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猫先輩編 8 愛猫はよく鳴き、よく愛される

 クロの写真は好評だったんだって。  寝ているところ、伸びをするところ、顔を洗っているところ、クロの日常写真が添えられてるとイメージが湧きやすいとファンレターの数も増えたって。アレキサンダーのおかげだ。 「三冊で二千三百四十円になります。袋にお入れしますか?」 「お願いします」  もうこのコンビニで、この雑誌を毎回三冊買っていく人って知られてるんだろうな。明らかに置いてある冊数が増えた気がするし。一冊は読む用、もう一冊は保存用。それから三冊目が保存用が折れちゃった時とか用。 「ありがとうございましたぁ」  そしてその三冊を丁寧にリュックの中にしまうと自転車に跨り、うちへと急いだ。早く読みたいんだ。本当は仕事に行く時に買いたかったけど、買ったらすぐに読みたくなってしまうから、クライミングのコーチングに集中できそうになくてやめておいた。それでも、売り切れてないかな。今回はどんなコラムなんだろうって気になって、他のクライミングスタッフに今日は急いでるんですか? なんて訊かれたくらい。  そりゃ、急いでるよ。 「ただいまっ」 「おー、おかえり」  だって久瀬さんのコラム、早く読みたい。 「あ、ごめ、執筆中だった。うるさかった」  うちに帰ると久瀬さんがいつものテーブルで仕事をしている最中だった。 「外、暑いか?」 「ううん」  今日は一日執筆してたのかな。エアコンを入れてなくても、部屋の中は西向きで日差しがそうたくさん入ってくるわけじゃないから、大体涼しいんだ。夏は、西日のキツさがすごいけど、それでも真夏の猛暑日なんかでも午前中はわりと涼しく過ごせたりする。 「あぁ、今日か……」 「久瀬さん?」 「コラムの発売日」 「うん」  喉が乾いて、冷蔵庫から出したペットボトルの水を二杯、一気飲みするくらいに大急ぎで帰ってきた俺を見て、久瀬さんが笑ってる。 「今回のコラムはな」 「ちょ、言わないでよっ、俺の楽しみ」  楽しそうに笑って、そして、肩を竦めると、また、執筆へと手を動かし始めた。ぽちぽちって、久瀬さんが言葉を綴っているのを聞きながら、胸のところが少しだけ踊るんだ。今この人の綴った文章を早く読みたいなって。  邪魔をしないように音を立てず洗面所に向かう。シャワーをざっと浴びて汗を流し、服を着替えて、作り置きをしておいた、最近お気に入りのフレーバー緑茶を片手に、それから、買ってきたばかりの本をリュックから取り出して、俺はソファの上へ。  読みたくて、でも読むなら一番お気に入りの場所で。  ――最近、我が家の愛猫、クロに少し変化があった。 「……」  ――あまり鳴いたりせずに、物静かな猫だったのだが。最近、少しだけ鳴くようになったのだ。今までは静かでそこにいるのかとたまに後ろを振り返っては確認していたのだが。今は鳴いて甘えてくる時がある。前までは鳴くことは決してなかった。ただ、触ってもらいたいくせに、耳を俊敏に動かしつつ、目だけで雄弁に語っていた。それでも主の邪魔はしないようにとソファの上から尻尾すらはみ出さないように寝ていたけれど。  それが、触って欲しい、かまって欲しい時には鳴くようになった。小さくだけれど、聞き取れなかったらクロはそのままそっと背後で俺を見ているんだろう。そのくらい小さな声で僅かに鳴く。それがたまらなく嬉しいのを愛猫クロは知っているだろうか。 「……久瀬さん」  ――主というものは、愛猫にかまってもらえるのが嬉しい生き物なのだと、愛猫は……。 「んー?」  ――知っているのだろうか。 「どうした?」 