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第33話 慎ましい願い事

「クリスマス?」 「そ、あいつ、ロマンチストだから、クリスマスを一緒に祝おうぜ、とか言い出したりしてそーって思って」 「ぇ、あ、はい」 「マジで? あはははっ、マジだった」  今日はあまり混んでいなくて、キャストのアキさんも暇なのかカウンターのところに座って、俺のボーイっぷりを観察していた。菅尾さんはここ二、三日顔を見ていない。俺がワインの銘柄全部をマスターしたとほぼ同時、パタリと音信不通だ。アキさんが慣れてきた俺を見て、もうこのままここの従業員になっちゃえばいいのにって。俺も、そう言われて、それもいいかなって。でも、俺はまだ久瀬さんに――言っていないことが、あるから。 「けど、ケーキは予約してないから、チキンとワインとかでお祝いしようって」 「うわ、あいつがチキンとワイン? 焼き鳥と焼酎じゃなくて?」  クリスマス。  俺にとってクリスマスはあまり良いものじゃなかった。あの家にとってクリスマスはとても大事な日、だったから。  ――あぁ、あそこの商社は招待したほうがいい。これから伸びる会社だ。お前もしっかり顔を覚えてもらえ。あそこの大先生も、だな。だが、あそこの代議士さんは今年はもういいだろう。この辺りがあの人にとっては潮時だ。あとは、そうだな……。  そんなクリスマスパーティーの下準備をするやり取りをBGMに聴きながら食事をする。そして、当日は、あぁ、今ここに招待されている人たちは全て、計算され、「使える」と判断された人たちばかりなんだって、思いながら、硬い笑顔で挨拶し続ける。兄たちはとても楽しそうだった。俺はこれっぽっちも楽しくなかった。それが俺にとってのクリスマスだった。正月もそう。冬は、寒さで表情も強張るから、笑うのがとても大変だったっけ。パーティーでも、自宅でも、ずっと、仮面の下で溜め息をつきながら。 「頭、痛い?」 「!」  きっとすごく表情が曇っていたんだろう。アキさんがひどく心配そうにこっちを覗き込んでいた。 「あ、いえ……」 「あ! もしかして、何か思い出しかけてた? とか? クリスマスってキーワードから」  このまま、がいい。 「もしかして! 彼女がいた、とか! クロたんイケメンだもん。絶対に彼女いたって。そんで! 成との間で揺れる心と身体! あぁ、俺はどうしたらいいんだ!」  アキさんがくるりとその場でターンをして、スレンダーだけれど、少し骨っぽい肩を抱きしめ、どこかへ向かって切なげに手を伸ばす。 「……とか?」 「……っぷ。ないっすよ」 「えぇぇ? つまんなーい」 「つまんなくないっす」  その想像したやつをシナリオとして俺にくれないかな。アキさんでも、神さまでもいい、それが君にとっての真実だと設定し直してくれないだろうか。俺はどこにでもいる大学生とか、サラリーマンとか、なんでもいい。一般家庭で、クリスマスにはプレゼント交換をするのが当たり前で、正月にはお餅でも食べてのんびりして、課題のやり残しに苦しんだり。年明けから溜まっているだろう仕事に溜め息をついたりして。そしてある日、記憶をなくしてさ。久瀬さんのところに偶然潜り込むんだ。  黒猫として。飼ってもらって、可愛がられて、恋をする。  そういうの。  こんな、あの人の大事な物を盗んで笑っているような奴のいる、人を財力としてしか見ない家の人間じゃなくて。  アキさんの想像をシナリオに、誰でもいいから塗り替えてくれたらいいのに。それをしてくれるのなら、俺はなんだってしてみせるのに。 「早く、思い出せるといいね」 「……そうですね」  ただあの人の黒猫のままでいたいって、強く、とても強く願ったら。 「……まだ、なんも思い出せないですけど」 「そっかぁ」  クロでいたいって、強く強く願ったら。 「お前、アクセサリーとか好きか?」 「? 別に。なんで?」 「あーいや、特に意味はねぇけどさ」  ふーん? そう首を傾げながら、洗った泡だらけの皿をすすいで、受け取り待ちをしている久瀬さんに渡す。 「じゃあ、あれ、なんか、服とか」 「? 服なら充分あるよ?」 「いや、そういう意味じゃなくてだな。っていうか、まぁ、俺が買ってやれるもんなんて大したものじゃねぇけど」  ボソボソと、後半何が言ってるのかちっとも聞き取れなかった。あんたって声低いんだってば。だから、そんな小さな声じゃききとれないよ。 「何? どうしたの? 急に」  今日の久瀬さんなんかおかしいよ? 迎えて来てくれて、帰る時も、どっか寄ってくか? なんていうから、俺、夕飯のおかずかと思ったのに、二十四時間営業の免税店なんて寄りたい言いだしてさ。何か欲しいものがあるのかと思ったら、別に、とか言うし。じゃあなんで? って首を傾げてる間に、やっぱりいいとか言って帰っちゃうし。  執筆、行き詰まってんのかな。  最近、日中、手が一度も止まることなく動いてる。でも、なんかこう、夢中になって周りが一切見えてないっていうのじゃなくて、まるで呼吸するように、食事でもするように、自然と綴ってる感じ。そして、ふと、俺を引き寄せて、キスをする。甘くて優しいのから、やらしくて深い濃いのまで。そして執筆に。穏やかに仕事してる。 「あ……もしかして」 「! な、なんでもねぇよ。ほら、皿寄越せ」 「もしかして、クリスマス?」 「だから!」  あんまり結びつかないんだ。ワクワクもしないしソワソワもしないから、プレゼントとか楽しいことに直結しないんだけれど。 「っていうか、お前、クリスマスって忘れてたのか? 若いくせに、そういうの一番はしゃぐだろうが。俺は、もう、良い大人だからはしゃがないけどな」  そう、楽しいこととイコールではないんだ。クリスマスってさ。 「いらないよ」 「……クロ?」 「なんにも。物とか欲しいものない」  高い装飾品も服もカバンも何にもいらない。欲しいのはただひとつ。ただひとり。 「久瀬さん、しか、欲しいもの、ない」 「……」  願いは、たったの、ひとつ。 「バカ、もうそれはやった後だ」 「っン」  キスに泣きそうになった。 「うちの黒猫は、ずいぶん、慎ましいな」 「っ、ん、久瀬さんっ、泡、ついちゃうって」  サンタクロースでも、誰でもいいから、俺の欲しいものを、願いを、プレゼントとして叶えてくれないだろうか。 「皿をいつまでも寄越さないお前が悪い」 「ん、ンっ……久瀬、さんっ」  欲しいものは一生にひとつだけなんだから、お願いだ。ねぇ、叶えてよ。  誰でもいいからさ。

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