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猫先輩編 5 先輩猫
仕事を終えて家に帰るとアレキサンダーはソファの上で寝ていた。
「に゛ゃ」
そう鳴いては久瀬さんのところへ行って甘えてみせる。猫って集団で生活する生き物じゃないはずだけど、でも、よく猫会議というものがあるって言うし。
もしかしたら、俺はアレキサンダーに甘えるのが下手な猫、と思われてるのかな、なんて思ってしまう。
「に゛ゃ」
だって、鳴き方がまず違う。俺にはこんな低い鳴き声。厳しい感じで、まるで手本を見せてやるって言ってるみたいに何度もこっちを見てくるし。
「なんだ、お前ら仲良いな」
「にゃぁ」
ほら、久瀬さんには可愛い猫って感じの鳴き声。
もしかして、猫じゃないんですか? ロボットとかさ。AI搭載とか、もしかしたら編集者さんが人気作家久瀬さんの実態を知るとか、そういう企画で潜入させてたりしない、とは思うけれど。
「に゛ゃー」
そしてまた先輩猫に呼び出されて、キッチンでコーヒーを淹れている久瀬さんのところへ連れて行かれた。
「にゃぁぁ」
「んー? どうした? アレキサンダー、飲んでる時に足に頭突きされたら零しちまうだろ」
足元に擦り寄られて、スマホを見ながら淹れ立てを飲んでいた手を止め、カップをキッチンのカウンターに置くと、振り返った。そして、真後ろにいた俺を見つけて目を丸くした。
「コーヒーが飲みたかったか?」
俺は真後ろにずっと立って背後から見つめていたら驚くよねって、視線を足元にいるアレキサンダーへと移す。アレキサンダーはじっとこっちを見上げていて、声には出さず、「に゛ゃ」って鳴いたように口元だけ動かした。
「口が寂しかったか?」
「ぇ? ……」
問われて顔を上げたら、キスがもらえた。触れて、啄ばまれて、唇の上に久瀬さんのコーヒーのほろ苦さが広がっていく。苦いのにキスが優しくて甘くて。
口は寂しくなかったけれど、久瀬さんのくれるキスはとても好きだから。
「うん。えっと、その……」
小さく、でも頷くと、手に持ったままだったスマホもカウンターに置いて、その手で俺のうなじを撫でながら、もっとしっかりと深いキスを楽しそうに、たくさんくれた。
本物の猫の甘え方はとても上手だ。
「……アレキサンダー?」
「……」
丸くなってソファの上で寝ているのをじっと見ていた。ふわふわの黒い毛並みが柔らかそうに、小さな呼吸と一緒に上下している。そっと名前を呼んでも返事はしなかったけれど、耳がピクンと動いた。起きてるんだと思う。でも眠いらしい。
猫は朝は苦手なんだ。夜も元気に活動しているわけではなくずっと寝ていることが多いみたいだ。静かにしているところは俺と同じ。
でも、甘え方はアレキサンダーの方がずっと上手い。
あんな風に素直に撫でて欲しい時には撫でてもらえたらとても心地良いだろうけど……でも、あの人は俺の神様でもあるから、やっぱり邪魔は決してしたくないと思っていて。
「……」
それに、俺はあの人が欲しくて欲しくてたまらない猫だから。いつでもその手に撫でられたいと思っているから、きっとキリがなくなってしまう。
「ずいぶん馴染んだな」
「……久瀬さん」
「最初はソファの下に潜り込んでたのにな」
「うん」
「アレキサンダー、留守番、上手にできたな」
またアレキサンダーの耳がピクンと動いた。
「ご主人様がもうお迎えに来るぞ」
「え?」
そして、本当に人の言葉が解るかのように、アレキサンダーが久瀬さんの言葉に顔を上げる。
「お迎えって、まだ」
まだお昼前だ。お迎えは夕方から、もしかしたら夜になってしまうかもって、そう話して。
「チェックアウト済ませてそのまま帰ってきたらしい。あと二十分くらいでこっちに着くって連絡があった」
「……そうなんだ」
今日は仕事が休みだから一緒にいられると思ったのに。
アレキサンダーは久瀬さんをじっと見つめて、そして自分が入ってきた玄関扉へ視線を移した。耳をそっちに傾けて、まるで主の足音を探すみたいに。鳴いたもせずに、じっと。
それから本当に二十分くらいだった。
「にゃ」
アレキサンダーが小さく鳴いたと思ったら、ソファから起き上がり、足音をさせずに降りると、玄関扉へと歩いてく。それと同時くらい。ピンポンとチャイムが鳴った。
「はい」
アレキサンダーの主だった。
「やだぁ、元気にしてた? アレキサンダー?」
「にゃぁぁぁぁ……」
抱っこされて気持ち良さそうに頭を何度も主の頬へと擦り付ける。とても嬉しそうに、幸せそうに。にゃうにゃう鳴きながら。ここであったことをたくさん話しかけるみたいに。主にたくさん何かを訊くように。
「もう寂しくなっちゃって早く帰ってきちゃったわ」
「にゃあ」
「良い子にしてた?」
「にゃあぁ」
「おとなしくしてたよ」
そう久瀬さんが教えると、アレキサンダーはまた小さく鳴いて、主へ頭を擦り付ける。アレキサンダーを抱っこした主さんがこれを、とお土産をたくさんくれた。お菓子に、久瀬さんが好きなお酒、それから漬物とか。たくさん。
そして、さて帰りましょうっていう時だった。
「に゛ゃ」
あの低いあまり可愛いとは言えない声がして、ストンって、主の腕の中からジャンプをすると、俺の足元に。
「!」
擦り寄ってくれた。
「アレキサンダー」
初めてすり寄ってくれた。
ふわふわで温かくて、優しい気持ちになれる。
「にゃぁ」
そして俺を見上げて、可愛い声で鳴いてくれた。
「に゛ゃー」
まるで、先輩猫として最後まで教えてくれるみたいに。「いいか? 甘えるっていうのはなぁ」そんな感じに。
「に゛ゃ」
じゃあな。頑張れよ。そう言ってくれてるみたいに。そして、先輩猫は手本のように主の腕の中へと戻って行った。抱っこされて嬉しそうに頭を主の肩に預けて。さて帰りましょうと、うちへと帰っていくアレキサンダーも、そして、主も、とても嬉しそうにしていた。
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