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第25話 初めての場所

 今年って、雪降るかな。毎日、天気で洗濯物が良く乾くから嬉しいけど、雨も降ってないもんな。  そう思って、窓から空を見上げた時だった。 「クロ、明日、デートしようか」  久瀬さんが、毎日天気がいいからって、今も快晴、真っ青な空を俺の隣で見上げて指をさす。 「どっか、行きたいとこあるか?」  そして、笑いながらそう言った。 「おー、さすが、十二月、平日でも混んでるなぁ」  俺は、遊園地に行きたいって答えたんだ。 「クロ」  久瀬さんと遊園地に行きたいって。ずっと行ってみたかった場所のひとつだった。遊園地。楽しそうでさ、子どもの頃、憧れの場所だった。  皆が楽しそうで、笑顔で、俺の欲しいものがたくさん詰まっている気がしていた。  だから、彼女ができると、デートで最初に選ぶ場所は大概ここだったっけ。 「どうした?」  でも、来る度に落ち込んだ気持ちになった。 「そんな、ぽかんとして」  何度来ても、どんな彼女と訪れても、俺が見たことのある、あの楽しそうな笑顔に自分だけがなれなかったから。はしゃいで笑う彼女を見ながら、何がそんなに楽しいのかと思ったことだってあるほど、ここは「たいした場所」ではなかった。 「きっと何度か来た事あるんじゃないか? お前」 「……」 「モテてただろうからな。アキもそう言ってただろ? ブイブイってやつだ」 「何それ」 「あー? お前、そのブイブイを死語扱いすんのなぁ」  正面入り口には花壇、見事な花がぎっしりと咲き誇るそこは、今、ちょうど一年でも一番盛大に盛り上がっていると思う、クリスマス仕様に飾られていた。ポインセチアの鮮やかな赤と緑、金色の音符マークがキャラクターの周りで踊っている。軽やかに聞こえるバックミュージックも全てクリスマスソングだ。まだ、もう少し先なのに、ここはクリスマス当日みたい。  この時期に来た事も、あるけれど。 「ないよ」 「クロ? なんか言ったか?」  はしゃいだ笑い声とクリスマスソングに邪魔されて聞き取ってもらえなかったから、今度ははっきりと告げた。 「ここ、来たことない」  そう、言った。  だって本当にない。俺の知っているここはこんなに楽しい場所じゃなかった。 「ねぇ、久瀬さん、写真、撮りたい」 「え?」 「ダメ?」  男同士で、そんなのやっぱ、さすがにアウトだった? でも、この花壇のところで、あんたと写真を撮ってみたかったんだ。 「やっぱ、なんでもない。どっかにパンフレットとかあるかな。俺、探し、て……」  首根っこを掴まれた。そしてよろけた俺を受け止めてくれたところで、パシャって、音がした。 「その、スマホで二人写すってなると、気恥ずかしいだろうが。ほら、あの自撮り棒っつうの? 持ってねぇし」 「……」 「あと、俺は自慢じゃないが、写真でカッコよく写れた試しがないからな」  仏頂面で、久瀬さんがいそいそとスマホをポケットにしまってしまう。 「今、見ないの?」 「あとでな」 「……今は?」 「ダメ、あとで、加工して俺だけ男前にしてから見せてやる」  アプリ使って自撮り画像の加工なんて絶対にできないくせに。タブレットだって執筆で使うだけ。他の用途で使っているのを見たことがない。久瀬さんの毎日は執筆とご飯と風呂、それから、読書。テレビもインターネットもほとんどしない。たまに、映画を見るけれど、それはとても稀なことだ。  このネット社会で嘘みたいにアナログな人。 「もう充分男前じゃん」 「本物の男前に言われたかねぇよ。ほら、行くぞ。どこから行きたい?」  あ、でも、今朝、珍しく執筆ではなくタブレットを開いてた。  画面には太陽のマークが並んでいた。天気予報を見てたんだ。普段、そんなのもあまり気にしない人なのに。あのうちで天気予報を気にしてるのは、西向きのベランダで洗濯物が乾くかどうか、家政婦も兼ねている黒猫だけ。 「あ、そしたら、これ乗りたい」 「……」 「久瀬さん?」 「……お、おォ」  指差したのは園内入ってすぐ、真正面に聳え立つ大きな岩肌が無骨な山。そこの噴火口から飛び出るようにジェットコースターが落っこちてくるんだ。 「……ぉぉ」  本当にまさに落ちてくるっていう表現がぴったりくる。 「久瀬さん、ああいうの、ダメなの?」 「ぉ、お前こそ、平気なのかよ」  大丈夫だよ。高いところも、落ちそうな恐怖感も、慣れっこだったし。落ちるのだってクライミングで慣れっこだ。滑れば落下、もちろんベルトはついているから本当に落下してしまうわけではないけれど、別に恐怖することはなかった。  だから、ワクワクはしなかったよ。 「わからない」 「だ、だろ? ああいうのは、色々段階を踏んでからだなぁ」 「わからないから、行ってみよう!」  まずは軽いとこから攻めていこうだなんて呟いてる。何か、ジェットコースターに辿り着くまでのコースが久瀬さんの中にはあるらしいけれど、俺はそれを放り出して、この人の手を掴むと、ずんずんと前へと力強く歩いてく。 「ぉ、おい! クロ!」  わからないよ。本当に。  こんなワクワクした気持ちでここに来たことはない。この石畳の道をこんな弾んだ気持ちで歩いたことは一度もない。  だから、わからない。 「大丈夫? 久瀬さん」 「ちょ。ちょ、タンマな? ちょっとだけ、な?」  膝に手を突いて、数回、地面に向かって深呼吸をしたあと、久瀬さんが手近なベンチへと腰を下ろした。ちょうど、ジェットコースターを降りてすぐのところ。腰砕けになった人はさぁここで休んでから行きなさいといわんばかりの場所にぽつんとあるベンチ。 「うん」  そこに座って、久瀬さんは心拍数を下げることに努めている。 「はぁ」 「あ……、俺、このあとは、あっちのに乗りたい!」 「え? あ、あれ? 真っ暗でなんも見えねぇぞ」 「久瀬さんがいるじゃん」 「あ、ままま、まぁな、ってなんで、おい、笑ってんだ。お前なぁ」 「だって」  だって、こんな可愛い久瀬さんが見られたら、笑うよ。 「だって」 「だってじゃねぇ!」  真っ赤になって照れくさそうに仏頂面をするあんたなんて、初めて見たんだから。

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