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監察日誌:決定的な失恋と唐突な脅迫事件6

***   「脅迫状が届いてから、今日で十日目……目星すらつかないって、一体――」  あれ以来、定時後と帰宅前の2回、コンビニに足しげく通っている。アヤシイ店員が多過ぎて、分かったもんじゃない。  分からない原因を作っているのは、俺のこの目つきの悪さ。会計中にじっと顔を見ると揃って目を逸らすか、視線を落ち着きなく彷徨わせる店員たち。  俺は怒って、見ているワケじゃないのに。ただ観察しているだけ、なんだが……  うんざりしながら夕飯の入った袋を、店員から受け取ろうとした時―― 「いつまで回数増やして、日参するつもりなんですか?」 「ん……?」  その台詞に袋から目線を、店員に合わせた。癖の強い黒髪が印象的な、若い男性店員のぱっちりした二重瞼の瞳は、明らかに困惑の色を滲ませていた。 「俺としては、有難いんですけどね。微糖の君……」 「――君、だったのか」  まじまじと顔を見つめると、ちょっと俯いてから、 「あと20分でバイトが終わるんですが、お時間戴いてもいいですか?」 「ああ、かまわない。外に停めてある車で待ってるから」  見つけた嬉しさをひた隠しにして袋を受け取り、車で待機をしていた。  解けなかったパズルが、何かの拍子にあっさり解けてしまったような。1ピースだけ抜けていたジクソーパズルが、変なところから発見されて、完成してしまったような。  そんな妙な達成感に、心が満たされていた。 「自分で見つけられなかったのは、やはり残念だが、向こうが根負けしてくれて、正直助かった」  流れているピアノ曲に合わせて、鼻歌を歌っていると、助手席の窓がトントンと、遠慮がちに叩かれた。運転席から助手席を開けてやると、漆黒の髪を揺らして、嬉しそうに顔を覗かせる。 「失礼します……」  Tシャツにジーパン姿の彼が、おどおどしながら乗りこんできた。大学生くらいだろうか、矢野 翼と比べると大人びている。 「話って何だ?」  俺は彼を見ず前を向いたまま、単刀直入で聞いてみた。こちらを見ている視線を、痛いくらいに感じるからだ。 「あの名前、教えて下さい……」 「自分の名前を名乗らんヤツに、教える義理はない」 「すみませんっ! 俺、伊東 雪雄って言います。大雪の日に生まれたからって、名前に雪を付けられたんですよ」  安易ですよねと、嬉しそうに呟きながら教えてくれた。そこまで詳しく、説明しなくてもいいのに。 「伊東くんね。君、大学生?」 「はい、そこの大学の2年生です。えっと微糖の君の名前、教えて下さい」 「――関」 「関さん……下の名前は?」  助手席から、身を乗り出して訊ねる伊東くん。変に迫られているような気がして、危機感を覚えた。 「教えない……」 「どうして? 変な名前なんですか?」 「名前は普通だ。ストーカー相手に自分の情報を与えるほど、俺はバカじゃない」 「店の中で見るくらい、いいじゃないですか。減るもんじゃないんだし」 「俺の中の何かが、著しく減っている気がする。だから、あえて教えない」  横目でチラリと見ると、ポカンとした顔をして俺を見つめる。 「何か、意外……子供みたいなトコあるんですね。可愛い////」  漆黒の髪を揺らして、クスクス笑う。小馬鹿にされた感じがしたので、文句を言おうと口を開きかけた刹那、 「俺ね、二年前に関さんに助けられたんです。当時の彼氏にウザいって言われて、こっぴどく振られてボロボロになった状態で、仕事をしていたんです」 「へぇ……」 「その日、関さんはいつも通り、微糖の缶コーヒーを買いに来てて、俺がレジで受けてる最中に、横の棚からホットレモンも、追加で買ったんですよ」  まったく記憶がないのは、二年前の出来事だからだろうか。 「お会計が終わって、袋に入れようとしたら、ホットレモンを俺に手渡してくれたんです。