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第32話 雨音、甘音
冬なのに、雪じゃなくて雨になった。
しとしと、しと……外に出るととても寒くて凍えるほどなのに、雪にはならなかった。今日明日、雨が降ったり止んだりなんだってさ。
久瀬さんは朝、その天気予報を知って、せっかく、ボーイのバイトが休みなのになって笑った。
俺は、朝、その天気予報を知って、じゃあ、洗濯物外に干せないやって思った。雨でも、雪でも、どっちでも関係ない。そのどっちかで、外に出るのが億劫になるのは嫌いじゃないから、かまわない。
外に出てもいいけれど、外に出たくないっていう感じがさ、ゆるく、でもそっと、貴方のことを拘束できる檻っぽくて、気に入ってる。
「……映画でも、見てるか? 昨日、借りてきたやつ」
「んーん、平気」
コーヒーの入ったマグを持って、俺はソファの上。久瀬さんはソファの手前にあるテーブルにタブレットを置いて、執筆中。その背中と斜め後ろから見える横顔を見てたいから、映画は後でで、いいよ。
後で、一緒に夕飯の時にでも見ようよ。
面白い人だ。恋愛小説家なのに、好んで借りる映画は大概サスペンスかアクション映画。派手な銃撃戦に、見てる側が慌ててしまうようなカーチェイス。マフィアが絡むサスペンス、だっけ?
そんなあんたは、今は何を書いてるんだろ。
ファンなのに、それは、記憶喪失っていう嘘が邪魔をして言えないのがもどかしい。横から盗み読みしたいくらいに読みたいけどさ。
教えてくれないんだ。シナリオなのかもしれない。この人はシナリオライターになりたいわけじゃないとこの前呟いてたから。けれど、最近はそっちの仕事のことをあまり話さなくなった。
居眠り姫、製作元が行ったアンケートで久瀬さんの書いたシナリオがかなり人気だったらしくて、次の企画では四本書くことになったって言ってたけど。でも、その時も笑ってた。悲しいとか寂しいとかじゃなく、クスッと笑って俺を見てた。
「……」
大きな背中。
長い髪は普段束ねてる。けど、俺とセックスする時には毎回じゃないけどほどいることがある。その髪がすごく好き。
ここに転がり込んだ頃から、このソファーの上が俺の居場所だった。寝るのもここだったし、日中、家事が終わった後の指定席もここ。ここは久瀬さんの後ろだから、じっと見てても変に思われないって考えたんだ。
きっと、もうその頃から好きだった。
好きな人でもない同性の背中なんて、そう何時間も見つめていられないよね。本当に、じっと見すぎてて、本物の猫みたいだって言われたくらい。
憧れとか、お気に入りの作家とか、それこそ罪の意識だとか、そんな名前を付けていたのは、誰かを好きになったことがなかったから。
こんな焦がれて、火照るほど、誰かを好きになったことがなかったから。
今、は知ってしまった。
好きって感情を、恋を。見てるだけじゃ足りなくなる。猫だったら一目散にその膝の上に乗っかって体温に包まれて眠るけれど、本物の猫じゃない俺は膝の上で眠らない。膝の上に乗って、かまってとおねだりをしながら身体をこすり付けてしまう。けど、それをしたくないっていう気持ちもあったりしてさ。好きだから求める気持ちと、好きだから与えたいっていう思いとがぐちゃぐちゃに絡まり合っていく。
優しい思いと、激しい欲望とで、眩暈がする。クラクラする。
「お前、こんな野郎の執筆風景ずっと見てて、飽きないの?」
そして、見えないこといいことに、物欲しそうな目で見つめてしまう。
「楽しくないだろ?」
「なんで? 楽しいよ」
「……なぁ」
「?」
「お前、うちのマンションの下にうずくまってた時、俺みたいなのに拾われて、怖くなかったのか?」
かけていたメガネを置いて、こっちへと振り返る。執筆は? 区切りのいいところまで終わった? それとも、休憩?
「どっからどう見たって、サラリーマンじゃないだろ?」
「……」
「長髪の、酔っ払い……」
「カッコよかったよ?」
そう答えたら笑って、俺の飲みかけのコーヒーの入ったマグを奪ってしまった。
今、休憩? もし、休憩なら、それはどのくらい? 五分? それとも一時間?
「この髪も久瀬さんに似合ってる」
「……」
「俺、好きだよ?」
大きな背中も、メガネも、髪も。
「久瀬さんの全部好き」
「……」
「ンっ……」
キスしたのはどっちからだっただろう。
角度を変えて、優しく激しく絡まり合って、ぐちゃぐちゃになる。
「なんで、勃ってんの? クロ」
キスをしながら、膝を抱えて座っていた俺の、そこに足の隙間から触れられた。撫でられただけで簡単に芯を強くしてしまうくらい、もう、熱くなってたのを知られて、恥ずかしいけど。
「あ、ン……」
「やらしいな」
もっと脚をちゃんと開いた。貴方の手にペニスを撫でてもらいたくて。
ここから貴方の背中をじっと見詰めていたところから、ここでやらしいセックスをするところまで、来れた。
「だって、ここで、この前、抱いてもらった、から、ぁ」
「あぁ」
この人の一番近くに来れた。
「あ、ぁっ久瀬、さん」
「ン?」
「今、休憩?」
「?」
ペニス撫でられたい。乳首、にもして欲しい。
「執筆の、最中だったから」
「……」
「休憩の間、かまって、欲しいっ」
触って?
「かまって、久瀬さん」
キスして、撫でて、噛んで、舐めて。
「あ、久瀬さん」
「クロ」
「嬉しい……勃って、きた?」
だから、キスさせてよ。久瀬さんのペニス撫でさせて。噛んだら……ちょっと痛い? そしたら、口に含ませて。あと舐めさせて。
「っ」
ルームパンツを下げて、そそり立った久瀬さんのペニスを握った。握って、先のところを小刻みに擦ってあげる。その気になるように、興奮が増すように。
「俺、好きだよ」
「っ……」
「久瀬さんの」
ペニス。好きだよ。貴方なら、その欠片まで好きなんだ。
「今日は、ゴム、すんの?」
「あぁ。って、そこでふくれっ面になるなよ。代わりに」
代わりに?
「メガネ、してセックスする」
「え?」
「っぷ、すげ、嬉しそうだな、ほら、ローション」
「だって! っン……ぁ」
「して欲しい? クロ、ほら、メガネ」
ぬぷぬぷと侵入してくる指に震える。ソファから下ろされ、そのまま膝の上に跨ったまま膝立ちで、指を挿れられる。ほぐされてるところを下から覗きこまれながら言われたとおりに、メガネをかけさせたら。
「あっ……ンっ」
「中も嬉しそうだ」
「ン、だって、好き、だから」
久瀬さんなら、その髪も髭だって、もちろん、この太くて硬いペニスだって。
「あ、ぁ、ああああっンっ、ぁ、久瀬さんの、おっきい」
「っ」
このペニスに悦ぶ自分の身体さえも、好きになる。
「あっ、ンっ、これ、ぁ、あ」
「眼鏡をした俺とするの、興奮してるのか?」
「ぁ、ん、して、るっんっ……ふっ……んくっゾクゾクするっ、イっちゃいそっ」
全部好きになる。恋している。
「ん、好き」
そして、いつの間にか、雨の音なんて聞こえないくらい、部屋の中が濡れた音で満ちていた。
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