482 / 533

2

「っ、」 振り返ると、風になびく金髪をかき上げながら笑っている長身。 「こんはんは。起こしてって言ったのに。お散歩? 僕も一緒に行きたかったなぁ」 「……」 「お腹空いてない? 冷蔵庫にハルちゃんのご飯あるから、すぐ用意できるけど」 「……」 「わぁ、裸足だ。一応ゴミとかは落ちてないけど貝殻あるからね。暗いと見えないし、足に刺さったら危ないよ。 また明日来るのはどうかな。みんなも心配してたし、今日のところは寝てまた明日にーー」 「ぅる、さい……っ!」 ピタリと、近づいてきてた足が止まった。 うるさい。そんなの言われなくても分かってる。 わざわざ言葉にしなくても、全部 もう。 ザァ…と静かに足へあたる波。 緩やかに吹く風が、僕らの間をゆっくり流れていく。 「……すいません、戻りまs」 「ねぇ、ハルちゃん」 冷静になって海から出ようとした僕を、ヨウダイ先生が止めた。 「ハルちゃんの体のこと、 これからは僕が気にかけてあげるよ」 「……え?」 「毎日神経尖らせなくてもいいように、僕が全部見といてあげる。 呼吸も、瞬きの数も、心拍数も、内臓の動きも、全部。 だからハルちゃんは、もう自分の体のこと考えなくていいよ? みんなと同じように過ごしていい」 「な、にを…言って……」 「それに、ハルちゃんが生きたいと望むなら常に最善を尽くせるよ。僕は名医だから、ハルちゃんが望めば貪欲に治療法をかき集めてあげる。走れるようにだってしてあげられるかも。 でも、今のハルちゃんはそれを望んでないから。 ーーだから僕は、いつも検診〝しか〟してないんだ」 「っ、ぇ」 検診〝しか〟してない。 それは、この体の現状維持を 貫いてきたということ。 そんなの、今までの主治医にも言われたことなかった。 これは生まれつきだから治らないと説明され、せめてこれ以上悪くならないようにと始めたもの。 それを、治療に変えることができるなんて知らなかった。 いや…この人だからできるのか……? (というかそもそも一体…なんの話を) 「けど、本当のハルちゃんはそれを望んでないよね。現状維持すら望んでないもん。 まぁ、『高校までは形だけでも望まないと関わってるみんなが悲しむから』って感じで受けてるみたいだけど。 そういうのやだなぁ、失礼だよ。折角の2人きりの時間なのに、僕以外のことを考えてる。 ハルちゃんの目の前にいるのは、僕なのに」 「………ぇ?」 ゆらりと、また先生の足が動きだした。 「ハルちゃん、別に高校卒業まで待たなくていいじゃん。 死にたいと思うのなら死のうよ、僕が殺してあげる。 そしたらみんなの非難の目は僕に向くから、ハルちゃんが思ってる心配は無くなるよ? だってハルちゃんのせいじゃなく僕のせいで死ぬんだから。 あぁ、僕のことも心配ない。警察に捕まることもないし。 ハルちゃん殺したあとは、僕も自殺するからさ」 「へ? な、ん」 「あははっ、ハルちゃんっていつも僕のこと警戒してたよね。 そういうの見てるの、すごく楽しかったんだ。なんか家猫なのに人馴れしてないような感じ。 でも、そろそろ馴れてもらわないと嫌だからちゃんと話をしよっか」 「は、なしって…… ーーっ!」 固まる 僕の前 立ち止まった先生の月明かりに照らされた顔は、 いつも僕が気持ち悪いと感じていた……あの笑顔だった。 「ハルちゃん。 ハルちゃんの自己肯定感が低いのは、自分だけのものが何ひとつないからだよね?」 自己肯定感 「あの学園での〝ハル〟という人格も、過ごしてきた思い出も、着ている制服も友だちも学校関係者も。 今いる立場だって全部自分だけのものじゃない。 そもそも自分だけのものなんて、これまでに無かったんじゃない?」 「っ、」 そう、だ。 幼い頃のお菓子もおもちゃも、本当はアキと半分こするために貰ってたもの。 学園のものも、すべてアキが頑張って作り上げてきたもの。 「要するにさ、ハルちゃんはただのお人形。 小鳥遊の人形はアキくんのはずだったのにね。いつの間にか入れ替わっちゃった」 昔はあの屋敷では母さんと父さん、そして僕が人間。アキは操り人形だった。 でも今は? アキは人間で、僕は人形として用意された場所に座っている。 立場は、いつの間にか逆転していて…… (ぼく、は) 僕だけのものって、何なんだろう。 アキは、レイヤのものになった。 両親からの愛は、愛ではなく義務のようなものだった。 みんなから貰ったクリスマスプレゼントは、僕1人じゃ貰えてなかった。 友だちとの会話も、親衛隊も、学園で過ごす日常も全部、僕1人では無かったもので。 あの月森さんから渡されたクマのぬいぐるみでさえも、アキのため僕らに渡してくれたもの……で ーーあぁ、僕は (僕は何も持ってない、空っぽだった のk) 「だからさ、僕をハルちゃんのものにしていいよ」 「…………ぇ」 スルリと聞こえてきた言葉が意味不明で 目の前を凝視したまま、思考が止まってしまう。 「僕が常に体のこと管理して、身の回りのサポートも全部してあげる。そしたらハルちゃんは1人じゃないし、空っぽでもない。寧ろ僕がいたら百人力、最強になれるよ。 だからハルちゃんは、もっと僕に寄りかかっていい。 依存していい。 ーーそのかわり、」 パシャンと、先生が海へ一歩 踏み出した。 「僕も、ハルちゃんに依存させてくれない?」

ともだちにシェアしよう!