顔色が悪いから、ビタミンでも摂って早く治せって、言ってくれたんです」 「へぇ……」 「その言葉と優しさに、俺は一瞬で関さんに恋をしました。だけど関さんって見るからにノーマルっぽいから、俺が迫ったら間違いなく、嫌われるって思って。だから、ずっと見てたんです」  そして俺の左手を、握りしめてきた。細長い指が、俺の手を絡め取る。 「ずっと見てきたから、アナタの好きな人も分かりました。色白で背の高い、可愛らしい感じの人……たまにお昼を、一緒に買ってましたよね?」 「ああ……」 「彼を見つめる、関さんの目がすごく優しそうで、羨ましかったです。だけど彼にはイケメンの彼氏、いますよね? しばらく姿を見なくなりましたけど」 「ヤツは、不慮の事故で……亡くなったから」 「じゃあ、チャンスじゃないですか。彼にアタックしないんですか?」  なぜか伊東くんは興奮して、俺の肩をゆさゆさと揺さぶった。 「しないよ。彼には、新しい彼氏が出来たから……」 「何ぼやぼやしてたんですか。関さんならきっと、落とせたと思うのに。だから最近、元気がなかったんですね……」  本当に、俺のことをよく見ている――しかもどうして、応援するようなことを言っているんだろう? 「どうして君はあのレシートを、俺によこしたんだ?」 「何となく……。自信をなくして、元気がない感じに見えたんです。そんなアナタを見てる人物がいるんだよって、知ってもらいたくて……」 「あのレシートのお陰で失恋の痛手が、半分以下になったのは事実だ。礼を言うよ」 「好きな人の幸せは、俺の幸せでもあるから。良かった……」 「同じ、なんだな」 「はい?」  水野くんが他の人と幸せになってる姿を見て、俺が満足しているように、伊東くんも同じことをしていたんだ。  遠くから見守ることによって、静かに想いを燻らせて―― 「人を見るのが仕事だったから、まさか俺を見てるヤツがいるなんて、思いもよらなかった。気づいてやれなくて、済まないな」 「それでもこうやって、俺を捜し出してくれました。さすがは警察官ですね」 「本当に、何でも知ってるんだな」 「叶わない恋をしてる事も分かってます。だから……一夜限りでいいから、相手になって下さい……」  言うや否や、俺の首に腕を絡ませてきた。車内なので当然、逃げ場はない。俺は固まったまま、動けずにいた。  まるで自分自身を見ているようで、哀れで振り解けなかったんだ。 「それできっと……諦められるから……お願い、します」 「無理だ。一夜限りだろうと、肌を重ねれば想いは、今以上に増すぞ……」 「関さん――?」  辛そうな顔をしている彼の腕を、そっと外した。 「俺だってこう見えても、いろんな恋愛を経験している。だからこそ、それが言えるんだ」 「……あの人には優しいのに、俺には冷たいんですね。名前も教えてくれず、夜の相手にもなってくれないなんて」    辛そうな顔をしてたと思ったら今度は、ふてくされた態度をとる伊東くん。その様子に、昔飼っていた黒猫を思い出した。  コロコロ態度が変わって、見てるだけで飽きない可愛がっていた黒猫。  漆黒のサラサラな髪を揺らして、こちらを睨む姿に俺は微笑んでやる。 「俺はそういう人間だ。覚えておくといい」 「その意地悪は、誰にでも発動されるモノなんですか?」 「教えない……」 「だーっ! 何なんだよ、一体。知りたいことがいっぱいあるのに、どうして教えてくれないんですか?」 「ストーカーに教える義理はない。と、先ほど言ったばかりだろう?」  頭を抱えて俺を睨む伊東くんの姿に、笑みが絶えない。見た目、落ち着いた成年に見えるのに、いざ話してみると予想外の展開が待っていて。  告白されました、ありがとう。はい、終わり。って、閉めようと考えていた。しかし、得も言われぬ面白さに、つい引き込まれて――  遅くなったからと車を走らせ、彼を自宅まで送った後、俺は自宅に上がり込んでしまったのである。

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