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sideハル: これからの日々

「……ん、んん…」 ぼんやりと目を開けた先、見慣れない電気。 いつも使ってるベッドより少し硬くて体が動かない。 というか、全体的にぼーっとするような…… 「おはようハルちゃん」 白衣姿の先生がゆっくり顔を覗いてきた。 「熱があるんだ。昨日の名残がまだ抜けきれてないみたいで。そのまま寝てて。 もう少し楽になってから帰ろうか。僕も少しだけ仕事あるし」 頬を撫でられ、気持ちよさに思わず擦り寄る。 冷たい。落ち着く。僕…ほんとに熱があるんだ…… 昨日のことは鮮明に覚えてる。 もう二度とあんな正直にはならない。魔法の時間も過ぎたし。 って、熱ってことは…… 「昨日言ってた撮影会、明日じゃ駄目かな? 今日無理すると長引きそうだから。ね? お願い」 祈るように僕の手を両手で掴んでくる先生。 そうだ約束守れないじゃん。くそ、せっかく早めに済ませようと思ってたのに。もうこのまま流してもよくない? でも、ものすごく懇願している瞳には…勝てなくて…… 「……明日、すぐ撮りますからね」 「やった!ありがとう!」 (くそ、こういうとこだよ僕!) もっと強くならなきゃ。いくら耳や尻尾が見えるからって甘やかしたら駄目だ。ちゃんと躾けていかないと。 いや、別に先生は犬じゃないけど… 「それじゃ、ゆっくりしてて。 帰るのは龍ヶ崎の屋敷がいい? それとも僕の家? 僕も今日明日休みだから、ずっとハルちゃんといれるよ」 「…先生の家、行ってみたいです」 「OK。じゃあそうしようか。 学園に戻るのはいつも通り日曜の夕方ね」 「あぁーこんなことならもっと部屋綺麗にしとくべきだったな」と言いながら、仕事机に戻っていく。 まだ朝早い時間のよう。 病院内も静かで、クーラーの音と時計の音・外からの鳥の声が響く室内。 丁度いい温度の中、カーテンレースの隙間から溢れる太陽の光をぼんやり見る。 『ハルは、これからどうしたいの?』 ふと、旅行が終わる少し前アキから聞かれたことが甦ってきた。 あのとき僕は、『わからない』と言った。『まだ決めてない』『僕の人生は今から始まったから』と。 でも……今は。 今の、僕は 「…ねぇ、先生」 「ん?」 「ーー〝治療〟って、本当にできるの?」 あの日の夜の海で、この人は言った。 『ただ現状維持を望んでるからそれをしているだけ。 検診を治療に変えることだってできる』と。 一緒に過ごして分かった。この人は本当にこの体を現状維持している。 夜に話をしたときも。海で溺れたときも。昨日セックスをしたときも。 この体の現状維持ができるから、そういう加減で接する。 ーーということは、この人は本当に治療ができるのかもしれない。 治療の加減を知ってるから、現状維持の加減を知ってるのではないか。 僕の体は、みんなと同じように走ったり好きなものを食べたりが…もしかしたらできるのではないか…… 目を見開いてこちらを見た先生が、ニコリと深い笑みを浮かべる。 「ーーできるよ。治療 してみる?」 「…して、みたい……」 死ぬことばかり考えていた 僕が いつこの物語を去ろうかと思っていた 僕が まさか、生きてみたいと願うなんて (ほんと、はなはだおかしな話) アキとレイヤのこれからを見てみたい。 2人が龍ヶ崎をどうしていくのか、眺めていたい。 イロハとカズマも楽しみだ。 イロハはいま丸雛でどんどん新しい和菓子を作ってる。 カズマも当主である父の元、茶道の技術を継ぐべく必死になっている。 月森先輩は変わらず側にいてくれるだろう。僕らのことをずっと大切にしてくれる。 タイラは親の会社を手伝うべく猛勉強中。これからどんどん大きくなっていくんじゃないかな。 それこそ、将来龍ヶ崎や小鳥遊とも取引するくらいに。 そんなみんなの未来を、僕も想像してしまった。 見てみたいと 思ってしまった。 なにより、 (隣にこの人がいれば、安心かな…なんて……) みんなが僕の元から離れていっても、この人がいれば独りじゃない。 だから寂しくはないし、きっと大丈夫だと 思う。 それ ならーー またベッドへ近づいてきた先生が、意思の固まっている僕の瞳に微笑む。 「じゃあ早速だけど2ヶ月間学園休学してもらっていい? 検査入院しようか」 これまで出張という形で龍ヶ崎の屋敷内で検診してきた。 はっきり言って、ちゃんとした設備のある病院で調べほうが正確なんだろう。 まずは現状を理解し、それから的確な治療をする。 理にかなった行為。だけど…… 「2ヶ月でいいんですか?」 「うん、もうある程度は知ってるからね。合ってるかどうかの確認と念のための検査だから。 本来ならもっと短くてもいいんだけど、できる治療は早めに始めときたいから2ヶ月ね。使う予定の薬に慣れる時間も考えてかな。 ほら、これがハルちゃんの治療用のカルテ。いつそう言われてもいいように、もう準備済みだったんだ」 後ろ手に隠されていたファイルは分厚く、いくつもの付箋や紙が挟まっている。 「ーーっ、」 (そんなの、準備してほしいなんてひとことも言ってない…のに……) 短くないですか?の意味の「いいんですか?」だった。 それなのにこんなに用意されるなんて、そりゃ2ヶ月で充分なはずだ。 こんな…もしかしたら使われることなかったものを、こんなに準備していたなんて…… 「〜〜〜〜っ、ヨ、ヨーダイ…先生」 「……?」 「舌足らずで呼んでもいいよって前言ってたから、これから…そう呼ぼうかなって……」 「うわぁ待ってそれ最高」 「ぅ、っ」 「自分から呼んで照れてるのもやばすぎ。 ちょっともう一回、もう一回呼んで? 次はちゃんと噛み締めてから返事するから」 「ぃ、いやっ、その、これから何度でも呼ぶし……っ」 「ハールーちゃん」 ベッドに座り覗き込んでくる金髪は、相変わらず太陽のように輝いていて、それでいて蜂蜜のように甘くて。 そのトロリとした甘美な瞳に 赤くなりながら 「………っ、」 今日も僕は、どうしても勝てない耳と尻尾を想像して 口を 開くのだった。 -ハルとアキ- 中編(ハル編) fin.

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