルパイに視線を注ぐ。 ……悔しい、本当に悔しい。けれども、フォークをパイに刺し、その音と感触に身震いしながら、切り分けたそれを口に運べば、あまりの美味しさにもんどりを打ちたくなるほどに身悶えた。 竜士の食レポ通りの味、食感、香りだった。胸のうちが瞬く間に満たされていき、口角がおのずと上がる。 「……美味い」 「だろ? これは食べなきゃ勿体ねぇって、な?」 そう促されたのもあって、瑛汰は至極のスイーツをパクパクと口に入れていく。……結局、まるまるひとつ食べてしまった。 頬っぺたどころか顔全体、脳までもが蕩け落ちそうなほどに幸せだったが、同時にここ数年で一番の罪悪感に陥った。 この分のカロリーを消費するためにも、明日からはもっと頑張らなければ……。 パイの小さな欠片のみが残る皿にフォークを置く。ふっ、とひとつ息を吐き出し、小さな声で「ご馳走さま」と言った。胃の腑におさまったアップルパイと、かなり癪だが人気店に並んで買ってきてくれた竜士への感謝を込めて。 頬杖をつき、瑛汰を見ていた竜士が、機嫌良さげに笑っている。そんな彼からふいっと視線をそらし、上がっていた口角を最大限に下げ、瑛汰は硬い決意を示した強い口調で言った。 「今度から」 「ん?」 「俺の分のお菓子は買ってこなくていいから」 「本当に? いいのか?」 声だけで分かる。竜士は、にやにやと笑っている。どうせまた、菓子を目の前にすれば屈するに違いないとでも思っているのだろう。 ……思いたければ勝手に思っていればいい。 昔から負けず嫌いだった。今回、敗北を喫したことで、胸のうちでメラメラと燃えるものが生まれた。 もう二度と、こんなことにはならない。竜士の思惑通りには決してならない。 瑛汰は誓ったのだ。 「もう絶対に、甘い物は食べない。お前が俺にどんなことをしようが、口にしないからな」 そう宣言して椅子から立ち上がり、竜士の顔を見ることなく浴室へと向かった。 ……そして、ダイエットが成功した暁には、この家を出て行ってやる。必ず。 どすどすと荒々しい足音を立て脱衣所へ消えていく。そんな瑛汰の後ろ姿を見つめながら、竜士は肩を少し浮かせ、淡く苦笑していた。

ともだちにシェアしよう!