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 こんなにも想われて、俺はどう気持ちを返してあげたらいいんだろう。  聖南は戸惑う俺を連れ立ってキッチンへ行くと、コーヒーメーカーにコーヒー豆を入れながらこんな朝早くからどこかへ電話を掛け始めた。 「……あ、俺だけど。今日ロケ日だろ? ……あぁ、うん。……俺昼から合流すっから。……んなの先にパパパ〜と撮っちまえよ。昼からなら俺500%で頑張るから」  ……え、これってもしかして、仕事を午後からにズラそうとしてるんじゃないの。  そんな事しなくても、電車賃を貸してくれたら事務所まで自分で行くのに。  聖南さん、と苦々しい顔でバスローブの袖を引っ張るも何を勘違いしたのか、いつかの二の舞で聖南は俺の首筋から耳元をフンフンと嗅ぎ始めた。 「あぁ? ……昨日の今日で会うわけねぇだろって言っとけ。言えないなら俺が直接言うけど? ……うん、うん、……それで?」  会話をしながら、聖南は俺の髪に鼻を埋めている。  何の話をしているかは分からないけど、聖南の機嫌がよくないってことだけは伝わってきた。  ── 何かあったのかな。 「……はぁ? いや、俺がそんなの望むわけねぇじゃん。アホらし。……とにかくもうちょい時間置かねえと俺も冷静に話できねーから。……あぁ、現場まで自分で行くから大丈夫。じゃそれで」  コーヒーメーカーがコポコポと音を立て始めて良い香りが部屋に漂う中、あまり機嫌のよくない聖南はスマホを雑にキッチンに放ると、俺の腰をグッと寄せて甘えてくる。 「……どうしたんですか? 何かあったんですか?」  仕事時間をズラした事は後で咎めるとして、くっついて離れない聖南の顔を覗き見ると俺の肩におでこをつけて項垂れた。  電話の内容がどうも聖南を落ち着かせなくさせているみたいで、黙ったままだ。 「聖南さん?」 「……んー。言いたくねぇ」  マグには挽きたてのコーヒーが並々抽出されて、早く飲んでくださいと言わんばかりにその香りが立ち込めている。  聖南が言いたくないって言うなら無理に聞こうとは思わないけど、話してくれないつれなさに俺も膨れて聖南の腕から離れた。 「じゃあ俺帰りますね」 「は?」 「聖南さんお仕事ちゃんと行ってください。俺に合わせなくていいです」 「……怒ってんの?」 「…………」  ぷいっと聖南から逃れた俺は完全に拗ねていた。  聖南の心が明らかに動揺してるのに、他でもない俺に話してくれないなんてめちゃくちゃ嫌だった。  キッチンから出ようとすると、罰の悪い顔をした聖南に腕を取られる。 「分かった、話すから。……帰るとか言うな」  俺は聖南特製の甘いコーヒーで、聖南はブラックコーヒーを朝日の射す早い時間からソファで飲んでいると、今日が何もない休日のように感じる。  俺はいつもの角の定位置じゃなく、聖南が甘えたい時の定位置に座っていた。  つまり、聖南の足の間だ。  言いにくそうに、そしてとても嫌そうに聖南は切り出した。 「……昨日、雑誌の撮影あったんだけど。そこでモデルからキスされたんだよ」 「…………??」 「あんま驚いてねぇな。……すげぇ言い難かったんだけど」  ぽかんとしていると、後ろから顔をのぞき込まれて驚かれた。けど、聖南の言うキスがどういうものか分からないから俺はキョトンとするだけだ。 「モデルのお仕事ってそういうのもあるんですか? それとも仕事外で?」 「仕事上でだよ。カメラマンからキスシーン撮りてぇって言われたから、ギリギリで止めるっつったんだよ、相手に。だから動くなって。……それなのに動きやがったんだ」 「……あぁ……そうなんですね……」  何となく状況は理解できた。  キスシーンを撮るために顔を寄せたけど、聖南はキスしたくなかったからギリギリで止めるって言ったのに、相手が動いちゃった……という事なのかな。 「聖南さん、何ヶ所か唇切れてるからどうしたのかなって思ってました。キスした時血の味したから……」 「……触るのも嫌でティッシュですげぇ擦ったら切れたんだよ」  それでかぁ、と聖南の唇をまじまじと見詰めていると、チュッと音を立ててのキスをされた。 「俺はもう葉璃以外とどうこうなんて考えたくもねぇし、触れたくも触れられたくもねぇ。……モデルやめよっかな……」  そう言って俺の肩にまた鼻を擦りつけてくる聖南は、俺だけに見せる弱々しい一面をまた覗かせている。  もちろん俺は聖南が知らない人とキスしたって聞いてすごく嫌な気持ちでいっぱいで、今も胸がザワザワするくらいヤキモチ焼いちゃってる。  聖南がそれを言いたくないって言ってた気持ちもよく分かって、……でも、複雑だった。  仕事中で、しかもこの聖南相手にキス寸前でギリギリで我慢するなんて、俺じゃなくても無理なはずだと思っちゃったから。 「怒ったんですか? 聖南さん」 「キレた。ほんとは撮影のあと取材あったけど、そんなの冷静に出来ねぇっつって帰ってきた」 「えっ!?」  甘えるようにぎゅっと俺を抱き締めてきた聖南の発言に、ヤキモチもそこそこに勢いよく振り返ってそのスッと伸びた高い鼻をつまんだ。  突然鼻を摘まれたのに聖南は無表情のままで、その淡々とした様子にも俺は一言物申してやらないと気が済まなかった。

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