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sideミナト: 私の、覚悟は
放課後の教室。
もう帰る時間なのに、自分の机に座ってぼぉっとしている。
(ハル様は、ハル様では…なかった……)
食堂で強く惹かれて、それから半年間支えた主人は、本物のハル様ではなかった。
(〝アキ〟…様……)
小鳥遊 アキ様
呼び慣れないこの名前こそが、彼の本当の名だった。
(思えば、もっと早くに気づくことができていたかもしれないな)
真っ先に浮かんだのは、夏休み叔父さんがわざわざ私の部屋まで尋ねてきた時のこと。
『学園でのハル様は元気か?』と聞かれて、それに変な違和感を覚えていた。
(あの違和感を私の気のせいかと受け流さずしっかり調べ尽くしておけば…もしかしたら、今回の事実にたどり着いていたのかもしれない)
「はぁぁ………」
今更後悔しても、後の祭り。
あぁ全く…月森としてまだまだツメの甘い自分に苛々する。
生徒会室で話を聞かされたあの日。
ハル様に「みんなの心には〝迷い〟がある」と言われて、正直心臓が飛び跳ねるくらいドキリとした。
だって、顔にこそ出さなかったが本当にその通りだったから。
(私、は………)
私は、どうすべきなんだろうか。
〝月森〟は、ひとりの主人に対してひとりの月森が付くようになっている。
もう何十年も何百年も遥か昔から、ずっとそうして来た。
それなのに、忠誠を誓った〝ハル様〟はハル様ではなくて、本物のハル様が来られると同時に何処かへ行かれてしまった。
本来ならば、ハル様と名乗っていたがアキ様に忠誠を誓ったのだから、どれだけハル様を演じれど私はアキ様を選ぶのが道理なのではないかと考える。
だが、生徒会室で見た本物のハル様は……まるで食堂で龍ヶ崎に真っ向から勝負を挑んだアキ様のようだった。
これまでアキ様がハル様のために積み上げて来られたものを、自ら壊されて。
そして、長年持ってきた想いをぐっと堪え「みんなの気持ちに迷いがなくなるまで待つ」と言ってのけられたその〝強い心〟に、惹かれてしまっている私がいる。
そして、アキ様自身も…恐らく私がこのままハル様の月森となることを望んでらっしゃる……
もし本物のハル様へ忠誠を誓えば、アキ様の救出がしやすくなるかもしれない。
それは、結果的に龍ヶ崎や1年生のみんなやハル様にとって良いことだろう。
だが……
(アキ様と過ごした半年間は、そう簡単に消せるものではない)
親衛隊を作るために話しかけた最初の日から、随分とたくさんの時を共に過ごした。
文化祭で初めて失敗を犯した時も、それを許してくださったのはアキ様だ。
あの時頂いた、あの言葉。
『僕は、先輩がいいんです』
あれは、私の真髄に今も深く突き刺さっていて。
「っ、あぁ…くそ……」
もう丸雛君や矢野元君・タイラ・先生方は答えが出たらしく、アキ様救出と小鳥遊への反撃のため連日ハル様の元で話し合いをしている。
それなのに、私はーー
「…………?」
教室の窓から見知った人影を見つけて、目を見開た。
(あれは…ハル様?)
