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第4話 猫グッズを買い漁ろう
久瀬さんは背が高い。俺も背は高いほうだった。っていってもクライマーの中じゃ平均くらいか。世界の選手の中では小さいほう。それでもけっこう早いんだ。
コーチには目が良いって褒められた。道筋を追う目のこと。
それを言われて自分の進むべき道はちっとも見えていないのにって苦笑いがこぼれそうになったっけ。
目と、筋力、かな。海外の選手みたいに長い手足がないのはクライミングでは致命的でさ。すっごいハンデになる。それを目と筋力でカバーしてた。でも、その筋力がもうないけれど。壊れた肩にはそんな力はない。目だって、自分の将来の道筋にしか見つけられないような目に何が見えるんだかって話だ。
って、もうクライミングはやらないんだから、そもそも、こんなこと――。
「あ、これがいいんじゃないか?」
「……あの、大丈夫です。俺、ホント」
そう、久瀬さんは背が高いからさ。俺は人生初、サイズがでかすぎる服を着たんだ。裾も袖も、丈も余ってしまうから、服を買ってやるって。さすがにダボついてるのじゃ、あれだからと。洗ってもらった服が乾くのを待って、夕方、買い物に駅前のショッピングモールを訪れてた。
「いらないですよ、やっぱ」
「そうもいかないだろ。俺のじゃデカいし」
だって、数日なんだろ? 俺の記憶が戻るまでの数日、あそこに置いてくれるだけなのに、そんな俺用の服なんて買ってもらったらさ。
「お前のくれた金で買うんだからいいだろ」
なんか、ずっといていいのかと思っちゃいそうじゃん。
「けどっ」
「でもなぁ、お前、なんかすっごいセレブっぽいもんなぁ?」
「は? な、なんでっすか」
あーんな服着てんだもんなぁって、からかい半分で言われた。俺が昨日着てた服のこと。洗濯が終わって干す時タグを見た久瀬さんにめちゃくちゃ驚かれた。高級ブランドの服であんな地べたでうずくまってたのかよって。
服のタグのことまでなんて気がつかないっつうの。
「それにお前、ちょっと品のある顔立ちしてんじゃん」
「っ!」
言いながら大きな手で目を隠すために伸ばしていた前髪をかき上げられてしまう。
苦手なんだ。この目を見られるの。兄達は母親譲りのこの目とくに嫌ってたから。だから、瞳を覗き込まれて、なんかさ、心臓が口から出てきそうになったんだ。
「すげぇ色」
金色の瞳は俺も嫌いだった。
いや、正確には俺の家族だった人たちが嫌っていたから、俺も嫌いになった。明らかに、この家の中で自分は異物であると主張するような金色だったから。
「どこぞのお坊ちゃんだったりして」
「違いますよ」
「あ、思い出した?」
「お、思い出してませんっ」
本当に違うよ。俺の血は半分汚い異物なんだと、あれは一番上の兄が言ったんだっけ? 今は最年少の大学病院医学長のはず。二番目だったかな。二番目の兄は官僚トップ。でも、どっちに言われたのかなんて、もう定かじゃないけれど。どれにも嫌われてたから。
何かに秀でていなければならないと決められていた。兄は医者や官僚、親戚も皆、優秀だった。あの本家を成立させるための人材でなければ、あそこにいる意味なんてなかった。
俺はその家で、オリンピック選手という人材として雇われていたようなものだ。
「まぁいいや、これでかまわないだろ?」
「わっ」
かき上げて晒された異物の色を久瀬さんがその大きな手でぼさぼさにした髪が隠した。そして、久瀬は俺用にと選んでくれたLサイズのそれを持ってレジへと向かう。戻ってきたその手にはクリスマス仕様のビニール袋に入った俺用の服。
「ほら、スウェットセット」
「……」
「色は黒な」
黒猫だから? だったりして。
「黒猫、だからな」
「!」
俺の望みと、久瀬さんの言葉が重なった。
「安物だけどな。そんでもって俺の金じゃないしな」
安物でもなんでもいいよ。あんたのうちにいていいって言われてるみたいですごく嬉しかったんだ。
ねぇ、それがどれだけ俺にとっては嬉しいことなのか、あんたにはきっと想像もつかないでしょ。
「それにしても、お前、あんな高級ブランドの服を普段着にしてんだったら、絶対に金持ちだぞ。もしかして! 誘拐されるところだったんじゃ」
「は? 何言って」
「そんで、犯人のもとを逃げようとした時、争いになってさ」
その拍子に、頭をどこかに打ち付けて、記憶喪失に。これは大変だと犯人たちが慌ててる隙に、セレブな俺、カッコ仮名クロは逃走。けれど、記憶をなくした俺はどこに向かえばいいのかもわからず。歩いて、歩いて、歩き疲れて、あそこにうずくまっていた。ほら、それなら、財布がないのもうなずける。きっと今、犯人の手元にあるに違いない。両親が泣きながら息子を返してくれと身代金を用意しているかもしれない。
「っぷ」
「笑うなよ。あながち冗談じゃないかもしれないぞ? 実際、記憶喪失なんてこと自体があったんだから。事実は小説よりも奇なり。誘拐のほうがよっぽど現実味のある話だろうが」
だって、笑うさ。そんなこと絶対にないんだから。あの人たちが、もう用のない俺に金を出すわけがない。オリンピック選手としてだったら出すかもしれないけれど、それが不可ってなれば、ホント、驚くほど簡単に切り捨てると思うよ。
「さすが小説家っすね」
「いやいや、その笑い方、バカにしてんだろ」
「してないです」
本当にしてないよ。あんたの小説のファンだもん。むしろ、あんなに家事できないくせに、よく作中でリアルな生活観をかもし出せるなって感心したくらいだよ。
「ったく」
久瀬さんがこういう人だなんて思わなかった。なんかさ、思っていた感じとは違うけど、それもなんかいいなぁって。
先代の黒猫がうらやましい。しばらくだろうと、この人と一緒に暮らせてたなんてさ。
「あーちょっと待った」
「っ!」
びっくりした。首のところを掴まれて、本当に猫みたいにされて、引き止められた。
「もう一箇所」
「?」
「あっち」
先代の猫も、こんなふうに首根っこ捕まれてたのかな。
「はい、これは俺からのプレゼント」
「……あ、あの」
手渡されたのはチラシ広告に包まれて、ペラペラのビニール袋に入れられた。
「マグカップ」
「……」
「いるだろ? お前専用のがさ」
選んでくれたのは真っ黒な陶器の、そして、金色の吊り大きな猫目がふたつプリントされている。
「ほら、クロ、行くぞー。腹減った」
「あ」
「クーロー」
「あ、うんっ」
貴方が百円と八円で買ってくれたのは、クロ専用のマグカップ。
慌てて追いかけると安い薄いペラペラのビニール袋もガサゴソと慌しく騒いでいた。
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