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監察日誌:熱い視線と衝動的な想い6
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俺はバイトを終え、ゆっくりした足取りで店を出た。外の寒さに、ぎゅっと体をちぢ込ませたら、
「ユキ……」
懐かしい響きで俺を呼ぶ声に、ビクリと体が竦んでしまった。縮こんでしまった体から力が抜けなくて、声のする方に顔を向けることすら出来ない。
確認しなくたって、分かってしまう。高校生のときに初めて付き合った人で、その後俺をこっぴどく振った、大好きだった宍戸 さん。
ゆっくり目をつぶり、深呼吸を二回する。大丈夫……俺には、関さんがいるんだから。
目を開けて宍戸さんの顔を、しっかりと見た。
「こんばんは、宍戸さん。お久しぶりですね」
顔がやつれて、痩せたように見える。まとってる雰囲気も以前と比べて刺々しさがなく、丸くなったように感じた。
昔の凄味がない分、少しは安心して話せるかも。
「ずっとここで、バイトしてるんだな。大学は……建築の勉強は楽しいか?」
「楽しいですよ。宍戸さんに教わったことを、復習してるみたいですから」
高校生のとき、土木関係のバイトをしていて、大学生だった宍戸さんと出会った。もともと建築に興味のあった俺に、当時いろいろ教えてくれたんだ。
本当に親切で、物知りで憧れた。バイトの仲間内でリーダー的な存在の彼を、独り占めしたいと強く思っていた。
そんなある日、お前が好きなんだと、突然抱きしめられて――怖かったけど俺はそのまま、宍戸さんを受け入れた。憧れている宍戸さんになら、いいと思ったから。
だけど大学を卒業して、社会人になった途端、俺との距離を置くようになった。ガキな俺はそれがどうしてなのか、全然分からなくて。
不安になり、電話やメールを何度もした。離れていく隙を、何とか埋めたかったから。
『ユキ……お前ウザ過ぎ。俺は本当に忙しくて疲れてんだ。恋人なら分かれよな』
「忙しいのは分かるけどさ、少しは俺の事を考えて欲しくて……」
『そんな余裕あれば、してるって。いい加減にしろよ!』
抱きついた俺を振り払って、足蹴にした宍戸さん。何度も何度も、蹴っ飛ばしてから――
『ウザいお前とは、もうやっていけねぇ。出て行けよ』
「そんな……」
『その辛気臭い顔を見てるだけで、イライラするんだ。早く行けってば!』
こんな酷い別れ方を過去にしたというのに、どうして普通に会話が出来るんだろう?
両手にぎゅっと拳を作って、宍戸さんを見上げた。
「ユキ……背、伸びたな。随分と大人びてる」
「そんな話をしに、ここに来たんですか? 時間がないので帰ります」
「待てよ! 俺はお前と……その、友達に戻りたいって思って……」
帰りかけた俺の肩を強く掴んで、あり得ない台詞を言った。その言葉が信じられず、目を見開いてまじまじと顔を見つめてしまった。
「あんな別れ方した俺だからさ、恋人は無理だって分かってる。だけど、友達としてならいいだろ? これ以上は、もう望まないから」
「な、に……それ……」
「ユキさえそれでいいなら、俺は構わないから。なぁ、頼むよ?」
あまりの自分勝手な言い分に固まっていると、俺を掴んでいる手が、誰かによって弾かれた。
「そんなの、無理に決まっているだろう? 伊東くん、明らかにイヤがっているじゃないか」
「水野さん!?」
「お前誰だ? ユキの彼氏か?」
宍戸さんは突如背後から現れた水野さんに、キッと睨みをきかせる。俺を背中に隠して、宍戸さんの視線を直に受けた。
「俺はただの友人です。二年前に別れたクセに、よくものこのこ顔を出せますよね。元彼さん」
「お前には関係ない。邪魔だ、どいてろ」
