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猫先輩編 2 本物の風格
久瀬さんの書いている『我が愛猫との暮らし』のコラムがとても好評らしくて、愛猫クロの写真をコラムの中に載せたいと編集部からそんな展開を提案された。
執筆の邪魔になんてならないから。そちらへ、つまりはうちへカメラマンが出向き、数枚写真を撮るだけのこと。何も手間はかからないし、そのままでいてくれてかまわない。だから猫の写真を数枚――なんて久瀬さんが了承するわけがない。
自分でいくつか写真を撮るからカメラマンまで用意しなくて大丈夫。そのほうが愛猫もリラックスしている様子が撮れるだろうからって、上手に誤魔化した。
だって、久瀬さんが飼っている愛猫は普通の猫よりも何倍も大きい。
普通の猫と違って喋るし、料理もする。
あと猫よりも、登るのが得意だ。
猫と同じなのはその瞳の色と、あと、執筆の邪魔はしないこと、くらい。それから洗濯物を干すのも上手い。料理もできる。
猫じゃないから。
久瀬さんの愛猫は猫じゃなくて、人間で、俺だから。
けど、猫はいないといけないわけで。写真撮れないと久瀬さんの愛猫クロは嘘っぱちになってしまうから、その打ち合わせの後、久瀬さんはアキさんのところへ駆け込んだ。女装バーで働く、昼間は整体師で夜は女装キャストをしている久瀬さんの友だち。
「…………こ、こんにちは」
そして、うちに本物の猫がやってきた。
「…………えっと」
「…………に゛ゃー」
声が怖い。あと、目つきも怖い。怒ってるのかもしれない。
少し不機嫌そうにしている真っ黒な猫。
俺と同じ月色の瞳をした。コラムの中でも黒猫のクロと同じ、黒い猫。
「名前はアレキサンダーっていうらしいぞ」
「へ、へぇ」
強そうな名前。
キャストの一人が黒猫を飼っていて、数日の間、うちへレンタルさせてくれることになった。ちょうどいいわって、そしたら旅行に行ってきますって、笑顔でレンタルさせてくれたらしい。猫でも犬でもいると、長期の旅行には行けないからって。
特にアレキサンダーは甘えん坊だから、一泊でも旅行に行くと寂しがるの。ケージの中で一晩を過ごすペットホテルじゃ可哀想でしょ? ……このアレキサンダーの主はそう言ってたらしいけど。
「よ、よろしく、アレキサンダー」
「…………」
甘えん坊で人懐こい子なのよ、って。
「あの……」
「…………」
甘えん坊?
「…………」
人懐こい?
「…………」
「!」
今、俺のこと睨んだ。俺と同じ月色の瞳を細めて、ジロリと。
「なぁにしてんだ、クロ」
「久瀬さん」
「いきなり知らないうちの連れてこられたんだ。戸惑ってるんだろ。宜しくな、アレキサンダー」
「にゃ」
あ、鳴いた。でもさっきと違う可愛い鳴き声。
「器用だな。アレキサンダー、そんなソファの背もたれのところに座るなんて」
「にゃあ」
ほら、すごく可愛い声。
ソファの背もたれ、山脈の峰のようになった、面積のなさそうな場所に座ってるアレキサンダーを褒めるように頭を撫でると、気持ち良さそうに久瀬さんの手の中に頭を傾け、目を細めた。
たしかに人懐こい。
「にゃあ」
すりすりと自分から頭を擦り付けてるし。
「じゃあ、とりあえず一枚撮るか」
そう言って、久瀬さんがスマホのカメラを構えると、アレキサンダーはまるで「どうぞ」とでも言うように小さく鳴いて、ソファの背もたれの上に寝たまま、顔を窓へと向けた。夕方、ちょうど西日がまた差し込んで、真っ黒なアレキサンダーの毛色を少しだけオレンジ色に照らす。月色の瞳はその日の光で透けたように鮮やかにさせていた。
けれど、取らせてくれたのは一枚だけ。
「おっと」
すぐに背もたれから降りると、アレキサンダーの主が持たせてくれた噴水型の水飲みのところへ行き、ペロペロと小さなピンク色の下を覗かせて水を飲み、そのまま、主がもたせてくれた毛布の上に寝転がった。
「とりあえずは一枚撮れたな」
そう久瀬さんは言うとその写真を編集担当の人へとメールで送っていた。
「もうこれで、終わり?」
「まさか。数枚送るようだろうな。コラムに合わせていくつか撮っておいて、数回に一回、連載中のコラムにくっつけるらしい」
「そうなんだ……」
「しばらくは共同生活だな」
「にゃあ」
あ、また、久瀬さんに返事をした。
「人懐こいな」
「そう?」
久瀬さんはそういうけど、そう? 人懐こい?
そんな俺の疑問を見透かしたように、アレキサンダーはちらりとこっちを見る、と言うか、少し睨むと、面倒くさそうに毛布から立ち上がり、ソファの下、僅かな隙間の中へと潜り込んでしまった。
「すごいとこに入ってっちゃった」
まだ見知らぬ場所だから、安全そうな誰も入れない場所へ移動したんだろと久瀬さんが教えてくれた。
そのまま日が傾いて、夜になり、二人で夕食を食べ終わってもまだ、アレキサンダーはソファの下。
「猫って、寝てばっかり……」
「なんだ、クロは猫とかペットと暮らしたことないのか?」
「うん。ない」
俺は猫とか犬とか一緒に暮らしてみたかったけれど、あの兄たちが動物と一緒に暮らすのを好むわけがない。即却下だった。
高いスーツに毛なんてついたらイヤだから、たまに誰かのうちに上がって、そこに猫や犬がいると帰りのタクシーの中でぶつぶつ文句をいう程度には動物が好きじゃない。そう話すと、久瀬さんが、確かにそんな感じがするなと笑った。
「……ぁ」
その時だった、ようやくソファの下からアレキサンダーが出てきた。
煌々と部屋を照らす明かりに眩しそうに目を何度か瞬かせ、それからあの噴水型の水飲みのところへ。何度か舌で舐めるように水を飲むと、久瀬さんのところに行き、頭を久瀬さんの身体へ擦り付けた。
「お、どうした」
すりすりって頭だけじゃなく身体もすり寄せて。
「あぁ、飯か」
「にゃあ」
可愛い声で鳴いて、久瀬さんにカリカリフードを出してもらうと、それを数粒だけ食べて。
「また、寝ちゃった」
そのまま、またソファーの下へと潜り込んでしまった。
「猫だなぁ」
「そうなの?」
「あぁ、初代クロもうちに来た時はあんなだった。それから、お前もな」
俺も? あんなふうだった?
「懐かしいな」
そう呟いて、久瀬さんは目を細めると手元のコーヒーを飲みながら、少し懐かしそうに笑っていた。
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