「あ、の、ちょっとだけ」 「……」  ソファから降りて、そっと愛しい主の隣に座った。主は執筆を止めて、手を床へと置いて、体を捻り、首を傾げてくれる。  俺はその唇にキスをした。触れるだけの些細なキス。 「あ、た、だいま」 「……おかえり」  挨拶のキスくらいなら、数秒だから、執筆の邪魔には。 「ん……久瀬、さん」  舌を挿れてもらえて、身体が蕩けた。久瀬さんからくれる甘いキスに慌ててしゃぶりつく。 「ん、ンン、んっ、あ、久瀬さん」 「あ、そうだ」 「?」 「わりぃ、今、思い出した。おめでとうクロ」  何かと思った。 「お前にファンができたぞ」 「え? 何」 「これ」  久瀬さんがラッピングバックから中身を出して見せてくれた。 「クロさまへ、だって」 「……」 「お前のファンから、プレゼントだと。今日、担当が宅配で寄越してくれたんだ」  それは真っ赤な首輪だ。猫用の。 「まぁ、入らないけどな」 「……」 「真っ黒な毛並みに、月色の瞳、きっと赤色はとても似合うと思います、だとよ。けど、さすがにサイズ違うしな、アレキサンダーに」 「やだ」  ――にゃぅ。 「俺の」  ――にゃぁぁ。 「だから、こうする」  我儘をしてもいいと、久瀬さんが言ってくれたから。よく鳴くようになった。甘えるようになった。 「お前ね……」 「ダメ?」  だってこの首輪、愛猫クロ用だから、アレキサンダーじゃなくて、誰でもなくて、久瀬さんの飼っている愛猫クロにともらったものだから。俺が身につけたいんだ。  愛猫クロは俺だから。 「いいや。ダメじゃねぇが、なんか新たな扉を開きそうになっちまう」 「ぇ、何、その扉って」 「足首に真っ赤な首輪をくっつけたお前を……」 「ん……」  床にふたりして転がった。ラグの上に沈むように抱き合って転がって、俺は貴方の腕の中で甘く鳴かされる。 「あっ、でも、仕事っ」 「大丈夫だよ。お前が帰ってくるまでに終わらせた。ただ、少し予想よりも早く帰ってきちまうから、少し残ってたけどな」 「あ、じゃあっ」 「今、終わらせた。言ってるだろ?」  ――小さな声で僅かに鳴く。それがたまらなく嬉しいのを愛猫クロは知っているだろうか。 「主っていうのはな……」 「う、ん……そ、したら、久瀬さん」  シャワーなら浴びたよ。綺麗にしたから、お願い。主。 「かまって……」  小さく鳴きながら、自分から服を捲り、触ってと大きな手を掴んで引き寄せた。 「あっ……ん」  身じろぐと赤い首輪が足首で揺れて、鈴が鳴って、少し、くすぐったかった。  ――大ニュースだ。愛猫クロにファンができた。 「久瀬さん、コーヒー飲む?」 「あぁ、頼む」 「うん」  普段、コラムに使われてる写真はアレキサンダーが代役を務めてくれた写真を使ってる。けれど、あれは、そうクロにファンができて、プレゼントをもらい、それをクロがとても気に入ってると書いた回だった。 「久瀬さん、コーヒー、どうぞ」 「お前、最近その緑茶気に入ってるのか?」 「あ、うん、匂い、きつい?」  添えられた写真に写っていたのは誰かの足首。ラグの上を歩くその足首には真っ赤な首輪がついている。 「いや、キスするといい香りがする」 「んっ……」  そのコラムはやたらと評判が良かったって久瀬さんが教えてくれた。まるで愛猫クロが擬人化したみたいな写真から、黒が人だったらって、イラストまで頂いたくらい。もちろん、とてもそんなイラストのような可愛らしい猫じゃないけれど。 「じゃあ、もっと飲む。だから、たくさん、キス」  甘えるのが上手になった雄の猫は。 「キス、欲しい」  日々、主には可愛いと溺愛されている。

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