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「………ぇ、人探し?」 舞踏会から数日経ったのち、ある不思議な噂が家に舞い込みました。 〝王子様が、靴を片方持って国内を回っている〟と。 その靴はガラスでできた綺麗なもので、恐らく職人がつくったオーダーメイド。 それを履くことができる者、そして靴のもう片方を持っている者を探しているというものでした。 「王子はどうやら、その者を婚約者にしようと考えているらしい。 だから、いま舞踏会へ参加した子はみんなガラスの靴に夢中になっている」 ある者は、靴が履けるよう足を丁寧にマッサージしたり。 またある者は、実際に職人へ頼みガラスの靴の片方を作らせたり。 「少し前に近くの街へ兵士が来ていたから、そのうちここも回ってくるかもしれないな」 「まぁ。そんなに綺麗な靴ならぜひ間近で見てみたいわ。 ガラスでできてるなんて想像もつかない」 「もし訪ねて来られたらハルが履くんだ。舞踏会に参加したからね」 「ピッタリだったらどうしましょう!幸せだわ」 「そんな幸運、起きればいいんだけどな」 朝の食卓で両親が話すのを聞きながら、弟はどんどん血の気が引いていくのを感じます。 あの日、飛び乗った馬車の中で眠りに落ちてしまい、起きたら家の窓辺でした。 服も全部元通りで『なんだ、やっぱり夢だったんじゃん』と笑ったのですが 『ーーぇ、』 ガラスの靴だけが、片方足にはまっていて。 その傍らには、2匹のトカゲが仲睦まじそうに眠っていたのです。 〝あれは、夢じゃなかった〟 魔法はすべて消えたのに、ガラスの靴は今も手元にある。靴だけ本物だったのだろうか? そして、その片方を王子様が持っている。 捨てずに…しかも持ち主を探して…… (っ、でも) 自分は舞踏会に参加していないことになっています。 両親や兄にも、不思議な出来事のことは言えずじまい。 だから、自分にはあの靴を履く資格が ありません。 どうしよう。もう一度王子様と話をしたい。 あの日以来、忘れようとしても忘れられない あなたと。 もう一度だけ…話をーー 「アキ」 「っ、」 知らず知らずのうちに小さく震えていた手を、兄がそっと握りました。 「ぁ、ごめんごめんっ、なんでもない」 「…食欲、ないの?」 「う、ん、そうかも。 パンだけもらって部屋戻ろうかな。ちょっと休むね」 心配する兄へ笑って、まだ噂話が止まらない両親に一応ひとこと言い自分の食器を引きます。 部屋には、イロハとカズマがいました。 あの日以降ここに住んでいるのです。 ベッドへ寝転がりながら、登ってきた2匹にパンをちぎります。 「ね、2人とも。俺 どうしよう」 なんでこんなに悲しいのか、わかりません。 でも、気を抜けば泣いてしまいそうになるそれに、言葉が通じずともつい喋りかけてしまいます。 頭の中はぐちゃぐちゃ。 心の中もぐちゃぐちゃ。 どうすればいいのか、どうしたいのか、自分は何がしたいのかもよくわからずに そのまま、心配そうに舌を見せる2匹を横目に パタリと寝落ちてしまいました。 「……ん…」 ふと、意識が浮上します。 (いま昼くらい…かな。やば、寝てたのか俺) 目を擦りながら、肩へ乗ってくるイロハたちに「おはよ」と声をかけて。 「……?」 外から、なにやら声が聞こえてきます。 なんだろう。商人でも来たのだろうか? でも、結構な数の声してる気が…… 「ーーっ、」 近寄った窓の外、黒い龍の旗が見えました。 同じくその模様の刺繍を施した布を垂らしている馬。 何人もの兵士と、身なりを整えている人たち。 そしてーー 「おうじ、さま」 あの日と変わらない漆黒を纏った王子様が、靴を片手に佇んでいました。 あぁ、来たんだ。 噂は本当だった。 (どう、しよ) あの人は、靴のもう片方を探している。 あのガラスの靴を履ける人を、探している。 俺は、おれ はーー 「っ、ぁ」 扉の近くで大臣のような人と話していた父が、「どうぞ」と家に招きいれます。 それにヒヤリと背筋が凍って。 心配するようそわそわ動き回る2匹と共に、ゆっくりと階段を降りていきましたーー 一方、リビングには兄がいました。 突然聞こえた声。 