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第19話 居眠り姫は眠れない

 今日は出版社の都合で夕方からの打ち合わせだった。終わるのが六時半って言ってたけど、ちょうど、その六時半頃に家の電話に久瀬さんから電話がかかってきた。スマホを捨ててしまったし、持っていない名無し、ってことになっている俺への連絡手段はと少し古めかしくて、この家電話くらいしかない。  今、ちょうど、時計は九時をすぎた。  編集担当者が晩飯を一緒にどうかと誘ってくれたんだって。時間的にちょうどよかったんだろうなって、電話の向こうが騒がしかった。屋外、かな? わからないけれど、久瀬さんが教えてくれた。そして、相手を待たせないようにと思ったんだろうか、いつもより早口で久瀬さんが言ったんだ。 『今日はあんま遅くなんねぇようにするから』  そして、電話は切れた。  そんで、俺は、慌てて、CDをセットした。  買ってきたんだ。  買ってきちゃった。  あの人は知らないから、俺があんたのファンだなんてこと知らないから、わかってないんだろうけど。 「…………」  あんなん言われたら、聞きたくなるに決ってる。  レンタルもダウンロードもできないから、買ってきた。日払いで稼いだ金ならあるから、それで、今日、久瀬さんが出かけた直後、ダッシュで駅前のショップ行って買ってきた。  乙女CDっていうやつを。 「タイトル、居眠り姫……」  駄洒落? 眠り姫みたいな?  快眠系、ってことになってるらしい。乙女ゾーン? みたいなところに色々、本当にいろんなのがあったけど、これは快眠系なんだそうだ。でも居眠りっていってるから、寝る時というよりも、通勤途中とかに聞けたりするっぽい。短い話がトラックごとに詰め込まれてる。 「なる……」  久瀬さんのシナリオライターのとしてのクレジット名は、なる・K、性別とかがわからないようにとしたらしい。最初、収入の足しになればと思って始めたけれど、それを本業にするつもりは、今もだけれど、その依頼を受けた当時からなかったから名前は適当に決めたんだって。 「あ、あった。……すご、いくつもじゃん」  数えたら四つもあった。居眠り姫シリーズ脚本、なる・Kってなってるのが。  チラッと時計を見て、遅くならないといっていた時間がどれだけ遅くならないのかわからないし、久瀬さんがいる時は聞けないからと慌ててそれをセットする。  一つ目は、残業中の休憩、って言うシチュらしい。 『バカだなぁ、お前、こんなの一人でやったって終わるわけねぇじゃん』  始まった! そう思って、ベッドの上でかしこまった。 『バカにバカつってわりぃかよ……ん……んー、ほら! 早く出せよ。俺も手伝ってやるからさ』  たぶん同期の男とかなんだろう。残業になった主人公? が一人黙々と作業していると、彼がやってきて、そんで手伝ってくれる。一日、この仕事と一人ぼっちで格闘し続けてた主人公は口が悪いけど、でも、本当は優しい同期に疲れが癒されて――みたいな。 『いいって……お前、一日頑張ってたじゃん。俺、見てたよ、ちゃんと、お前のこと』  久瀬さんの声よりも少し弾けた明るい声だけれど、ゆっくりと段々声のトーンが落ちて、しっとりとした雰囲気になっていく。 『寝とけよ。気にすんな……』  ぶっきらぼうで、でも、優しいとこが久瀬さんに似てた。笑いながら俺をからかってくるけれど、でも、ふと顔を上げるいつも目が合う。見ててくれる。そして、目が合った拍子にくしゃっと笑うんだ。その笑顔が、たまらなくてさ。 『おやすみ……』  久瀬さんの言葉だって感じた。 「……」  ちょっと、照れくさくて、まだこれが一つ目なのに口元を覆って、溜め息を零してしまう。 「……って、帰ってきちゃうって!」  イヤホンとかは、したいけど、しちゃったら久瀬さんが帰ってくる時がわからないから。だから、思いっきりオープンで好きな人の書き綴ったカッコいい台詞に身悶えないといけなくて、これはこれで修行じみてるなぁって。 『ほら、こいよ。髪、拭いてやる』  次のは、お風呂上り、っていう設定。 『お前の髪って、柔らかくて、俺、好きだ』  これも、久瀬さんが作った台詞。 『くすぐったい? って、ちげーよ。くすぐってねぇし。髪、性感帯なんじゃね?』 「……」 『ほら……』  ――クロ。  あ、なんか、やばい。久瀬さんの声になっていく。この声優さん、声が低くて、語尾が少しザラついた感じが久瀬さんにちょっとだけ似てて。 「っ」  思い出す。  ――クロ。  あの人の声で、甘い台詞が聞こえてくるみたい。  だって、昨日の夜はしなかった。男同士のセックスは受ける側に負担がかかるからって、キスだけで寝ないといけなくて。そんなの無理でも負担でもない。ただの我慢だ。あんたと同じベッドで寝てるのに、もう中で感じるあんたの熱さとか知ってるのに、そんな――。 『やっぱ、お前が敏感なだけだろ』  久瀬さんに言われてるみたいに耳が悦ぶ。  昨日も欲しかったけど、久瀬さんはそうでもないのかもと思って、俺は寝た。けど、やっぱ。 『ぴくん、ってした』  欲しい。 「あっ」 『感じた?』  ――クロ。 「ぁ、う……ン」  目を瞑ると、俺を抱いた時の久瀬さんがすぐに目の前に現れてくれた。 「ぁ、久瀬、さんっ」  あの人の手は俺よりも大きくて、握られるとたまらなく安心した。扱いてもらいながら、もっと包み込まれる感じがして、あったかくて。 「ぁ、あっ」  ――クロ、ここ、ヒクついてる。 「あ、ンっ」  バカになったみたいだ。俺。久瀬さんとしたセックスのことで、頭がいっぱいになってる。あの人の掌を真似て、あの人の。 「…………ン」  骨ばってて長い指を想って、自分では触れたこともないそこを、先に握ってつけた先走りで濡れた指で撫でた。  ――力抜いて。 「ぁ、久瀬、さんっ」  久瀬さんの枕に鼻先を押し付けて、四つん這いで、やったことのないことをしようとしてる。オナニーだけど、こんなとこ、いじったことは。 「ぁ、久瀬さんの、指っ」  なかったのに。 「ぁ、あっ、久瀬さっ……」  あの人の指の真似をして、そこを慰める。 「ん、んっ」  ――そう、いい子だ。そのまま、こっち見てろ。  目を瞑って、あの人のことだけ想って。 「あぁっ……ン」  ――クロ。  キスが欲しい。枕にじゃなくて、あの人の唇にキスしたい。  指、挿れて欲しい。あの長い指に暴かれたい。  名前を、呼んで欲しい。あの低くて、たまに意地悪なことを言う声で、俺の名前を。 「クーロ」  呼んで欲しい。 「お前、何、可愛いことしてんの?」 「え? ぁ、なんでっ」 「クロ?」  チャコールグレーのコートを着たままの久瀬さんが、いつの間にか背後にいて、長い髪をかき上げて、意地悪く笑うと、低く語尾のザラつく声で、俺のことを呼んだ。

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