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第51話 幸せが響いてる

「クロさんのお相手さんって、けっこう激しいんすね」 「……え?」  痕、すごいっすね――って、なぜか聖司君が照れながら、自分のうなじの辺りを指差した。他にも荷下ろしの時にもちらりと見えていたらしい。そことここ、ちょっと覗いただけで見つけられたんだから、内側は……っていう予測からの想像。  俺は「あぁ」って返事をして仕込みのサラダ用レタスをちぎってた。 「まぁ、男としてみたら、わかんなくもないんすけど、その、ちゃんと節度っつうか」 「……?」  聖司君は言いにくそうに金色の髪を手でくしゃくしゃに乱した。 「クロさん優しいから」 「? 何?」  何を言いよどんでいるのかわからなくて、覗き込むと、観念したように溜め息と一緒に口を開いた。 「ぶっちゃけちゃえば、クロさんって、そそる感じの色気あるから、雄としてはその衝動を抑えきれないって思うんすよ」 「……」 「けど、やりたい時に毎回やらせてると、その」 「!」  喉奥がカァッて熱くなった。 「っ」 「飽きられるの早くなるっすよって」  思わず、彼の胸倉を掴んでしまいたくて、堪えたけれど、そのくらいの勢いはあった。その勢いに気おされるように聖司君が一歩下がる。 「や、だって、けっこうな頻度っぽくないっすか? 相手のこと知らないっすけど。でも、ようはそういう肉体関係ありきなわけでしょ? なら」 「別に、久瀬さんとは、君が思ってるような関係じゃないっ」 「それなら別にいいんすよ。けど、その所詮、男は男っつうか。俺は、そうだったから。それでいっぱい失敗したんで、クロさんがそうならなければいいなぁって思っただけで」 「…………ごめん」  彼の落ち着いた声と少し寂しそうな話し方に、一瞬で火がついて、一瞬で消える。  久瀬さんのことを悪く言われたような感じがして、急に頭の芯のところが燃えたように熱くなったんだ。焼けて、回路がおかしくなったみたいに、気持ちが勝手に言葉を遮ろうとした。 「俺が、前に同類って言ったの覚えてます?」 「ぇ、あ……うん」 「ヒモ、じゃないにしてもなんか、そういう、んー、なんだろ似た感じがして。寄りかかってるってっつうか」 「……」 「俺、ネコもタチも両方できるんすよ」  猫、ならわかるけれど、タチの意味がわからずにいた。それを聖司君が感じ取って説明してくれた。 「愛人? みたいなの、どっち役でもやってた」  まだ彼とは会ってそう幾日も経っていないけど、そんな笑い方をしたところを見たのは初めてだった。大きな口を真一文字、その端っこだけを吊り上げて、スマイルっていうシンボルマークみたいな笑った顔をいつもしていたから、そんな、少し儚げな笑い方をした彼は。 「力関係、依存の度合い、色々、人それぞれだけど、計算間違えると終わるの早いっていうのはあるんですよね」 「……」 「求められただけ与えてたら、そのうち、飽きる。これはけっこうな確率でありえることで。面白いですよねぇ」  あははって、また乾いた笑いを零す。でも面白いって言ったその顔はちっとも面白そうじゃない。 「俺、歌手になりたくて上京したんです。地元じゃけっこう有名で人気者だった」  楽しい思い出のはずなのに、言っている彼はとても悲しそうだ。 「バカだったんすよ。顔がちょっとよくて、歌がちょっと上手いくらいじゃ、その辺にゴロゴロいるっつうの」 「……」 「けど、顔が良かったから、拾ってもらって、愛人みたいな?」  カッコいい人だった。その人に助けてもらって、与えられて、嬉しくて、なんでもいいから、求められた分全部を与えてた。彼が欲しいといえば、なんでも、どこでも、どんなことでも。欲しがられた分だけ、返していたら、そのうち飽きられてしまった。 「クロさんって、真面目そうだから」 「……」 「あと、少し盲目的っていうか、全部丸ごと捧げる感じがするっつうか」  聖司君が磨いたグラスを逆さにしてセットをし終えると雫の飛んだシンクの中を手際よくスポンジで洗った。そして、器用な手つきで、初日に教えたオリーブの串刺しを始める。 「ちょっと心配だったっつうか」 「……でも、違うよ」 「え?」 「久瀬さんとは、そういうのとは違うんだ」  わかってくれるかな。俺も、上手く説明できないけれど。 「へ、へぇ……なんか、すごいっすね」 「……」 「絶対的信頼ってやつっすか?」  どうなんだろう。あまり考えたことがなかった。ただ、あの人が抱きしめてくれることだけで嬉しくてたまらなかったから。 「聖司君は歌、やめたの?」 「えぇ、もう歌の才能ないんで」 「けど、歌うの好きでしょ?」 「……は?」  よく、歌っている。鼻歌だけれど、君は言葉を話すように歌をうたってることがあったから。それは久瀬さんの執筆に似ているところがあったと思った。あの人は呼吸をするように、食事を楽しむように、文字を綴る。意気込むでも、立ち向かうでもなく、自然と溢れた言葉を繋げて、物語を紡いでいく。聖司君の歌は、それに似てたんだ。  俺のクライミングとは違ってた。  逃れたい一心で、必死に掴み続けてた岩肌じゃない。逃れることのできない状況で苦し紛れに続けていたわけじゃない。気がつけば、無理のしすぎて肩を壊してしまっていた。けど、どこかで気がついてたんだ。肩の違和感はたしかにあった。あの日、主治医に言われるずっと前から、おかしいな、って感じることは多々あったけれど、でも、無理をしたんだ。  自分で……きっと、俺は、この肩を壊した。 「やめずにいたら、いいと思うよ」 「……」 「もったいないよ」  俺とは違う。  だから、聖司君も続けたほうがいい。  きっと君の背中も久瀬さんの背中みたいに……羽が生えたように綺麗な背中をしてると思うから。 「なんか……ごめんね、久瀬さん」 「んー? 何がだ?」 「背中……いっぱい引っかいちゃった」  あぁ、って天井を見上げて、久瀬さんが背中になんの引っかき傷があるのかを思い返しつつ、シャンプーの泡を一気に流した。ザパーッて、流れる泡がいくつも残った俺の爪痕のある背中の筋肉にそって滑り落ちていくのを眺めてた。 「羽の生えた背中……」 「なんか言ったか?」  我ながら、いい表現方法じゃないかなって。さすが作家の恋人、なんて思ってみたけれど。 「んーん、なんでもない」  でも、本物の作家にそれを言うのは恥ずかしいからやめておいた。 「なんだよ。裸の俺を見てドキドキしたか?」 「……久瀬、さっ……ンっ」  キスをされるとまだ水がたくさん滴っている貴方の睫からポタリと雫が落っこちて来る。 「クロ」 「今日は、しないって言ったら、びっくりする?」 「は? どっか痛いのか? 中、傷、気をつけてたけど、なんか」 「っぷ、あはは」 「おい、笑いごとじゃねぇだろ。見せてみろ。傷」 「ちょ、ないってば。傷なんて」  ないよ。あんたはいつだって激しくて優しいセックスをしてくれる。荒々しいだけじゃない熱いセックスをくれるんだ。だから、傷ついても、悲しいことにも、なってない。あるのは甘くて優しくて幸せだけ。 「こら! 逃げるな! クロっ」 「やだよ! 平気だってばっ!」  本当に幸せだけがうるさいくらいにここにたくさん響いてる。だから、俺は、俺たちは、平気だ。

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