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第37話 セクシーな男
クリスマスが終わると一気に世間は和装になる。寒さも一段と厳しくなったように感じた。
「今日は、午後からだっけ?」
「うん。クリスマスツリーの撤去作業だって」
「ふーん」
午前中はとくに用事がなくて、ふたりで買い物をしていた。スーパーマーケットで大晦日近くになると物価が倍近くに跳ね上がるんだってさ。だから買えるものは今のうちに買い込んでおかないとって。特売の玉子は二人で二十個分。年越し蕎麦を二袋。天ぷらは……当日になっちゃうけど、めんつゆも。それと今日の夕飯、明日の朝食。
ほら、買う物だって一気に和風だ。
クリスマスの赤と緑が溢れてた街が一気にお正月の慌しさに向けて動き出す。
「あんま無理すんなよ? 昨日の今日なんだから」
「平気だって」
大事にされている。それがくすぐったい。久瀬さんの黒猫でいられる季節がまた少し変わるのを感じると、たまらなく嬉しいんだ。
「タフだなぁ」
でも、本当はね。
「お前、そういうとこも可愛いよ」
「?」
「俺はお前にたくさんのものをもらってるなぁってな」
「? え、何?」
たくさんのものをもらってるのは俺だよ。久瀬さんの猫になってからの毎日は全然違うんだ。ねぇ、本当に俺はもらってばかりなんだ。嬉しいも楽しいも、切なさだって、全部、あんたからもらったんだ。
俺は、何も、あげられてなんか。
「ほら、寒いから、帰るぞ」
「久瀬さんっ」
「午後から仕事なんだろ? ちゃんと食ってけ。お前の好きなもん作ってやるから」
だから、俺の全て、あんたのものなんだ。全部、丸ごと。
「何がいい?」
「ミートソース!」
「オッケー。ミートソースな」
お前、けっこうお子様味が好きだよな、って久瀬さんが笑って、いつもしてくれている手袋を取ってから、頭を撫でる。猫を可愛がるように。
ほら、切なくなる。
誰かに触れられて切なさを感じることを貴方が教えてくれた。これは貴方が俺にくれたものだ。
「……クロ?」
今。
「久瀬さ、ん」
今、キスしたいって、思った。
「ミートソースな」
「うん」
きっと貴方もそう思った? 少し間があったけど、そのあいだ何を考えてた?
あと、もう一つ。欲しくて乾いた身体が、貴方に愛されて、潤う瞬間のあの心地も、貴方にもらった感覚だよ。
今日は、二件、だっけ。クリスマス装飾撤去。撤去だけなら早いんだ。一件目が知らないキャバクラだったから、地図見ながらじゃないといけない。
そんで、二件目が――。
「アキんとこだっけか?」
「うん」
「あ、ねぇ! 久瀬さん! 寒いし迎え大丈夫! あと! 鍵かけておいてね!」
「……あぁ」
笑ってる。たぶん、思惑に気がつかれてしまった。鍵、かけておいてよ。そしたら、俺はピンポンじゃなくて、勝手に帰ってくるから。鍵があるから大丈夫。自分で開けて自分で「ただいま」ってするからさ。
そんな俺の思惑にあんたは笑って、玄関先で腕組みしながら、靴を履いてるところを眺めていた。
「……寒いから、これしてけ。って、お前がくれたやつだけどな」
「……ありがと」
手渡された手袋。気に入ってくれてよかった。外に行く時は必ずしていってくれる。あったかい? この黒い革の手袋。
「早く帰って来いよ」
「うん」
猫として引き寄せられて、唇に触れてもらう。あったかくて、優しいキス。
ひとつ、あった。
「いってきます」
「あぁ」
貴方にあげられたものがひとつ、あったね。
「……あったかい」
俺があげた手袋をしたら、本当に寒くなかった。これなら、どんな大雪でも大丈夫そうって、自分のプレゼントがあの人の役に立ってることを実感できたら、なんだかとても嬉しくて。
地図を手に持ちながら、ちっとも寒くない、かじかまない自分の手にちょっと笑顔になっていた。
「本当に働き者ねぇ」
「……アキさん」
解体し終わったクリスマスツリーを両手で抱えて運んでいたところだった。俺は臨時のボーイ。今日からは新しい人が来るって言ってたけど、その新人ボーイよりも早くキャストであるはずのアキさんが出勤していた。俺はもう帰ってしまうところで、挨拶できないかなって、少し待っていようかとも思ったんだ。
「あ、あの、ありがとうございました。その、クリスマスプレゼント」
お礼、したくて。
「うふふ。使った?」
「!」
「ラブよ。ラブ」
使った。嬉しかった。あの人の黒猫になれた気がして。
「クロたんってさ、なんでそんなに成が好きなの?」
「え?」
「私、初めて見た。こんなに誰かの全部を愛する人って」
「……」
「とってもセクシーだと思うのよ」
「俺が? ですか?」
一番遠い言葉だと思っていた単語でびっくりした。指差して確認して、うなずかれたことにまたびっくりして。セクシーなんて、俺のどこが。
「セクシーよ。クリスマスプレゼント喜んでもらえて嬉しかったわ」
「……」
「また、うちにも来てね」
待ってるだろうから早く帰りなさいよって、追い出された。昨日の今日で頑張らなくてもいいのにって。
そうだ。久瀬さんが、夕飯作って待っててくれる。
鍵、かけておいてくれるかな。
でもきっとかけておいてくれる。迎えに行かない代わりにきっとこの手袋は手渡されたんだろう。寒いから気をつけて。帰りは自分の鍵で玄関を開けて入っておいて。
「今から、帰り?」
「……」
「久しぶりだね」
「……」
帰っておいでって。
「数日見ないだけで、君はまた、不思議な魅力が増したね」
「……菅尾さん」
その帰り道、その人は黒塗りの高級車の隣で不適に笑っていた。
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