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☆セナ様とハル姫様のお話⑧(終)
「───はるはどこだ!」
長の館内に、セナの怒号が響き渡った。
待てど暮せど、長の元へ行ったきりハルが戻って来ないのである。
何故ハルだけが呼び出されたのだろうかと、目が見えなくなったセナは途方に暮れて、ハルの匂いを感じながら彼の寝床でジッと瞳を瞑って待っていた。
だがしばらくすると目蓋に光を感じ、恐る恐る開いてみれば変わらぬ寝室の光景が視界に映る。
なんだ、失明は一過性だったのかと安堵したセナは、窓辺に置いた奇抜な果実の皮を剥き、おとなしくハルの帰りを待ち侘びていたが一向に戻る気配がない。
明るかった辺りが薄暗くなり始め、いよいよ焦燥感に見舞われた。
キョウヤとイツキが力付くで止める中、セナはとうとう長の元へ乗り込んだ。
「はるはどこなんだ! まだ戻らねぇんだけど!」
「はる姫は、此処へは戻らない」
金色の妙な椅子に腰掛けた長は、突然の来訪者であるセナの勢いにもまったく怯む事なく冷静に言い放った。
その台詞の意味をセナが理解するには、いくらも時が必要だった。
「……戻らない……? 戻らないってなんだよ、……意味分かんねぇ」
「はる姫は、お前の失明を治す代わりに遠くへ旅立たれた。 そういう取引をした」
「…………俺の失明を、……? 取引って……そ、それはどういう事なんだ!」
いくら考えても理解不能な長の台詞。
険しい顔付きのセナへ、長が淡々と語ったハルとの取引とその経緯。
愛に浮かれていたセナはその瞬間、絶望の淵に居た。
永久に愛する事が出来る、衰え知らずの死の無い世界で永久に共に暮らしていける。
その、ただただ幸福な未来を、自身の浮足立った行いによって絶たれてしまったのである。
セナは拳を握り込み、ぶつけようのない悲しみと失望感に全身を強張らせた。
ハルのおかげで見えるようになった瞳を、忌々しげにギュッと瞑る。
「そん、な……そんな……そんな事があっていいのか……」
背後でそれを共に聞いていたキョウヤとイツキも、目を瞠っていた。
感情の見えない表情で、長はセナの様子を黙って見守りさらに言葉を繋げた。
「セナ、この地でのお前の役割は分かっているだろう? 仕方のない事なのだ。 はる姫には何不自由ない暮らしを約束している。 姫が望めば転生も……」
「なぜ俺に黙ってそんな取引をした! 俺は失明してたって構わなかった! はるが傍に居れば五体不満足でも構わなかった! 職務だって……!」
「分からないのか、セナ。 はる姫はお前に苦労をかけたくなかったのだ。 元を正せば、はる姫がセナの前に現れた事がお前達の立場を危うくさせた。 愛し合っているからとて、何もかも許されるとは限らない。 この地では皆、苦労と死がない代わりに安寧を求められるからだ。 その力を持つお前は此処では必要不可欠なんだよ」
「────!」
セナの前任が悪魔に心を囚われてこの地を追い出されて以降、此処ではセナの直感能力と先見の明が何より重要視されていた。
長に何かあれば、後にその座はセナのものとなる。
それほどに大変な責務を担っていた。
だからといって、セナの心の拠り所であったハルの存在がそばに居ないのであれば、もう頑張れない。
───ハルが居ないのなら、何もかも、もはやどうでもいい。
「俺には……俺には、はるが必要不可欠だった!」
言い捨てたセナは、長の館を飛び出した。
駆けて、駆けて、どこまでも続く穏やかで美しい景色の中をひたすら進んだ。
「はる……っ」
この世界で、この綺麗な光景をハルといつまでも眺めていたかった。
立ち止まった先にある透き通った水は、無色透明でありながらほんのりと甘い。 これが、此処で暮らす人とは呼べない者たちの体内を洗浄する。
此処へ来たばかりのハルに、教えたい事は山ほどあった。
記憶の蘇ったセナは、命在った頃からどれだけハルの事を想っていたか、終わりのない時の中で懐かしみながら語り合う事も夢描いていた。
セナは泣いた。
愛すべきハルのおかげで治癒したその瞳から、次から次へと涙を溢れさせた。
きっと、遠い彼方でハルもセナを想い泣いている。
そんな気がした。
──────
「聞いたか、キョウヤ。 この地から遥か彼方まで続く大きな川が出来たらしいな」
「えぇ。 あれは……セナ様と、ハル姫様の、涙の川では、ないでしょうか」
「だろうな。 いっそ俺達も、近く転生されるセナ様と共にしたいと申し出ようか」
「……俺も、考えていました。 お二人に、使える事が出来ないこの地に、長居は無用かと」
「まったくその通りだ。 セナ様が転生される日は、暦があれば……七月七日か」
「七月七日……ハル姫様も、今この時に、決断されている事を、望むばかりです」
─終─
2020/07/07
セナハル七夕短編 読了ありがとうございました♡
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