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第13話 猫はどうしても追いかける

「あ、あの……」  なかば連行状態でうちに連れ帰らされた。有無を言わさず。寄り道も禁止。ただ真っ直ぐ、うちへ。帰って、そんで、俺は、まるで宿題を忘れて叱られた小学生みたいに、玄関のところに立ったまま。靴を脱ぐタイミングすら見失って、かなり怒ってる久瀬さんに対して、どうしようかなって。 「……今日は、早く帰れって、朝言ったよな」 「……けど」 「アキに聞いたら、お前が無理に仕事詰め込んでるらしいっつってたぞ。頼んでるのはお前のほうだって」  だって。 「そんなに、いやならイヤって言えばいいだろ」 「は? 何が? あの、久瀬さんっ」  あんたは困るだろ? 「金貯めて、ここを出たいんだろ」 「は? 何、それっ、ちがっ」 「じゃあ、なんであんなムキになって金稼いでんだ」 「それはっ」  男の俺が、彼女持ちのあんたを好きでいたら、困るだろ? 「気色悪かったか……」 「何? 久瀬さん、何言ってんの?」  優しい人なのは充分わかってた。優しい人だから惹かれた。優しくて、あったかくて、俺にとってはオアシスみたいな人だった。恋愛小説家のあんたにしてみたらとても陳腐な表現なんだろうけどさ。  久瀬さんは、俺にとって、カラカラに乾いた砂ばかりの茶色い世界にあったオアシスだったんだ。 「俺のこと、気持ち悪かったんだろ?」 「は? 何それ、意味がわかんないっ」  カラカラに乾いた俺の全部が潤って、内側まで沁み込んで、そして、溢れるほどたくさんの感情を、気持ちを教えてくれた。  そんなあんたのことをどうして気持ち悪いなんて思うんだ。気色悪いわけないだろ。 「俺が、ゲイで、お前のことが好きだから」  あんたのこと、こんなに好きなのに。 「驚いただろ?」  たまらなく、好きなのに。 「……ごめんな」 「……」 「気持ち悪い思いさせたな」  久瀬さんが、苦しそうに笑った。眉毛をこんなに下げて、寂しそうに笑いながら、俺を見て、手を伸ばした。 「あ、あのっ」  けど、その手は引っ込んじゃって、俺に触ってはくれなくて。 「あのっ、アキ、さんは?」  だから、俺は慌てて言葉でその手を追いかけた。引っ込められた手を引っ張り出すように、急いで玄関に靴を脱ぎ捨てて上がった。 「は? なんで、アキ?」 「彼女、でしょ?」 「は、はぁぁぁっ?」  だって、酔っ払ったあんたをここまで送ってきたじゃんか。水商売で、お客相手にそんなことしないだろ? タクシーに乗せて、バイバイって感じなんじゃないの? それをわざわざ重たいって文句を言いつつもちゃんと送ってた。  しかも一回だけじゃなくて、もう何度かそうやって面倒を見てあげてるっぽかった。  この部屋にだって来たことあるっぽかったし。 「綺麗な人じゃん」 「……」 「あの香水の匂い、何度か嗅いだ」  俺を拾ってくれた日も、あの匂いがした。不思議だったのは、あの時は「甘い」だけだった匂いが、会う度に、鼻先を掠める度にどんどん「胸焼けする甘い匂い」になっていったこと。 「仲良さそうだった」 「……」 「それとっ」 「あれ、男だよ。まぁ、俺もゲイだから、男が恋愛対象だけど、あいつは違う」 「………………えぇぇぇっ?」  久瀬さんは溜め息を吐くと、後ろに束ねていた髪を手でくしゃくしゃにかき混ぜた。 「女装」 「あ、アキさん、が?」 「あぁ。本名は、昭典(あきのり)」 「……」 「そんで、ただの友達」  あの人が、男の人? 「声、わかんなかった」 「あぁ、あいつ、昔から高かったんだ。ボーイソプラノってやつ? 小中高まで一緒だったんだけど」  その地元の合唱クラブじゃ天使の歌声って言われてたんだって。顔も中性的だったから、そりゃもう大人気。だからいまだに声は高い。でも、本気で怒るとちゃんと男声になるらしい。 「え、じゃあ、働いてるクラブって」 「まぁ、女装クラブ、だな」 「……」  あんまちゃんと見てなかった。そんなん看板に書いてあった? もう寝不足と疲労と悩み事で頭の中が綿菓子みたいにふわふわしてたから。  俺らが任されるのは開店前の仕事だから、スタッフにはほとんど会うことがない。アキさんひとりじゃさ、女装だなんて見抜けるわけない。 「ちなみに、お前を雇ってくれたの、アキの兄貴な」 「ええええっ!」 「小学生の頃は兄貴そっくりだった」  おっさんじゃん。リーダーとアキさんが兄弟? 兄妹? とにかく血縁があるなんて気がつくわけがない。  あぁけど、それなら色々納得がいく。どうして日計算の現金払い支給ができたのかとか、身元のわかるものを一切出さなくても平気だとか。けっこう我儘を言わせてもらえてたし、それにさっきだって、この前だって、自分の職場みたいにあの人は顔を出してたから。 「まぁ、そういうわけだ」 「……」 「なんで、お前が仕事をすげぇ詰め込んで帰ってこなかったことと、アキが関係あんのかわかんねぇけど」 「あ、あのっ」  今度は、言葉だけじゃなくて、手でこの人を追いかけた。 「……あの」  手を掴んでしまった。 「あの、さ」 「……あぁ」 「そしたら、俺のこと、抱けたり、する?」  掴んでしまったあとで、この手をどうしたらいいのかわからなくて、途方に暮れかけるけど。 「……は? お前、何言って」 「俺のことっ! 抱け……ない?」  けど、さっき、好きと言われた――はず。寝てなくて、ヘトヘトで、しんどいほど疲れてるけれど、自分の勝手すぎる妄想が暴走した可能性もないわけじゃないけど。 「俺、久瀬さんのこと、ずっと好きだった」 「……」 「だから、ずっと」  この手はまだ振り払われていないから、あったかいものに触れたままでいられてるから。 「ずっと、あんたに抱かれたかった」  振り払われるまではしがみついていようと思った。

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