背は高いけど、細い水野さんを押し退ける様にして、宍戸さんが俺に手を出そうとした。だけど水野さんがその手を素早く掴んで、捻りながら宍戸さんの背中に回す。
「ダメだよ、安易に手を出しちゃ。一応俺、武術の経験者だからさ」
「それは丁度いい……」
「水野さん、逃げてっ!」
俺が叫ぶのと、水野さんに足払いをかける宍戸さんが同時だった。
「うわっっと! あぶねぇ……」
上手いこと素早くかわして、ウサギのようにピョンピョン飛び跳ね、宍戸さんから距離をとった。
「翼に足腰弱いぞって、言われてたんだった。しっかり鍛錬しないと……」
小首を傾げて頭を掻く水野さんに、宍戸さんはファイティングポーズをとる。
「水野さん、気をつけて。宍戸さんキックボクシングの経験者だから」
「そんなの聞いてないよ……俺はただ伊東くんを救助しろって、命令を受けただけなのに」
「そうだ、救出を頼んだはずなのに、どうして乱闘騒ぎへと発展してるんだ。水野くん」
息を切らせて、走って来た関さん。肩が上下していて、かなり急いで来てくれたことが明白だった。
関さんの顔を見たら、安心してしまって、嬉しくて――彼に向かって、抱きついてしまった俺。
「……関さんっ!」
「おっと。大丈夫だったか?」
ぎゅっと抱きついた俺の背中を、ゆっくり上下に撫でて癒してくれる。
俺は俯いたまま、首をコクンと縦に振った。
「お前……ユキとどういう関係なんだ?」
俺たちの様子を見れば明らかなのに、野暮な質問をする宍戸さん。俯いた顔をそっと上げて、関さんの顔を見ると、口元が僅かに微笑していた。
だけどメガネの奥の目が、えらく真剣でそのギャップに、言いようのない不安を覚える。
「……関さん、マジギレモードに入っちゃってるよ……」
水野さんが怯えながら、ポツリと呟く。俺だけじゃなく関さんの様子が、違うことに気がついたんだ。
「宍戸さん、でしたっけ? 随分と鈍いお人なんですね。どういう関係って、こういう関係ですよ」
見せつけるように俺の腰に腕を回し、右手で顎をグイッと持ち上げて、触れるだけのキスをした。
「くっ……」
「二年も月日が経っているんだ。魅力的な伊東くんに恋人がいたって、おかしくないでしょう?」
勝ち誇った顔をして、宍戸さんを見る。
その姿が余裕のある大人な感じで、すっごく格好良くてドキドキした。
この人の彼氏で、俺いいんだろうか……何だか、釣り合わない気がする。
「関さんその人ね、伊東くんに友達でいいから付き合ってくれって、言ったんだよ」
腰に手を当てて、怒りながら水野さんが言い放った。
「友達、ね。そりゃそうですよね、宍戸さんには素敵な恋人、いらっしゃるみたいですし」
メガネの奥の目を細めて、嬉しそうな表情を浮かべ、コートのポケットから、何かを取り出した。
「それは……」
「見覚えありますよね。おたくの会社で使ってる、営業車なんですから」
取り出したのは、白い車のリアがしっかりと写ってる写真。
「そしてこれが、ズームしたモノ。はっきりとフォーカスされてるでしょ、熱烈なキスシーン」
「ななな、なんでお前が、こんなの持っているんだ?」
「仕事中に同僚とこんなところで、イチャイチャしちゃダメですよ。取引先のご令嬢との、縁談話があったというのに」
「うっわー男と女、二股かけてたの。この人……超最悪じゃないか」
水野さんが、嫌悪感を示す台詞を言った。正直俺も、同じ気持ちだったけど心中複雑で。
好きだった人が、こんなにだらしのない人だったとは。俺の知ってる宍戸さんは、こんなことをする人じゃなかったハズなのに。
「自分の娘が得体の知れない男にさらわれていくのを、黙って見てられなかったんだろう。貴方の身辺調査をしたのが、偶然にも大学の後輩だったんです」
「身辺調査……」
宍戸さんは、愕然とした顔をしている。
