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監察日誌:決定的な失恋と唐突な脅迫事件7

*** 「あっ、もう、そんなトコ……」 「君が、ここを放っておくからいけないんだろう?」 「だからって、そんなぁ……えっ、ここも!?」 「どこもかしこも隙だらけだ。取ってくださいと言ってるようなものだぞ」 「だって関さん、めっちゃ強いんだもん。手を広げて、囲もうと思ったんだって」  何故だか車の中で、趣味の話をしたんだ。関さんは職務質問をするみたいに、いろいろ俺から聞き出すべく、話を展開させていき――  生年月日から、家族構成や友人関係、そして趣味の話にまでたどり着いた。 「超下手っぴなんですけど、囲碁をやってるんです。じいちゃんがくれた年代物の、かやで出来た足つきの囲碁盤が、すっごくいい音がするんですよ」 「関西に住んでた時、関西棋院に在籍していた。学生の頃の話だがな……」 「関さんってば、プロを目指してたんですか? あそこに入るのは、至難の業だって聞いてます」 「一時はな……。いろいろあって、数年で辞めてしまったよ。君の家にある碁盤、ちょっとだけ見せてもらえないだろうか?」 「ぜひ!」  ――ってなワケで、関さんをまんまと家に、招き入れることに成功したんだけど……  一局打とうって話になり、現在に至る。ド素人相手に、プロを目指した人が容赦ない手で、どんどん俺を窮地に追い込んでいく。  こんな風に恋愛も攻めていけば、きっとあの彼だって、手に入ったと思うんだけどなぁ。 「余計なことを考えているだろう? スカスカだぞ」 「だって関さんってば、強過ぎるんだもん」 「俺が手を抜いているところがあるのも、分からないのか?」 「分かっているさ。そんなお情け、俺はいらない。自分で切りこむのみ!」  パチン!  俺の一手にメガネをクイッと上げて、真剣な眼差しで盤上を覗きこむ関さんの姿に、自然と胸が熱くなる――    やっぱり、カッコイイなぁ。この人の身体の熱は、どれくらいのものなんだろう? どんな抱き方をするんだろうか?  触れられたい……触れて、みたい…… 「そんなにじっと見つめるな。穴が開く」  チラリと俺の顔を見てから、すぐ盤上に戻る視線。心なしか、少し頬が赤い。 「いいじゃん。見るのは俺の特権なんだから。穴が開いたら、塞いであげますよ」 「穴が開く前に、終わらせるさ」  パチン!  切りこむ俺の手を華麗にかわして、攻撃につなげられる。  投了したらホントに、それで終わりだから、何とかして必死に食いつなげた。  パチン! 「俺が棋院を辞めた理由……聞かないのか?」 「知りたいけど、関さんがイヤそうだったから、あえて聞かない方向でいた」  パチン! 「聞けよ。俺のこと、何でも知りたいんだろう?」 「いいの? 俺、ストーカーなんだけど?」 「君になら……いいと思った。俺に似ているから」  パチン!  話が終わるまで、絶対に耐えてやる。 「教えて下さい。関さんのことを……」 「高校生のとき、師匠だったプロ棋士を好きになってしまったんだ。始めは、ただ憧れだった」  パチン! 「先生に近づきたくて、必死に練習してどんどん強くなって、誰にも負けないくらい強くなったある日――」  パチン!  震えそうになる手で、一生懸命に打った。 「俺のことが好きなのかい? と先生が聞いてきたんだ。迷わず、はい。と返事をした。一度くらいこうして、相手をしてやるぞって、その後に言ってきた」 「それって――」 「ああ。君がさっき言った言葉と同じだ」  パチン!  関さんは碁石に手を置いたまま、動きを止めて深いため息をつく。つらそうな顔が、どうにも堪らない。 「おれは喜んで先生を抱いた。だけど本当に、それで終わってしまって……終わらされてしまったんだ」 「まるで関さんを、弄んだみたいに見えます。その人……俺、許せない……」 「俺が辞めた後、仲の良かった友人が教えてくれた。先生がメンタル面の弱い俺を、わざわざ鍛えてやったのにって言ってたって。そんな鍛え方あるのかって、俺は――」 「それ以上言わないで下さい! もう十分に分かりましたから。つらそうなアナタを……これ以上見たくないです」  碁石に置かれたままの右手を、両手で包み込むようにそっと握りしめた。  ――冷たい関さんの手。俺が温める事は、許されるんだろうか? 「それから俺は、人を信用出来なくなった。想いを伝える事も、素直になる事も出来なくなってしまって。人をキズつけてばかりいた」 「関さん……」 「だから君は俺と一緒にいたら、キズつく事になる。碁盤を見れば、一目瞭然だろ?」  投了間際まで、追い詰められた俺。勝敗なんて、ぱっと見れば分かるくらいに、差は歴然としてて。容赦のないその手に、ずっと翻弄されっぱなしだった。 「キズついて、冷たくなった関さんの心……俺が温めちゃダメですか?」  握っている手に、ギュッと力を入れる。困惑したメガネの奥の瞳を、じっと見つめた。 「逃げるなら、追いかけます。だって俺は、関さんのストーカーだから」 「随分押し売りする、ストーカーだな」 「本当は見てるだけにしようと思ってたのに……関さんが捜しだすもんだから、俺のヤル気スイッチに火がついたんです」  この囲碁の勝負のように、結果は見えている。