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雨の日イチャイチャ編 3 腹八分目がちょうど
駆け引き、なんて、したことない。
女の子と付き合ったことあるけど、そんなのひとつも考えたことなかった。全部なんとなく、で済ませてたから、恋愛の駆け引きなんてものは。
「酔っ払ったなぁ。いやぁ。ワイン、すげぇ飲んだ。あのチーズ美味かったなぁ」
「……うん」
聖司君にしゃべっていた女の人、けっこう綺麗な人だった。泣いていて可哀想だった。尽くしてたって。毎回、したいっていうから、してたって。セックス。休みの度に、デートの度に行くのはラブホテルばかりでつまらなかったけど、尽くす彼女は仕方がないからと受け入れてたって。
「なんてチーズだっけか? 俺、青カビ系のってダメだと思ってたんだけどなー」
「……うん」
やるばっかなのは微妙って。
でも、好きだから付き合って、その、そういうことしてたのに。何でもかんでも受け入れてると、いつでもそういうのさせてくれるんだと思われる。
「はぁ、ただいま。けっこうのんびり歩いて来たな。駅降りてから四十分歩いてたぞ」
「……うん」
そして、従順なのは、楽しくない。いつでもさせてくれるのは、むしろ、飽きる。
「風呂、沸かすか?」
「……うん」
「シャワーにしとくか?」
「……うん」
俺、久瀬さんとするのすごい好き。その、つまり、そういうこと。セックス。するの、好きだよ。毎日だってしたいし、オフだったから、たくさんしたい。実際、昨日はたくさんしたんだ。一回だけじゃなくて、何回もした。
だって、久瀬さんが好きだから。
あと、俺は久瀬さんにされたらなんだって気持ちイイよ。優しくても、激しくても、少し荒々しくたって、なんでも好き。久瀬さんが望むなら、なんでもする。してあげたいって思う。この人が望むなら俺はなんだって従順に応える……それって。
「……うん」
それって……え? それは、ダメ?
俺、したいばっか、になってる? いや、なってる。昨日ずっとしてた。ずっとしてて、そんで。
――ぁ、はぁっ。
――ゆっくりされるんのは? あんま?
――ん、んんんっ、好きっ。
あれ?
――じゃあ、これは? 好きか? 浅いとこ。
――ン、ぁ、あっ、あ、あン、好きっ、それ。
あれっ?
――奥も?
――好、きっ。
もしかして! 俺。
「クロ、どうせ、もう一回、後で入るし、そん時、ゆっくり湯船に」
もしかして、俺、あの女の人が言ってたことしてるんじゃないか? あの女の人が、セックスしかしてないことを嘆いてたけれど、同じように、久瀬さんも嘆いてるんじゃないの? 俺、休みの度にしてる。一緒に住んでるからラブホテル行かないけど。別々に住んでたら、それは会うのはいつもラブホテル、なのと変わらないんじゃ。
「……クロ」
「!」
それになんでも受け入れてる。久瀬さんが欲しがること全部応えるし、久瀬さんがしてくれること全部大好きってなる。それって従順ってこと、でしょ? 従順すぎるのは、むしろ飽きるし、楽しくないってこと、なんだよね? なんでも、はダメなんだって言ってた。そんで、それで。
――恋は駆け引きよ。
「クロ?」
気が付けば、怪訝な顔をした久瀬さんが俺を覗き込んで見つめてた。
「クロ?」
「! あぁぁあ、あのっ」
「ん?」
腰、引き寄せられたら、すぐだよ?
――八分目がいいの。今日はダメ、とかっつって。
こんなふうに、とろんとした目で笑って、抱き締められたら、もうスイッチ入るんだ。したくなるスイッチ。久瀬さんのことが欲しくなる。
いつもだったら、昨日だったら、微笑まれて、腰引き寄せられて、触れたら、もう、してる。
セックス、してる。実際に、今したい。シャワーも、別にいらない。今すぐ、したいよ。でも。フェラして、久瀬さんのが硬くなったら挿れてもらうんだ。おねだりして、甘えて、久瀬さんのを根本まで全部咥えたい。
「今日はっ」
「ん?」
低い声、大きな手、それと酔ってる時独特の熱っぽい吐息。全部にくすぐられる。
「だ、め……あの、えっと」
「……」
「えっと、その、酔っ払ってるし、四十分も、歩いたから」
「……」
――向こうが腹ペコになるくらいでちょうどいい。
「その……」
セックス、したい。久瀬さんが、欲しかった。
「……まぁ、さすがに酒しこたま飲んだからなぁ」
「!」
「じゃあ、湯、張るか」
セックス、したかったけど、すごくすごくしたかったけど、でも、やだから。
「……うん」
「ほら、クロ、飲みすぎたんだろ。水飲んで来い」
飽きられるのは嫌だから。フラれてしまったら、もっとずっと絶対に嫌だから。
「うん。水、飲んでくる」
「おう」
駆け引きを、した。毎回は、ダメなんだというから、腹ペコになるくらいでいいというから、我慢を、した。
「っ」
けれど、身体は熱くてたまらないから、少しでも冷めてくれないだろうかと、水を慌てて一気飲みをした。お腹の底のところ、久瀬さんしか知らない、俺の奥のところがものすごく、熱くて、熱くて、仕方なかったから、水を飲んで宥めてた。
「……ロ」
ユラユラする。
「……ロ、こら」
久瀬、さん?
「んー」
「クロ」
やっぱり久瀬さんだ。頬、あったかい。あぁ、久瀬さんの掌だ。気持ちいい……大きな手。すごい小説を作り出すすごい魔法の手だけど、俺だけの主の手。
「クロ、こら」
「!」
「寝ぼすけ猫」
「……ぁ」
うたた寝してた。ソファのとこ。俺が先に風呂入って、入れ替わりで久瀬さんが入って。俺は久瀬さんと一緒に寝たかったから、ソファのところで待ってた。けど、いつの間にか寝てた。
「寝るならベッドで寝ろよ」
久瀬さん、シャンプーの良い匂いがする。上がったばっかなんだ。手もすごくあったかかった。少しだけ、普段の久瀬さんよりも高い体温、あの掌の熱さは、俺にとってはちょっと特別な熱さで。俺を抱き締めてくれる手とか、キスの時の吐息とかが同じ感じ。それと。
――クロっ。
「クロ?」
「!」
それと、俺の中にいる時の久瀬さんの熱と同じ。
「クロ?」
「! な、なんでもない! おやすみなさい!」
「……」
「よ、酔っ払ってる、からっ」
慌てて、布団の中へ避難した。俺を抱く時と同じくらいに熱かい掌、湯の余韻が、セックスで汗ばんだ肌に似てて、危なかったから。すごく。
(危なかった)
思わず、潜り込んだ布団の中で呟いた。
我慢しないと。駆け引きしないと。
あの女の人みたいにフラれたりはないかもしれない。だって、俺はこの人の猫でずっといていいって言われてるんだから。それはとても大事な誓いにも似た約束だから。
けれど、飽きられてしまうかもしれない。
「……」
してばっかりだと。だから、腹ペコになるまで待たないと。そして八分目を心がけないと。だから、我慢。そう念じて目をぎゅっと瞑って、腹の底、奥のところが熱いのを堪えた。
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