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第18話 ほろ苦コーヒー
「お前、案外タフだなぁ」
「……そ? はい。コーヒーどうぞ」
熱いから気をつけてと、手渡さず、久瀬さんのそばに淹れたてで良い香りが漂うコーヒーを置いた。だって、大事な指が火傷したら大変だからさ。そして、俺はいそいそと定位置であるソファの上に座る。まるで下は海とでも思ってるみたいに、足を下ろさず、ソファの上で膝を抱え、湯気の立つコーヒーの表面に、ふぅ、と息を吹きかけた。砂糖が入ってるのはちょっと苦手だ。ずっとブラックか、入れてもミルクだけだったから、やっぱりそっちのほうがしっくりくるっていうか、後味の甘さだけが喉のところに残るのがあんまり好きじゃない。今日は、ミルクだけ入れてみた。久瀬さんのと同じクリームの混ざったブラウン色。
そんな俺を見ながら、照れ臭そうに久瀬さんがせっかく束ねた長い髪をぐしゃぐしゃと大きな手で掻き乱した。
俺は、本当は、ちょっとだけ、その、昨日と今朝したとこが、変な感じはしてるよ。内緒だけど。
痛くはない。ちっとも。
なのに、今日は安静に、なんてさ。買い物も料理も全部久瀬さんがやるなんて言うから、どこも変じゃない、大丈夫だって言っちゃったんだ。そうじゃないとあんたの執筆の邪魔になる。
初めてだからって、こんなに大事にしなくても平気だってば。
だから、変と違和感とか絶対に言わない。言ったら、あんた、加減しそうじゃん。優しい人だからさ。優しくて、汚いガリガリに痩せた黒猫も、図体のでかい雄の人間も、拾ってきてしまう人だから。
それにね、実は、この違和感も嬉しかったりするんだ。
「がーっ! お前なぁっ!」
「っちょ、何? 俺、邪魔した?」
「ちっげーわっ! なんで、そんな可愛い顔なんてすんだよ」
「は?」
これは、あんたが、昨日と今朝、俺の中にいたんだっていう証拠。俺の中をたくさん何度も、暴いたって実感できるから。だから、いいんだ。加減しないで欲しい。
「可愛いわけ、なっ」
「あるんだよ。そんな可愛い顔すんな。可愛がりたくなる」
「っ……」
首根っこを掴まれ、引き寄せられ、そのまま下から久瀬さんにキスをされた。ちゅって、触れて、少しだけ啄ばまれて、小さく甘い刺激に昨日あんたがいた俺の奥のところが反応する。
下からキスされるのは、慣れてる。女の子は皆俺より背が低いから、彼女が首を伸ばして、俺は首を傾げて、そしてキスを、した事が何度もある。何度もあるけれど、こんなキスは、したことがない。
ただ触れて啄ばまれただけで、唇がやたらと繊細になるようなキスは、久瀬さんとしかしたことがない。腹の奥底が、あんたがいた場所が疼いて、きゅんって縮こまるような敏感なキスは。
「ったく、可愛いな」
「……」
ねぇ、次、あんたが俺を抱きたくなった時には、また激しくして欲しい。
「可愛くないよ。身体だってさ。その、昨日、俺の身体、平気だった?」
筋肉質で硬くて、抱き心地なんて良くなかったと思う。あんたの今まで抱いてきた相手に比べたらどうなんだろうって考えるよ。否がおうにもさ。
「それに、ホント大丈夫だから。仕事、明日からまた頼まないと。ちゃんと」
「あのね、ヘーキだっつうの。金のこと気にすんな」
「けどっ!」
「まぁ、贅沢はさせられないけどな。売れっ子作家じゃねぇからよ」
知ってる。申し訳ないけど、久瀬さんの小説全部電子持ってるけど、でも、ヒット作には到底及ばない。だから、心配してるんだ。俺一人分を追加で養ってくっていうのは拾った猫よりもずっと金がかかるだろ? だから、やっぱり俺も稼いだほうが。
「あんま自慢になんねぇけど、小説だけじゃ食ってけないからな」
ほら、やっぱそうなんじゃん。
「だから、副業やってんだよ」
「え!」
「酔っ払ってアキに送ってもらった日あっただろ」
「…………えぇ?」
「バッ、バカ! ちげぇよ! 女装で接客バイトじゃねぇよ」
でも……そう呟いたあと、久瀬さんが顔を真っ赤にして長い髪をぐっちゃぐちゃに掻き乱した。そのために長くしているわけじゃないって。
だってさ、そう思うでしょ。
女装しているアキさんと、そんで、久瀬さんの長い髪と、って、ほら、そっちに想像が傾くのは仕方ないでしょ。
「あの日、出版社行ってくるって」
「あ、うん」
「あれ、打ち合わせ。そのシナリオライターとしてのな」
「えええ?」
びっくりだ。久瀬さんがシナリオライター? そんなの知らない。あんたはお世辞にも売れてないから、のんびり待ってちゃ新刊の発売日なんて逃しちゃうから、久瀬成彦って文字がどこかにあったらすぐに反応できるようになったのに? それなのに見逃した?