誰とも一緒ではないハル様が、そのまま森の方への歩いて行くのが見えた。
おひとりでの行動は控えるよう、申し伝えたはずなのにな。
……あぁ、そうか。
(あれは、アキ様に言ったのだった)
それにしても、丸雛君や矢野元君とも一緒ではないなんて…
「………仕方ないですね」
追いかけるため、素早く席を立った。
「ハル様」
「っ、ぁ、先輩……」
噴水の淵に座って「びっくりしたぁ…」と笑うハル様を、優しく見つめる。
森の中に入っていく時点で大体行き先に検討は付いていたけれど。
(本当に、お二人ともこの場所がお好きだ……)
「ねぇ先輩。アキも此処へよく通ってたみたいですね」
「えぇ。アキ様も本当にこの場所が……お好きでした」
〝お好きでした〟
過去形で話をしなくちゃいけないこの状況が、もどかしい。
「ふふふ、やっぱり。
ここ、うちの庭の奥にある噴水にとてもよく似ているんです」
「小鳥遊の屋敷の?」
「はいっ、そうです」
それは初耳だ。
そんなこと、一度も聞いたことはなかった。
「庭の奥にある場所だったから両親は滅多に来なくて…
だから、僕の体調がいい日はいつもその噴水の場所まで行って遊んでました」
まるで隠れるようにして、小さく小さく遊んでいた。
幼いお二人が想像できて、ぎゅっと心臓が締め付けられる。
「元々この場所の事はアキからの報告で聞いてました。
今日初めて来たけれど、凄く落ち着けて…いい場所ですね」
サァ……っと風が吹く、森の中の忘れ去られたような空間。
そこに忘れ去られたように古びた噴水があって、その淵に座り目を閉じるハル様は…本当に1つの絵のようだった。
「ねぇ、月森先輩」
「っ、はい、どうされましたか?」
思わず見惚れてしまって、ハッとする。
「実は僕、アキと喧嘩しちゃったんです」
「ーーぇ?」
悲しそうにえへへと笑うハル様を、呆然と見つめた。
「2週間前、アキが屋敷に帰ってきた時に喧嘩しました。
アキが余りにも自分を蔑ろにするから…僕、それが嫌でつい感情的になっちゃって……
それで、つい酷いことを…言っちゃったんです……っ」
眉間に皺を寄せてギュッと泣かないようにしているのが分かる。
でも、声は震えてしまっていてーー
「アキは、とても傷ついた顔をしていました。僕たち今まで一度も喧嘩なんかしたことなんてなくて、今回が初めてで……それで僕…凄く後悔してて……」
お兄さんなのに、僕は何をしているんだろう?
アキがこんな子だって、わかってたはずなのに。
部屋の中でひとり。
ずっとずっと…ぐるぐる考えてしまっていて。
「次アキが帰って来たら真っ先に謝ろうって、感情的になってごめんねって言おうと思ってたんです」
でもーー
「でも、アキは…いなく、なっちゃって……!」
両親から聞かされた「アキは旅立っていった」という言葉。
それに、目の前が一気に暗くなるような感覚がした。
「アキは、今本当にひとりなんです……っ」
「ハル…様……」
遠い遠い見知らぬ場所に、ひとりぼっち。
ずっとずっと、唯一の味方だったハル様とも喧嘩別れしてしまった。
当然アキ様の中には、丸雛くん達も私やタイラも…龍ヶ崎でさえいないはず。
ーーあぁ、本当に。
(今、あの方は…おひとりなのか)
『月森先輩っ』と呼んでくれた懐かしい声とその笑顔が浮かんで、ツキリと心臓が痛んだ。
「分かるんです、アキが泣いてるのが」
「っ、」
「本当はっ、今すぐ助けに行きたくて…ひとりで泣いてるアキにごめんねって謝って、抱きしめてあげたくて、
でもっ、失敗は出来ない……からっ」
ポロリと、我慢されていたその目から涙が溢れ落ちた。
もしも、失敗してしまったら。
ハル様自身直ぐに屋敷へ戻され、アキ様はもっと見知らぬ土地に行かされてしまう可能性が大きい。
そして、
ーー正直、もう2度とこんなチャンスは巡ってこないと思う。
だから確実に成功するリスクを少しでも上げる為、ハル様は行動されている。
ご自身の気持ちをぐっと押さえつけて、動かれてはいる。
だが………
「っ、ハル様」
思わず、今にも消え入りそうなハル様を抱きしめた。
「~~~~っ、ア、キぃ…っ」
キュッと控えめに制服を掴まれて、ブレザーに顔を埋められる。
〝アキ様が泣いてる〟と、ハル様が言う。
双子ながらに、何か感じるものがあっての事なのかもしれない。
今、私の腕の中で泣いているハル様は、紛れもなくあの時生徒会室であれだけ強く物事を言ってのけた方。
それなのに、その本心はこんなにも脆く……儚くて。
「…………ハル、様」
少しでもその罪悪感が消えるようにと…そっと優しく背中を撫でた。
(この方は、この小さな体で一体どれだけの事を考え、ひとりで準備をされていたのだろう)
こんなになるまで、一人で耐えて。
(私は、)
私は〝月森〟として、
この方々の為に、何が出来るのだろうか。
どうすればこの方々を守れるのだろう。
もう、これ以上悲しい涙を流さないように
互いのために、心を強く持たなくてもいいように…する為には………
(私は、)
私、はーーーー
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