「一ヶ月間調べあげた結果、宍戸さんは不貞行為を働いていたということで、縁談が破談となったワケです。彼氏さんは部署を変えられ、会社の名誉を著しく汚した貴方は、地方に飛ばされることとなった」
「…………」
「そして以前自分を慕っていた、可愛い元恋人に近づき、友達付き合いを要求、ですか」
「それは――」
「雪雄の優しさに付け入って、ヤッてやろううというのが、バレバレなんです。コイツが許しても、俺は認めない!」
そう言って、俺の肩を抱き寄せた関さん。
「恋人だろうが何だろうが、友達付き合いに口をはさむのは、縛り過ぎじゃないのか?」
「俺はね、コイツ専属のSPなんです。野蛮な暴漢が近付いたら、排除するのが当然の務めでしょう?」
サラリとすごいことを言ってのけた関さんに、俺の頬が自然と赤く染まるのが分かった。
「関さん何気にすごい……その台詞、翼に言わせたいっ」
水野さんはひとり、きゃぴきゃぴしている。俺、穴があったら入りたいんですけど////
「くっ……アンタがいなければ」
言い終わらない内に関さんに近づき、ガシッと胸ぐらを掴んだ宍戸さん。その瞬間、関さんの腕は俺の体を無理矢理、遠くへと押し出した。
「水野くん、時間っ!」
「まかして下さい!」
水野さんは素早く腕をまくって、時計とにらめっこした。
「な、何なんだ!?」
「手を出すなら、どうぞ思いきり、派手にやっちゃっていいですよ。その代わりすぐそこにある、警察署に連れて行きますがね」
関さんの言葉に、右手の拳が止まった。体を掴んでいる左手が、わなわなと震えている。
「俺はっ! 俺の答えは決まってますから」
「ユキ?」
宍戸さんの姿があまりにも哀れで、つい叫んでしまった。関さんを掴んだまま、俺の顔をじっと見る。
「どんなに頼まれたとしても、友達だろうが恋人だろうが、戻ることは無理です」
俺は宍戸さんに向かって、頭をペコリと下げた。
きっぱり言った俺を、信じられないものでも見るような顔をして、見つめる視線を感じた。
「あんな別れ方をしたから……じゃなく、今の宍戸さんは俺が知ってる、憧れた宍戸さんじゃないから」
ゆっくり頭を上げて、頑張って俺の気持ちを伝える。
「俺の好きだった宍戸さんは、損得勘定で動く人じゃなかったのに。変わり過ぎてて、正直怖いです」
「ユキ……お前がいなくなってから、俺は初めて分かったんだ。どれだけ大事なヤツだったのか……ってさ」
「それで代わりになりそうな職場にいる同僚に、手を出したということなんですか」
「違っ!」
「自分から振ってしまったから、格好悪くて、よりを戻そうとは、とても言えないですもんね」
核心をついた関さんの言葉に、宍戸さんは掴んでいた手を離した。
「後ろを振り返らず進んだ雪雄と、立ち止まったままの貴方じゃ、全然釣り合いません。離れている間、貴方が変わったように、雪雄も変わったんです」
そう言い放つと強引に俺の腕を掴んで、さっさとその場を立ち去る。すれ違いざま、宍戸さんがポツリと呟いた。
「ユキを……大事にしてやってくれ。寂しがり屋だから、さ」
「俺は貴方とは違う。言われなくても、大事にしてるから。今も、これからも!」
掴んでた腕を離して俺の右手に左手を絡め、格好良く颯爽と歩く。引っ張られながら後ろを振り返って、宍戸さんの背中を見た。
それはとても小さくて、今まで見た中で一番頼りなく見えた、宍戸さんの姿だった。
関さんは無言のまま、俺をどこかに引っ張っていく。
「あの、どこ行くんですか?」
「どうして、すぐに電話をよこさなかった?」
俺の質問をスルーして歩みをゆっくりにし、顔を覗きこむ。その視線に顎を引いて、俯いてしまった。
「だって俺の前のことで、関さんの手を煩わせたくなかったし、仕事の邪魔もしたくなかったし」
「バカだな、お前は」
恋人つなぎをしてる手に、ぎゅっと力が入って関さんの手のぬくもりが、ますます俺の心音を高める。