「別名義でな」
「へ、へぇ」
そうなんだ。それじゃわかるわけない。久瀬さんってSNSの類一切やってないし。実際、一緒にいてもスマホほとんどいじらないから、むしろ、タブレットを使ってることに驚くし。
「乙女CDのシナリオライターだからさ」
「へぇ、ええええっ!」
「おわっ、でかい声出すなよ。びっくりするだろうが」
びっくりしたのはこっちだよ。久瀬さんが? 乙女シナリオ書くの?
――クロ、お前ン中、すげぇ、しゃぶりついてくる。
――あ、ぁっ、だって。
――中まで、お前って可愛いのな。
「………………」
思い出しちゃったじゃんか。昨日の、バックでしてた時、久瀬さんが耳まで真っ赤になって腰をくねらせる俺に笑って、背後から突きながら、声でも俺のことを可愛がってくれた時のこと。
――ほら、前も、気持ち良さそうにしてる。
――あぁぁっ、やだっ、乳首も一緒にしたら、俺っ、またっ。
――いいよ。何度でもイって。
「…………」
「お前、今、すごく思い出してたろ」
「っ!」
「そこまでのじゃねぇよ!」
「違うのっ?」
そうなんだ。
「なんでそこで残念そうにすんだよ」
「だって、久瀬さんのシナリオって、なんか」
「あのなっ、別に、俺がアフレコしてるわけじゃねぇからな」
あ、そっか。そりゃ、そうか。
でも、もしもアフレコが久瀬さんだったら、ちょっと、俺。
「けっこう人気でさ。また、依頼したいんだそうだ。三作目。まぁ、そんなわけで飲みすぎてた」
「……?」
「作家、だかんな」
そこにあるジレンマから出版社との打ち合わせの時は飲みすぎてしまうんだそうだ。作家なのに、シナリオライターのとしての自分が重宝されている。けれど仕事は仕事。割り切るべきだと思いつつ、作家の自分が憤慨する。
「同じ文章の仕事でも違うからさ」
「……」
「小説とシナリオじゃ」
地の文がある小説と、台詞だけで全てを伝えるシナリオでは根本的に違う。だから、シナリオの仕事をすればするほど、小説から離れていくようで、焦りも感じてた。
「けど、あの日は、なんか、違ってた」
「?」
「お前が、ラーメン作ってくれたから」
「俺?」
「あぁ」
「なんで? 俺、なんも」
「してくれたんだよ。お前が」
何をしてあげられたんだろう。俺はあんたに何を? そう考えていたら、また首のところを引き寄せられて、キスされた。今度は舌を少しだけ入れてくれる感じの。コーヒーの味がした。
「明日も、打ち合わせなんだ」
「……」
「その第三弾ってことで書いたやつ。まだ、ここから手直しは入るだろうけどな。草案ってやつだ」
ぎしりと、ソファが軋んだ音を立てたのは、俺だけじゃなくて、そこに久瀬さんも乗り込んできたから。下はきっと水が満ちている。だから、ふたりとも地べたに足をつかないように浮かせて、そして、そのままソファの中に沈むようにキスをする。
「ン……久瀬さ、ん」
「だから、明日はちょっと出かけてくる」
久瀬さんのコーヒーは砂糖もミルクもないっていないのに。
「ん、わかった。そしたら、俺、すぐ食べられるようにラーメンしたごしらえだけしとくよ……」
何をしてあげられたのかはわからないけど、でも、ラーメンでいいの? かな、その時俺がしてあげられたのなんて、その程度のことだ。
「あぁ、頼む」
なんでもするよ。あんたのためなら、俺は、なんだって。
また沈むように、口を開いて舌を絡ませ交わるキスをしたら、ほろ苦いはずのコーヒー味のキスが、デザートみたいに甘かった。
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