家に入ってきた人の中で、ひときわ存在感を放つ黒。 そして、その手に抱かれている綺麗なガラスの靴。 ーー噂は、本当だったということ。 王子様と目があった瞬間、少し驚いたような顔をされました。 しかし、すぐ考えるように首を傾げられます。 「それでは、この家で舞踏会に参加したのはこの子だと」 「はい、その通りですミナト様」 「ふむ。王子、履かせてみますか?」 「……あぁ、そうだな」 靴を渡された兵士が、椅子に座っている兄の足元へ置きました。 窓から入ってくる日の光で、ガラスの靴は更に輝きを増し幻想的に見えます。 それをぼうっと見つめ、そして足元を食い入るように見る両親や城の者たちを見渡しながら 兄が口を開きました。 「ごめんなさい。 僕は、この靴を履きたくありません」 「っ、な……!」 ざわりとする空気。 当然です。どの家も嬉々としながら挑戦していたのに、まさかこんなことを言われるとは……城の者たちは驚きが隠せません。 両親も履かせる気でいて、上手くいけばこの子の将来は安泰だと考えていました。 それなのに、一体どうして…… 「なにか、理由があるのか…?」 「………」 父に聞かれても、兄はただ 口をつぐむのみ。 そんな中、「申し訳ありませんが」とミナトと呼ばれた人物が前に出ました。 「我々はこの靴を履くことができる者を探しています。 招待状を持って舞踏会に参加したこと…それ以外の情報が無いのです。だから今、しらみつぶしに探している。 履く側に拒否権ありません。 見つけなければ、我々の旅は終わらないのですから」 「っ、」 きっと、これまで何十軒…何百軒の家を回ってきたんだろう。 その度に落胆して、それでも諦めず一軒一軒また回って…… (でも、だからこそ僕は この靴を履いちゃいけない) だって、この靴は僕のじゃなくーー カタンッ 「っ、」 話し声で溢れかえるリビングの扉越しに、小さな音。 あの微かに開いている隙間から覗くのは、恐らくーー 「………っ、あの、 ぅわっ!」 突然、兄の片足を母が持ち上げました。 「ハル、どうして履かないの? ダメじゃない」 「かあ…さ、待っ」 「そうだハル、履くんだ」 父も加勢し、元々履いていた靴を脱がされてしまいます。 「お前が何を嫌がってるのかはわからない。 だが、これまでの誰も履くことができなかったものだ。履けないことのほうが多いだろう。安心しなさい」 「そうよハル。少し挑戦するだけだから、なにも怖がる必要はないわ。 履けたらあなたの未来も明るいし、挑戦しない手はないでしょう?」 「くっ……!」 嫌がる兄の足を、ガラスの靴へ無理やり下ろそうとする両親。 それを淡々と見つめている、城の者たち。 (どう…して……!) ここにいる誰も、助けてはくれない。 誰も、みんな。 もう嫌なんだ、本当に。 これは、あの時王子様と楽しそうに踊っていた片割れの靴。 アキのものだ。 それなのに、どうして僕が履かなきゃいけないの? 王子様たちがたくさん時間をかけて探してたのは、アキでしょう? なんで 「〜〜〜〜っ!」 アキが、見ている。 扉の隙間から、ずっと。 それなのにこの靴を履くなんて、嫌だ。 これを履いた人が王子様の婚約者になるなんて、嫌だ。 思い出を塗りつぶすようなこと アキの自由を、喜びを、幸せを、掠め取るようなこと (やめて、僕はもう) あの楽しそうな顔を 幸せそうな、笑い声を 奪いたく、ないのに……! 「おね、がぃ……っ!」 めいっぱいの抵抗。 しかし、あまり外を出歩かない体に大人2人分の力は 暴力で 「ーーーーっ、ぁ………」 爪先が、微かに触れただけ。 それだけで、驚くほど簡単に 足が靴の中へと吸い込まれていきます。 そしてゆっくり 踵まで入って。 「はいっ、た……」 「おい、入ったぞ……」 「すげぇ…ぴったりだ!」 わぁぁ!と兵士たちが盛り上がります。 喜びのあまり泣きだす母、それを抱きしめる父。 目を見張るミナトと王子様。 そんな中、兄はただ呆然と 足を見つめていました。 「は……はは………」 入る? 当たり前じゃないか、そんなの。 ーーーーだって、僕らは双子なんだから。

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