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第63話 重い想い
ずっと気になっていた。
初めて聖司君に会った時、「同類」って言われたことを。性格が全然違っていたし、見た目の雰囲気も全然違う。じゃあ、何が? って、思ってた。
たぶん、それって、愛人気質っていう、のかな。そういうところが似てたんだ。愛するっていうことをしている人。俺も聖司君も自分を丸ごと使って愛する人で、俺は久瀬さんがいた。聖司君は……。
――愛なんて嘘っぱち。
愛する人がいなかった。ただ、それだけ。
さっき、思った。じゃあ、久瀬さんに拾ってもらえなかったら? 俺はラッキーだった。愛する人に拾ってもらえた。聖司君は、捨てられた。
俺は、ラッキーだった。
だから、何があってもこの人のことだけは、どんなことをしても、守りたい。
――櫻宮……という名前をご存知かと思うが?
知っていたけれど、理解は、できないと思ってたんだ。一生、俺にはあの類の人種のことなんて理解できないって、思ってたのに。
「はぁ……櫻宮の名前、使っちゃった」
その名前を使ってでも、守りたかった。
やたらとスプリングがきいていて逆に落ち着かないベッドの端の腰を下ろして、ひとつ、部屋の中に溜め息を落っことした。
まさか、自分が、櫻宮の名前を利用する日が来るなんて思いもしなかった。
まさか、母のことを理解して、許容できる日が来るなんて、想像もしていなかった。
でも、わかったんだ。
俺はきっと自分の欲しいものを手に入れるためなら、泣き叫んでも、這いつくばってでも、何を利用してでも、それを手に入れる。それこそ、久瀬さんの猫になれるのなら、全てを簡単に捨てられたように。
聖司君もそうだった。
そして、母もきっとそうだったんだ。自分ひとりでは与えられないものを俺に与えられるのなら、なんでもした、母も。
俺は、この人が欲しかった。
「……重たい……ね、俺」
久瀬さんが、欲しかった。
「……別に、重かねぇよ」
「久瀬さん?」
睡眠薬を飲まされてしまった久瀬さんはベッドに大の字で寝転がっていた。聖司君はごめんなさいとずっと涙を零しながら謝っていた。俺は、久瀬さんが起きたら帰ろうかなぁって、この人が目覚めるのを待ってた。
「アキんとこのボーイは?」
もう名前は知ってるはずなのに、あえてよそよそしく突き放したように、彼のことを、名前じゃなく、そんなふうに呼んだ。
「帰った。ちょっと前、くらいに」
それを聞いて、久瀬さんが額と目元を腕で隠し、深い溜め息をついた。ずっしりとして、重くて、そして、ホッとしたような安堵の混ざる溜め息。
「頭、痛い?」
「あぁ、グラグラする」
本当に痛そうだった。目元は見えないけれど、唇が痛みを堪えるように力んだのがわかったから、話したり、身じろいだりすると、ひどく痛むんだと思う。
「……すまない。クロ」
「……」
「ファンレターの中に混ざってた」
ただのファンレターではなく、自分の仕事、環境、周囲の人間、そんなのをやたらと織り込んだ手紙だった。女装バーでボーイをしている、ただそれだけでピンと来たけれど、きっとそれだけだったのなら、無視していた。淡々とお礼の手紙を書いて、編集担当者へ渡していた。
「同じバーで仕事を教えてくれる人のことを好きになったと書かれてた」
「……」
「でも、その人には恋人がいて、その恋人とどうしても別れてくれそうにないから、どうしたものかって」
ほんの少し混ぜ込まれた脅迫。閉じ込めてしまいたい、あの人を誰にも見せたくない。どうしたらいいのかって悩んで悩んで、今にも、そんな文章だった。慌てて、封筒を確かめれば、住所が記載されてあった。ただ、その住所はこのホテルを示していた。
「慌てて、ここに来たんだ。部屋まで来たら、あのボーイの子がいて、お茶を出された」
