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 とにかく急いで控え室まで戻らないと……と、俺はただただ焦っていた。  もう、何が起きたのか訳が分からない。  すごく有名(らしい)で、初対面の女の子にも気軽に話しかけちゃうくらいチャラい、CROWNのセナという男が、まさか春香に告白だなんてめちゃくちゃ驚いた。  まずは春香に、この事を伝えなきゃ。  何も考えずにただあの場から逃げ出したい一心で、「三十分後にまたここで」……なんて書いちゃったけど、当事者である春香に教えてあげないといけないよね。  控え室目前で非常階段への扉を見つけて迷わず飛び出すと、ピンチの時のためにと持たされていたスマホ(スタイリストの人が、スカートのポケットから落ちないように工夫してくれた)で、春香にすぐにここへ来るよう連絡を取った。 「は、は、春香っ?」 『葉璃? あんたどうしたの? 葉璃が戻って来ないってみんな心配してるよ?』 「うん、ごめん! これにはワケがあって……! 今から言うところに急いで来て!」 『なんなの?』 「いいから早く!」  電話の雰囲気で俺が焦っている事くらい分かってるはずなのに、春香はのんびりと応答した。  その理由こそがとんでもないことなんだから、まずはそれを処理しないと俺も落ち着かない。  何も知らない春香は変装しているとはいえ、なんとも危機感の無い顔で急ぎもしないで歩いてきた。  もう!と一人で慌てる俺は、キョロキョロと辺りを見回し、誰も居ない事を念入りに確認して深呼吸を一回する。  それから、「どうしたの?」を何回も言う春香に向き直った。 「俺が冗談言うタイプじゃないの、春香はよーーく知ってるよね?」 「え? うん。そうだね、いつでも真面目だね」 「だよね。今から俺が言う事、冗談でも何でもなく、本当の事だからね」 「何よ……怖いじゃない。葉璃、目が血走ってるよ」 「……CROWNのセナが、春香の事好きなんだって。一目惚れだって言ってた」 「え……?」  春香は、何を言われたのか分からない、とポカンと呆けていたけど、数秒経つとその言葉の意味を理解したのか、みるみる顔が真っ赤に染まった。  テレビか何かで春香の事を見て、それ以来の一目惚れなんだろうと俺はそう勝手に解釈したんだけど、春香はあのセナが自分を好きでいてくれるなんてと呟いて呆然としている。  そりゃあ……そうなるよね。 「嘘……じゃ、ないのよね。葉璃が言う事だもんね……」 「間違いないよ。俺が春香と間違えられて告白されちゃったから、返事するわけにいかないじゃん? だから、三十分後に落ち合うようにしてる。春香はこの衣装来て、俺のウィッグ被って会いに行って?」 「え、何!? 三十分後!? 大変……!」  事態を把握した春香の行動は早かった。  とりあえずメイクだけしてくるから待ってて! と言って立ち去って、十分も経たずに戻ってくると、俺と空いていた控え室に忍び込んで衣装と私服を交換し、ウィッグを渡した。  ギプスだけはどうにもならないけど、衣装が長袖だったのでまくらない限りは見えないだろう。  どうせいつも固定のガーゼはしてないし。  セナが待つ控え室の場所を教えて、春香はかなり浮き足立ったまま目的の場所へ向かった。  何か良からぬ事が起きた時に駆け付けられるように、春香とは通話を繋いだまま、俺は片耳イヤホンで様子を聞く事にして一旦memoryの控え室に戻る。  メイク道具を漁ってクレンジングと洗顔を済ませてパーカーのフードを目深に被り、無人の控え室を出た。  春香は、熱狂的とは言わないけどCROWNのセナが音楽番組に出ると一際色めき立って騒いでいた。  それがまさかこんな事が起こるとは、本人も当然思わなかっただろうけど、急いで支度をする、何だか嬉しそうな春香の女の一面を見てこそばゆくなった。 「あれ、葉璃? 帰ったんじゃなかったのか」  memoryはすでに全員まとめて帰宅してしまったとスタッフの人から聞いていたので、俺は不審者の如くその控え室の前でイヤホンに集中していたところに、マネージャーの佐々木さんが近付いてきた。 「親御さんが迎えに来るから、別で帰宅するって春香が言ってただろ? 何時に来るんだ? 結構待つ?」  なるほど、春香がそういう風に根回ししてたのか。 「佐々木さんこそ、みんなと一緒に帰ったんじゃ……?」 「あぁ、俺は今日別のタレントがこのスタジオにいるから、もう一仕事あるんだ」 「そうなんですね。お疲れさまです。春香いまトイレ行ってて……親ももうじき来ると思うんで心配しなくて大丈夫ですよ」 「そうか。葉璃、今日もご苦労様」  佐々木さんは滅多に笑わない鉄仮面な人って印象だったのに、最近はよく笑いかけてくれるようになった。  背の高い後ろ姿を見送って、俺は再びイヤホンに集中する。  ここだと目立つから、さっきの非常階段に移動した。  レディースものでも、パンツスタイルの私服だと俺が春香の影武者だとは絶対に気付かれないだろうから、雑音もないしここが一番落ち着く。  聞き耳を立てていると、イヤホンの向こうでようやく春香が控え室の扉をノックする音が聞こえた。
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