でも俺の気持ちを今、ここで伝えなきゃ、きっと……後悔する。 「関さんの好きなあの彼と俺じゃあ、全然タイプが違うの、分かってるんです。彼の代わりにはなれないけど、付き合ってはもらえないでしょうか?」  俺が握っている関さんの手が、急に温かくなった。そして俺をグイッと引っ張る腕に、驚いて立ち上がる。  気がついたら、関さんの胸の中にいた。 「君は温かいな。夏場は迷惑だが、冬場には重宝しそうだ」 「関さん……?」  言ってる意味が、まったく分からない。  きょとんとして関さんの顔を見上げると、まっすぐ前を見たまま、何故だか険しい顔をしていた。でもその頬は、いい感じに桜色をしている状態。 「囲碁の筋、悪くなかった。もっとしっかり練習すれば、きっと強くなれるだろう」 「はぁ……」  どうして、囲碁の話になるのかな? 「君の囲碁の打ち方、俺は好きだ。あと、あの脅迫文……」 「脅迫文じゃないです。れっきとした俺の気持ちなんですよ。何かキズつくなぁ」 「だろ? 俺といると、どんどんキズつくんだ。だから」 「俺の囲碁の打ち方見て、分かってるでしょ? どんな状況でも、諦めが悪いって。関さんに、キズつけられるのなら本望だよ」  ぎゅっと関さんの体に腕を回す。それだけでもすごく幸せだった。 「あの脅迫文、内容は最悪だが筆跡に好感が持てた。字の綺麗なヤツに、悪いヤツはいないからな」 「結局、脅迫文にされてるし……内容最悪って、俺の想いは一体……」  俺がしかめっ面をして、ぶーたれると頭上でクスリと笑う声がした。前を見ていた関さんが、俺の顔を面白そうに見つめている。 「キズつけられるのが、本望だと言ったじゃないか。喜べ」  そう言って、俺の頭を優しく撫でてくれる。意外とゴツい掌が頭を撫でるたび、鼓動がどんどん早くなっていく。 「綺麗な髪をしているな。無駄に長いのは、この丸みを帯びた頬を、隠すためなのか?」  頭を撫でていた手を頬に移したと思ったら、ムニュムニュと引っ張りだす。  さっきから意味不明……褒められてるのか、けなされてるのか分からなくなってきた。  つか、俺の付き合って下さいの返事は、スルーする気なのか?  何だか切なくなって、関さんの体に回した腕を解こうとした時――  頬を引っ張っていた手が、顎に移して上を向かされた瞬間、関さんの顔がグッと近づいた。間近で見る関さんの瞳が、澄んでいて綺麗だと思ったら、唇に柔らかい感触が……  心臓がぎゅうっと、鷲掴みにされた感じがした。 (何だよ、この不意打ちは――俺のことをどう思っているんだ?)  荒々しく合わせてくる唇とは裏腹に、割って侵入してきた舌は、優しく俺の舌に絡ませてきて。 「ん……っ……」  鼻から抜ける様な、甘い声が出てしまった。  その優しい仕草が逆にもどかしくて、関さんの舌を追いかける。もっと俺を、求めて欲しいと願ったから。  追いかけた矢先、体と一緒に解放された唇。やっぱりこの人は、どこまでも意地悪だ……  俯きながら濡れた唇にそっと手をやり、キスされた事をつい、確認してしまう。 「囲碁が上手く打てたご褒美だ。喜べ」  そう言ってカバンを手にし、玄関に向かう関さん。こんなのって、ズルイよ。勝ち逃げなんて。  どうする事も出来なくて、ただ立ちつくす俺に背を向け、さっさと靴を履く。  付き合うかどうかの返事くらい、くれたっていいのに。  俺が下唇を噛んだら、振り返った関さんは笑いながら俺の手に無理矢理、何かを握らせた。 「ご褒美、その二だ。良かったな、俺の名前が分かって」 「はぁ……」  手渡されたのは、関さんの名刺。関 鷹久――たかひさっていうんだ。監察官って仕事してるんだ、何か難しそうな事をしてそうだな。 「俺のホークアイにかかったんだ。これから覚悟しろよ?」 「何がですか?」 「ストーカーし返してやる。逃げても無駄だからな」  また、意味不明な言葉を言ってるし……  眉間にシワを寄せて、関さんをじっと見つめた。そんな俺の頭を、優しく撫でてくれる。 「君の事は嫌いじゃない。だからキスした」 「はぁ……じゃあ、好きなんですね?」 「言葉の裏の裏を読め。鈍いんだな」 「裏の裏って、表ですよ。さっきから言ってる事とやってる事が、かなり矛盾してます……」 「俺は素直じゃないと、宣告しただろう」  しただろう。の「う」で、俺のオデコをデコピンした関さん。 「囲碁盤に負けない、いい音がしたな」 「酷いですよ、もう!!」 「君が暇な時に、そこに連絡を寄こせ。仕事が忙しくなかったら、囲碁の相手してやるから」 「囲碁の相手……だけ?」  両手で関さんから貰った名刺を持ちながら、そっと顔色を窺う。 「どちらも君の努力次第で、何とかなるんじゃないか。じゃあな」  俺の返事を待たず、風のように去って行った。努力次第で恋って、どうにかなるモノなのか!?  俺は難しい顔をしたまま、また名刺を見る。これのお陰で、関さんとは繋がったままになった。 「嬉しい……見てるだけで、終わってしまうんじゃないかって思っていたから」  だけど素直じゃない関さんと付き合うのは、さっきの囲碁のように、翻弄されるのが目に見える。近づくと逃げていくし、追わないでいると優しくされる。  俺はこれから、どうすればいいんだろう?

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