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第23話 恋人の指先
――黒猫を拾ったんだって、話してたわ。
大きな黒猫。すごくおとなしそうなんだけど、けっこう天然で、観察してると面白くて、つい目がいってしまう。でも、あまりジッと見すぎるのは禁物。向こうが気がついてしまったら、慌てて目を逸らして困った顔をするから。観察するのにも技がいる。
喉のところを撫でてやると気持ち良さそうにするから、嬉しくてついつい手が伸びるんだ。
――って、鼻の下をでれでれに伸ばしながら言ってたわ。まさかその黒猫が人間の雄のことだとは思いもしなかったけど。
アキさんはそう言って、その時の久瀬さんのことでも思い出しているのか、遠くに視線を向けながらくすくす笑っていた。
――だから、あの晩、どんな黒猫ちゃんなんだろうと興味本位で部屋まで運んでやったんだって。
でも、あの時、アキさんは、いつもそうしてあげてるようなことを言ってたのに。
そこが大人の悪知恵ってやつだ、って笑っていた。
部屋を開けた瞬間、そこにいたのは若い男の子、もちろん人間の。
――ピーンと来ちゃった。
だからわざと、久瀬さんと付き合っているようなニュアンスに取れることを言ってみたらしい。そして、そんな大人の悪戯に思いきり引っかかって、思いきりライバル視をしてくるのが可愛くて可愛くて。
――これはもっと見たいぞって思ったわけよ。
仕事を紹介して、久瀬さんの可愛がりっぷりと、ドラマチックなほどにすれ違う両片思いを堪能したかったって。
――出版社に行くとね、いつも、シナリオの仕事のほうが比重も編集者のテンションも高くて、それがイヤなんだろうね。作家なのにって。で、帰ってから自分が何を書くべきなのか、何を書く者なのかを見失うって言ってた。だから、深酒してたのに。あの日はそういうお酒じゃなかったのよ。だからついていったの。ね、この前、クロ君をさらいに来たでしょ? あの後、ラブラブになったと思ったのよー。でも、それからぱったり来ないんだもん。
久瀬さんが、アキさんのところをずっと尋ねないから。早く来いって、皆で待ってたんだって。
「はぁ、酔ったなぁ」
――あの日の成の様子? うーん、とても楽しそうだったし、嬉しそうだった。出版社の帰りとは思えないくらい、よく笑ってたわ。
あんなに笑ってる久瀬さんを見たのは久しぶりだったって。
「クロー!」
アキさんが言ってたよ。
「うん。なに……久瀬さん」
「これ」
少し足元がおぼつかないあんたが振り返ると、黒い革の手袋を見せ付けるようにグーパーグーパー、って。
そして、冷たい師走の夜風に、長い黒髪が揺れて、今日は綺麗に光ってる月の明かりに照らされた。
「ありがとな」
「……」
「あったけぇ」
――無邪気に、うちの黒猫が、うちの黒猫がって、言ってたわ。
「久瀬さん!」
「んー?」
「あのっ」
ねぇ、俺のこといつから気に入ってくれてた? どこの誰ともわからない俺のこと、いつから。
「初めて見たよ」
「……え?」
「俺の書いたドラマCDを買う人を」
「……」
「嬉しかった」
ふわりと笑って、細められた瞳にはたまらなく優しい光が満ちている。
「嬉しいと思えたのは、お前のおかげだ」
「俺?」
「あぁ」
はっきりとそう答えて、久瀬さんが拾ってきたお気に入りの黒猫の顎をくすぐる。
「あの日、ラーメン作ってくれただろ? 嬉しかった」
「……」
「コーヒーをちびりちびり飲むお前が、可愛かった」
「……」
「バイト始めてから、なんかよそよそしくなったのが、もどかしかった」
「!」
「金色の瞳を、綺麗だと思った」
くすぐられて、くすぐったいのに、もっとして欲しい。
「気に入ったのは初めからだ。じゃなくちゃ、大富豪でもないのに、見ず知らずの男にしばらくいても良いなんて言わないだろ?」
あんたの指先は優しいのに、少しゾクゾクする。
「その見ず知らずの男に、しばらくどころか、ずっといればいいと思ったのはいつ頃だったかなぁ」
「……」
さっき、アキさんにたくさん聞いたよ。あんたのこと。たぶん、聞かれてもいいと思ったから連れていってくれたんだと、そう思って、俺は遠慮もせずに、たくさん聞いてきたんだ。
あんたは作家のくせに自分のことはあまり語りたがらないから、アキさんが代わりに色々教えてくれた。
作家とシナリオライターとの間を行ったり来たりすることへの思いも聞いた。
たくさん、本当に、あんたからはきっと聞けないだろうことを教えてもらえた。恋愛小説家なのに、恋愛がとても下手なことも。
――あとね、あいつって、お気に入りは隠したい派なのよ。誰にも見せたくないの。だから笑っちゃったわ。クロ君を見せまいと私たちを威嚇するんだもん。あら? これは、って皆で目を輝かせちゃったわよ。
「俺はっ!」
「クロ?」
「俺はっ、久瀬さんのこと、ずっと好きだった!」
「……」
ぎゅっと袖のところを掴んで捕まえても、誰にも可愛いなんて思われないだろうけど。別にいいんだ。
「ずっと、すごく、好き」
あんたに可愛いと思ってもらえたら、それでいい。
俺のことを「うち」って言ってくれたの嬉しかった。惚気、って言ってたけど、そのでれでれしてるとこ、録画しておきたかった。そしたら百万回だって見られるのに。
「なぁ、クロ」
「?」
「俺、初めてだよ。見せびらかしたいと思ったの」
「……」
「惚れた相手を、言いふらしたいと思ったのも」
普段は顎のとこ、猫が喜ぶところをくすぐる久瀬さんの指が、顎のラインをなぞってから、耳朶に触れ、そしてうなじを撫でてくれる。
「お前が初めてだよ」
そのうなじに長い、至宝の指先が食い込む。引き寄せられて、待ち構えていた唇にキスをされた。
「……ン」
恋人の指先に変わる。そして――。
「可愛いなぁ」
あんたにそう言われて、胸が高鳴った。
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