きっとそのお茶に睡眠薬が混ぜられていたんだろう。
そこから先は俺が見た光景に繋がってる。聖司君が久瀬さんに圧し掛かって、須崎がそれを見物しようとしていた。もう一人、俺っていう登場人物が加わることに期待をしながら。
俺がアキさんと店で話してたのを彼は聞いたんだ。久瀬さんが今日出版社との打ち合わせに行くって。それでなくても、きっと、この部屋はあの須崎がずっと使ってる部屋なんだろう。だから使いたい時に、聖司君がここに来ればいいだけになっていた。楽しいことを見せてあげるっていえば喜んで部屋を提供したんだと思う。聖司君は今までに、ここで――。
「久瀬さん、一つも抵抗しなかったの?」
たしかに睡眠薬は飲まされていたけれど、それでも、少しも抗った様子はなかった。素直にベッドに寝転がったように見てとれたから。
「クロ、怒ってるか?」
「……」
「抵抗、できなかったんだ。あいつ、必死でさ」
閉じ込めてしまいたいっていう少し狂っているとも感じられる熱情を、理解できてしまったと苦笑いを零す。
「見てて、哀れに思えた」
「……」
「思えたけど、でも、クロだけはやれないから、申し訳ないとも思った」
貴方はどこまでも優しい人だ。そう言ってもきっと「優しくなんかない」って否定するんだろうけど、でも、やっぱり優しいよ。こんな状況になっても怒らないんだから。
「俺は、久瀬さんがさらわれたってわかった瞬間、どうにかなりそうだった」
「……」
「必死だった」
目元と額を隠していた腕をどかしてくれた。久瀬さんが俺を見て、手を伸ばしてくれたから、俺はいつもどおり、その掌に頬を摺り寄せて、甘えてみせる。撫でてって、猫だったら喉を鳴らしたくなるほど気持ちイイ掌に寄りかかる。
「貴方が盗られたらって」
「それは……ねぇよ」
「そんなの」
わかるって、即答で断言された。あまりにも自信たっぷりに言うからびっくりしてしまうほど。
「ボーイがファンですって俺の小説のことを褒めてたのが上っ面だけだって、最初からわかってたからな」
「え?」
「お前のと雲泥の差だった」
そこでくすくすと笑って、また、頬を撫でてくれる。
目の輝かせ方、読んでないってわかるふんわりとした感想、それに、言葉に混ざった熱量の低さ。どれもこれも、俺が語る感想とは、言葉の持つ力が違っていたって。
「さっき、お前が、重いって言ってたな」
「……」
「重かねぇけど、重くていいよ」
「……久瀬さん?」
腕を引っ張られ、貴方の上に座らされる。セックスの時みたいに跨ったら、スプリングがぐらりと揺れた。
「もう一つ抵抗しなかったのは、見たかったんだ」
何を?
「お前が、俺を奪い返しに来るところ」
「!」
「鳴いて、必死に返せって言うところが見たかった、って言ったら怒るか?」
愛猫が主が恋しくて鳴くところが見たかった?
貴方を求めて、なりふりかまわず、撫でてとねだるところを?
「そしたら、予想以上に良い男でびっくりしたよ」
「……」
「あの中年男を追いやるところ、カッコよかったぞ」
「!」
そんなところから起きてたの?
「それと、俺にベタ惚れしてるんだなぁってわかって、嬉しかったわ」
「ちょっ!」
「わりぃ、けっこう起きてたんだ。さすがに貞操は守らんとって思ってな。まぁ、俺は薬盛られてたからな。最終的に多少手荒なことをしても、正当防衛になるだろうって、な?」
な? じゃないよ。それって、ずっと起きてたってことじゃないか。そんなの反則だろ。
「そ、そんなの! 悪趣味だっ!」
だから、そう言って怒って、久瀬さんの上で暴れてやった。頭は本当に痛いんだって、なんて言われても無視して、暴れて、そして。
「心臓、壊れるかと思った」
そう、文句混じりのキスで、最愛の飼い主の唇に噛み付いた。
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