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無口な猫編 7 ラブレター
コーヒーの香りに誘われるように目を覚ました。
「あ……久瀬さん?」
寝惚けながら、ベッドで一緒に眠ってくれる主がいないことに手探りして気がついて、猫が鳴いて呼ぶように大好きな人を呼んだ。
声、ちゃんと本当に出た。
昨日、たくさん可愛がってもらって、俺はそのまま――。
「起きたか?」
「……ぁ」
ベッドからキッチンカウンターの向こう側に、コーヒーを煎れている久瀬さんが見えた。
そして、ほろ苦いコーヒーの香りがふわりと漂うカップを二つ手に持って、ベッドの端に腰を下ろす。
「あの、ごめんなさい。俺」
俺、昨日、ほとんど意識飛ばすみたいに眠っちゃったから、あの後、久瀬さんが身体を拭いてくれたんだ。
全部してもらったなんて、恥ずかしくて俯いてしまう。
「身体、痛くないか?」
「痛くないよ」
「本当か?」
「うん」
「なら、いい」
俯いていたら、頬を撫でてくれた。顔を包み込むようにされて、その手がコーヒーのマグを持ってたからか、あったかくて気持ちイイ。
「お前、俺の手好きだよな」
「うん。好きだよ」
だってこの手はあんな物語を紡いでくれる。この手は俺を――。
久瀬さんがくすっと笑った。くすぐったそうに目を細めて、頬を撫でてくれてた掌がするりと滑って、長い指が俺の顎のラインをなぞった。
「俺、久瀬さんのことで、一つだって嫌いなとこないよ」
「……えらい溺愛されてんな」
「うん」
俺は久瀬さんが喜ぶのなら、足の先だって丁寧に口付ける。
「大好き、なんだ」
貴方の全部が好きでたまらない。
「俺も、お前のことで嫌いなとこは一つもないよ。心配なとこはたくさんあるけどな」
「……」
「頑張りすぎなとこたまに心配だけどな。アスリートだからかね。お前は」
真っ直ぐ俺を見つめる瞳に、心臓が射抜かれるようだ。
「自分を追い詰める癖がある」
小説家、だからかな。この人には人の内側が半透明にでも見えてるのかなって、思う時があって。
「過保護にもなるだろ」
「……」
「可愛い愛猫なんだから、大事にしたいし、できたら家猫にして、ずっと腕の中におさめておきたいって思ってるよ」
「……すごく、溺愛されてるんだね」
「あたりまえだろうが、愛猫だぞ?」
大きな手があやすように頭を撫でてくれた。寝起きでぼさぼさの頭をもっとぼさぼさにしてしまおうって、手が髪を掻き混ぜてる。
「愛猫、なんだよ」
「……?」
「だから、お前の考えてることなんて丸わかりだ。無口でクール? だっけか? 笑っちまう」
その手が俺の鼻を摘んで、それから唇を強くなぞった。
「こっちが照れ臭くなるくらい、うちの愛猫はあれをしようかな、これをしたら主は嬉しいかな。これ好きかな。これ欲しいなって、しょっちゅうなんかしゃべってるよ」
「……」
黒猫は誰よりも何よりも主が好きで。外に出かけている間も主のことで頭がいっぱい。これは主の好みだろうか。あれは主が好きなものだ。あっちにあったのは主が――。
いつもいつも主のことばかり。
猫は静かな生き物だけれど。
「うちのクロなおしゃべりなんだ」
猫は、とても欲しがりな生き物だ。
「久瀬さん! 久瀬さん!」
「あー? おかえり」
「ただいま! あの! これ! コラム!」
「……あぁ」
偶然見かけたんだ。さっき、帰ってくる時自転車で、視界に久瀬さんっていう文字が見えた気がして急ブレーキかけて止まって、コンビニのさ、ガラス窓のところ、雑誌が並んでるけれど、そこにあった。
「よく見つけたな。チャリ乗ってんのに」
「うん、あの」
ねぇ、コラムの仕事、なくなったんじゃなかった?
「依頼、なくなったんじゃなくて、変更してもらっただけだよ」
これが、それ?
「そう、ペットとの暮らし、じゃなくて愛猫との暮らしに、してもらっただけ」
「……」
「あとで読んでみろよ。それ担当の人に、猫大好きなんですねぇって言われたくらいに愛猫感すごいらしいから。あぁ、それとこれ」
「連載!」
にやりと笑ってる。
「そんでさ、クロ」
「?」
「これ、何?」
「! なっ、なんでっ!」
久瀬さんが手に持っているのは紙の束。
「だ、ダメ! 捨てたらっ」
「お前ねぇ……」
筆談してた時のメモをとっておいた。ただのメモ紙だけれど大事に束ねて缶にしまってた。
「こんなん取って置くなよ」
「いいんだってば……」
慌てて奪い返して、自分の懐にぎゅっとしまいこんだ。宝物なんだ。俺だけの。
「しまってくる」
「はいよ。あ、晩飯、鍋にするか?」
「あ、うん。買い物」
「一緒に行こう。靴を履いてる」
また主に捨てられてしまわないよう胸に抱えたまま、自分の服が入っている引き出しへと戻そうと――。
「? …………!」
中身が捨てられてたら一大事だから確認のために開けてみた。
『夕飯の買い物行くか?』
『メモにペン、小説家っぽいだろ?』
『俺が作るよ。さて、何を作るか当ててくれ』
たくさんあるメモ。その中に、見つけた、知らない一文。
「ね、ねぇ! 久瀬さん! あの! これっ!」
「ほら。行くぞ」
「ねぇ! 久瀬さん!」
「わーかってるよ」
どれも大事な宝物だ。
「言わなくても、わかってるっつうの」
俺が不安で声を出せなかった間、ゲームだと楽しげに声を出さない我慢比べに変えてくれた。貴方が愛猫をたくさん心配してくれていた。愛猫を守りたいとたくさん言葉をくれていた。
その間にもらったたくさんの文字としての言葉は、どれもこれも、俺にとっては大事な、大事な恋文なんだ。
『愛してる』
『我が家には猫がいる。ある真冬の深夜、うちの前でうずくまっていたところを拾ってきた。今日からしばらくこちらのコラムでそんなうちの猫の自慢をしようと思う。大きな黒猫で、名前はクロ。臆病でストイックで、それでいて、甘ったれ。執筆の最中はいい子にしていて、じっとソファの上に座っている。ふと休憩がてら振り返ると、どんな話を書いているんだろうと綺麗な月色をした瞳を輝かせていたりする。そっと手を伸ばし、その柔らかい毛並みを撫でてやると月色の瞳を細めるのが、楽しくて、ついつい撫ですぎてしまう。ただ、この猫は撫ですぎても嫌がることなく、もっと撫でてと無言で頭を預けてくるからたまらない。そして、たまぁに鳴く、その声がたまらなく可愛い。バカ主丸出しで私は愛猫、クロを溺愛している。そんなクロだが、ある日――』
どれもこれも、俺にとっては大事な、大事な恋文なんだ。
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