「お前専属のSPとはいえ、俺だって万能じゃないんだ。今回は水野くんが連絡してくれたから良かったものの、何かあったら、どうするつもりだったんだ?」
「えっと、全力で抵抗を試みるよ。当然だろ」
「非力なお前が、全力で抵抗しても俺に勝てないのが、分かってるクセにな」
「それは関さんが専門家だから、しょうがないじゃないか。他にも急所を狙うなり、踵で足を踏みつけるなりして、隙を作ることだって出来るんだからね」
口を尖らせて睨むと、なぜか嬉しそうな顔をして、俺を見る熱い眼差し。
本気で心配してくれてるのが分かっているんだけど、素直じゃない関さんの性格、俺にもちょっとだけ移ったのかも
「あのうぅ、すみません。仲良くお話中のところ……」
背後からの声にギョッとして振り返ると、申し訳なさそうな水野さんが、後ろからついて来ていた。
「ついて来てたのは知っている。行き先が同じだからな。何用だ?」
「頼まれた買い物ついでに、関さんが残業してるっぽかったので、いつものコーヒー買ったんです。いつお渡ししようかと、隙をうかがってました」
右手で微糖の缶コーヒーを受け取ると、コートのポケットにさっさとしまい込む。
「いつも有難う。今日は助かった」
「いえいえ。普段足を引っ張ってばっかりだから俺。お役に立てて何よりです。ホント仲睦じいですね、おふたりって」
そう言って、繋がれている手に視線を移した。
何だか照れてしまって俺が手を離そうとしたら、グッと掴んでそのままコートのポケットに、無理矢理突っ込む。
関さん……暖かいけどこっちの方が、もっと照れてしまうよ。
困り顔の俺と、きょどってる関さんの顔を見比べてから、ふふふと笑って、
「一等照れ屋なSPが一緒だと、いろいろ大変だね。それじゃ俺、先輩方待たせてしまってるので、お先に失礼しますっ」
俺に目配せしてからピシッと敬礼して、すごい速さで駆けて行った水野さん。
「まったく。ムカつくな」
「関さん、あの……」
「このまま車で送ってやる。仕事が丁度煮詰まってて、気分転換したかったトコだったんだ」
暗がりなので関さんの顔色が分からないけど、ポケットの中にある掌からは、尋常じゃないくらいの熱を感じていた。
それだけで、俺はすっごく幸せで。
「有難うございます。お言葉に甘えますね」
「ああ。そうしてくれ」
「あと、これからはきちんと連絡します。困った瞬間に連絡しちゃいますから、絶対に助けて下さいね」
そう言って俺は関さんの体に、ピタッと寄り添ってみた。
「バカ……人目につくトコで、そんな大胆なことをするな」
俺だけが聞くことの出来る、関さんの掠れた声。そのセクシーな声に、俺は堪らなくなるんだよ。
「しょうがないじゃないか。いつだって、関さんが欲しいんだから」
「雪雄は仕事より、厄介なヤツだな」
笑いながら周囲をしっかり確認して、俺の唇を塞いだ。
ひと波乱あった後だから尚更安心感が高まって、もっと繋がっていたくて、関さんの舌を追いかけた。
「こらこら、いい加減にしないと、送ったその足でお前を襲うぞ?」
「襲って欲しいから、してるんだってば」
俺が上目遣いで訴えると、えらく困った顔をした。さっき仕事が煮詰まってるって言ってたから、大変なのは分かっているんだけど。
「今日は……その……一晩中、俺を守ってくれませんか? 俺専属のSPなんでしょ?」
最後の切り札を使ってみる。夜は一緒にいたい。関さんのぬくもりを、すぐ傍で肌に感じていたいんだ。
「それを言われたら、動かざるおえないだろう。分かった」
「有難う関さんっ!」
「その代わり、今夜は寝かせないからな……」
「えっ!?」
「いや、何でもない」
途端に早いスライドで、俺を引きずるようにして歩く。もしかして俺、墓穴掘ったのかも?
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