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雨の日イチャイチャ編 2 恋は駆け引き
やっぱりここはキラキラしてる。赤と紫と、それと黒。濃くて鮮やかな色の中を光の粒が踊るみたいにキラキラキラキラ。
「クロたーん!」
「アキさん」
やっほーって手を振ってくれる笑顔はずっと変わらず優しくて明るくて。この場所はこんなに賑やかでお祭りみたいに騒々しいのに、なんでこんなに落ち着くんだろう。
「やだぁ、イケメンになっちゃってぇ」
「何言ってるんすか。俺、先週、来ましたよ」
「来たって言っても、すぐに帰っちゃったじゃない! おすそ分けの柏餅だけ置いて帰っちゃったじゃない! っていうか、端午の節句だからって、柏餅って!」
それは、兄に言ってください。あんなに大量の柏餅を送りつけてきたのは兄なんだから。皆さんでって言われたし。そう話してる間も、人が入れ替わり立ち代りでやってきては俺をかまうだけかまっていく。撫で繰り回されてる猫の気分だ。
「そんで? 今日はゆっくりしてくんでしょ?」
「あ、うん。あの、久瀬さんが久しぶりにって言ってたんだけど……まだ来てない?」
「まだみたぁい」
編集者のほうで何か企画があるらしくて、サインをたくさん書きに行ってるんだ。
「ちゃんとあの恋愛小説家はクロたんのこと食わせてる? ねぇ、ちゃんと、おやつとか、歯磨きロープとか」
「っぷ、それ本物の猫用。忙しくて少し休んで欲しいくらい。でも、原稿終わったって言ってたから、このあと少しくらいは休むのかも」
だから、今日はサインのついでに出来上がった原稿もついでだからって持っていくと言っていた。
原稿が終わったら頭の中をリセットするんだって。
たくさん作った作品の世界を畳んで、引き出しに締まって、次の世界をそこに広げていく。その切り替えの間はけっこうのんびりしてて。俺は、そしたらもっとかまってもらえるかなぁ、なんて少しだけ期待したりして。
「可愛い顔」
「! お、俺はっ、可愛くなんてっ」
「ふふ。ちょっと待ってて、また後でたくさん可愛いって言ってあげる」
「い、いいですって。からかわないでください」
ニコリと笑って、今日はカツラが金髪なアキさんがふわふわしたスカートが広がるように軽やかにターンをしてみせた。
「あ! クロたん! それと、肩のマッサージ! のほうは来週土曜に枠取っておいてあげたからね!」
「! あ、ありがとうございます」
これで昼間はカイロプラクティックの仕事をしてる。女装じゃなくて、男性として。不思議で、謎めいていて、それなのに一緒にいると心地良い不思議な人だ。
クライミングをまた始めてもう一年以上になる。肩は、あの時、あのクライミングのトップ枠から転げ落ちる直前のあの怪我以降、ずっと痛くない。
ずっと、故障なしでいる。
メンタル的な部分が要因になっているって、アキさんに言われた。たしかに、あの時は苦しかった。ストーンひとつ掴むのですら、苦しくて痛くて、辛かった。今は指導者の立ち場としてクライミングやったりするけど、苦しくないし、辛くない。
もちろん、痛くもない。
もう……治った、んだろう。
ここで、たくさん治してもらったんだ。
「クロさん!」
「! 聖司くん」
髪はまだ坊主のまま。でもそれがまた可愛い感じになって、お店ではすごく評判がいいらしい。男女問わずの人気で、カウンターのボーイがとても可愛いからと来るお客さんもいるんだって。
「こっち! どうぞ! 俺、オリジナルのカクテルとか今研究してるんすよ」
「へぇ」
「ちょ、飲んでみてもらってもいいすか? オレンジリキュールにレモンも入れて、そんで少しウオッカと、あと、チェリーシロップ、最後にメロンのリキュールを上から」
「もおおお! 聖司君! 聞いてる? ねぇってば!」
お客さんがカウンターに身を乗り出して、聖司君を捕まえた。ちょっと、酔い潰れそうな、感じ。
「あーはいはい。っつうか、大丈夫っすか?」
いや、もう酔い潰れる寸前。水を飲んだほうがいいと進められても、「イヤイヤ」ってする辺りが完全に酔っ払い。俺がカウンターに入ってた頃もこうなっちゃうお客さんはけっこういたっけ。男性客でも潰れてトイレで寝こけてたりすると、俺が担いで運んでた。力持ちって褒められて、クライミングをしてることを内緒にしてた俺は気まずくて笑って誤魔化したんだ。
「だいじょーぶ、じゃないもーん」
「……よしよし」
俺だったら、困ったなぁ、って考えてしまうけれど、聖司君は彼女の頭を優しく撫でてあげた。優しくて、人の気持ちがわかりすぎるくらいにわかってしまうんだ。
「……フラれちゃったんだよ?」
「うんうん」
この女の人、フラれちゃったのか。
「尽くしてたのにー」
「うん。えらいえらい」
尽くしてたんだ。それなのにフラれたんだ。
「尽くしてたのにー」
「うん。今言ってた」
「尽くしてたのにー!」
「うん、だから」
すごい尽くしてたんだ。これ、カクテル、いただいちゃってもいいのかな。……いただきます。
「毎回エッチばっかでさー、会ったらラブホ、デートはラブホ、飲んだらとりあえずラブホ」
「えーそうなの?」
ラブホ、ラブホテルばっかり行ってたんだ。
綺麗なオレンジ色のカクテル。上が緑色なのがまた爽やかな感じ。
「やるばっか。けど、好きだったからさー、付き合うじゃん? 全然、毎回やるばっかとか、やだったけどさー。とりあえず付き合ってあげてた。なのに!」
「やるばっかかー。それは微妙かも」
え、やるばっかって、そのセックス、を毎回ってこと? やだったり、とか?
「でしょー! お前、セックスばっかかよってなるでしょ! でも好きだったからー。やるだけかよ! みたいなさ」
「うんうん。ばっかかよってなる」
……ぇ。やる、だけ、かよ……って。
「それなのにー! あいつ、なんつったと思う? お前、毎回やらせてくれるのとか、つまんないって!」
「うわー、最低」
「しかも!」
……しかも?
「何してもいいって、むしろ飽きる! って、なんだそれー!」
「ぁ、けど、それはマジよ」
「え? そうなの?」
えっ、そうなの? 飽きるの?
「うん。セックスっつうのはさ、八文目がいいの。やりたい! はいどうぞ。じゃ萌えないの。今日はダメ、とかっつって、向こうが腹ペコになるくらいでちょうどいいんだって。なんでもやりたいようにさせてあげると楽しくないんだよ、男って」
そんなのって……。
「揺さぶるくらいでいいんだよー。そのほうが俄然男は楽しい!」
「……マジでー?」
「元愛人稼業をしてた俺が言うんだから、マジだよー」
……。
「恋は駆け引きよ」
か。
か、け、ひき? 駆け引き?
「従順なのって、楽しくないもんなんだよねー」
「ブー! ゲホッゴホッ!」
「ちょ、クロさん大丈夫っすか?」
「ごめっ」
オレンジリキュールとレモン、それに上にはメロンのシロップ? いや、それがレモンが強かったのか、すごい酸味にむせてしまって。
従順なのって、ダメ、なの?
揺さぶるくらいじゃなくちゃ、ダメ?
なんでもやりたいようにさせてあげるの、いけないの?
駆け引きなんて、俺してない。そんなの考えたこともなかった。恋の――。
「よぉ、待ったか? クロ」
「! …………ぁ、久瀬、さん」
恋の駆け引き。
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