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久瀬(攻め)視点 編 2 クロちゃん
「それでは、次の作品はそんな感じでお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
「あ! それと! この前の短編集、出来上がったので、見本を」
「あぁ、ありがとうございます」
いくつか書き溜めていた短編があった。企画などで書いた短い作品があって、それを今回まとめて一冊として出版することになっていた。
「編集部の中ですごく評判良いんです」
「そうですか? それはありがたい」
短編は短期の間のものではなく、これまでの執筆活動での全ての短編を編集している。初期のものなんて、今読むと多少くすぐったいものがあるが、そこがまた歩んできたのだと感じられて評判は良いらしい。
「それでは。お忙しい中、ありがとうございました。久瀬先生」
「いえ、こちらこそ」
ようやく打ち合わせが終わり、一つ、溜め息を零した。
「なんだか毎回毎回ご足労いただいてしまって申し訳ないです。こちらから久瀬先生のご自宅に伺いますのに。出て来ていただくのは時間が。最近、コラムがもう一本増えたのでご多忙だと……」
「あーいや、大丈夫ですよ」
確かにまたコラムが一つ増えて、最近はタブレットに齧り付いている時間が多くなった。それでなくても毎回編集社へと出向く作家は珍しいとは思う。売れてる作家ともなれば、打ち合わせのためにと出向く移動時間さえ惜しいだろう。
まぁ、自分がそこまでの売れてる作家だとは思ってやしないが。
編集担当者が申し訳なさそうに一礼をしたが、こっちとしては自宅に来られたら困るからこそ出向いてるわけで、気にしないでくれと、言いながら苦笑いになった。
じゃないとまたアレキサンダーを借りてこないといけなくなっちまう。
かなり好評がいいらしい愛猫クロとの日常を綴ったコラム。ついこの間、そのアレキサンダーの写真をコラム内に使いたいという企画のために写真を撮り溜めたばかりだ。
恋愛小説家、久瀬の飼っている愛猫クロは人間だ、なんてことを知ってるのは、ほんの一握りの人間だけだからな。
「玄関までお送りしますね」
愛猫クロを、さ。
編集担当がミーティングルームのドアを開け、案内をしてくれた。
「コラム用の写真、たくさん先に送ってくださりありがとうございました。写真付きの回、ものすごく大好評でしたよ、クロちゃんファン急増です」
「それはよかった」
「今度まとめて、読者さんからの手紙またお渡ししますね」
「ありがとうございます」
この前のコラムから写真が載せてある。たくさん送っておいた。その写真をどのタイミングでどう使うかは編集者の方に一任してある。初回、この前のコラムには西日を浴びながら丸まって眠るアレキサンダーの写真が載っていた。次はちょうど伸びをしたアレキサンダーの写真を、俺のコラム「最高のリラックス法」と題した回に添えると聞いている。
「写真、あれで足りそうですか?」
「えぇ! もちろんです!」
それは助かる。頻繁に使われて、すぐにストック切れになっても困るんだ。そんなことはつゆほども知らないだろう編集担当がペコリと頭を下げた。
「先に確認もできるので助かります」
「確認?」
「一応、先生のご自宅などが知られてしまうようなものが写り込んでいないかどうか、こちらでも確認しませんと」
「あぁ、なるほど」
そこでエレベーターがやってきた。編集担当が扉を手で押さえながら中へと促してくれる。そして、エレベーターの中に彼女も入り、ドアが閉まったと同時、会話する声が小さなエレベーターの中にこもった。
「先生のクロちゃんコラム、私も大好きで実は愛読してるんです」
まるで内緒の話をしているみたいでくすぐったい。
編集担当は写真のクロ、に代わって代役を務めてくれたアレキサンダーの毛艶を褒め称えてくれている。黒い毛は濡れたように艶めいていて、可愛がってもらえてるんだろうなぁと。
可愛がってるさ、そりゃ。と、心の中で答えながら、ブラッシングはこまめにしてやってますから、と大嘘をついた。それから、瞳がとても綺麗だとも褒められた。
「私、実はあんまり猫派じゃなかったんです。なんだか猫って懐いてくれないイメージあって。でもクロちゃんのおかげでそのイメージが無くなっちゃいました。可愛いですよね。読んでるとクロちゃんは先生のことが大好きなんだろうなぁっていつも思います。いいなぁ、そんなふうに懐かれたいです」
「あー、まぁ、親バカなんです」
「えーいいじゃないですかっ、可愛がってあげてて、素敵です」
くすぐったいな。
「結構大きな子ですよね?」
「あぁ、そうかも、ですね」
子、だってよ。クロにこの話をしてやったらどんな顔をするんだろうな。
「どのくらいの大きい子なんですか? ソファの上に寝ている写真が多いので」
「そうですね……膝の上に乗せると少し重いかな」
――久瀬、さんっあぁ! そこ、深いっ。
「へぇ、じゃあ結構大きい子なんですね。やっぱりソファの上によくいるんですか」
「いますよ。特に執筆してる時とかはそこでじっとしてます」
「コラムでもそう書いてらっしゃいますもんね」
――クロ。
――? どうしたの? 久瀬さん。
――……おいで。
「でも呼ぶとすぐに来ますよ」
「わぁ、お利口さん」
思わず笑った。お利口さん、って。
「悪戯とかはあんまりしないんですか? 執筆の邪魔とか、ほら、猫ちゃんって、我儘っていうじゃないですか。私、ペット禁止のアパートだったし実家は犬を飼ってるので」
「そうです……ね」
―― あ、の、ちょっとだけ。
「邪魔はするかな」
―― あ、た、だいま。
「わっ、やっぱりするんですか?」
「えぇ」
――久瀬さん、少し……キス。
「でも、そこを含めて、可愛いので」
ちょうどそこでエレベーターが下へと到着した。
「あ、そうだ。この前、読者さんからのプレゼントの首輪、どうでしたか? クロちゃん、気に入ってくれていますか?」
クロちゃん、ね。
「えぇ、気に入ってますよ」
あの日一日はずっとつけていたっけ。歩く度に鈴が鳴っていた。
――あ、あ、あ、久瀬さんっ、あぁっ、奥、来ちゃっ。
突く度に鈴が鳴っていた。
「すごく、気に入ったみたいです」
「……」
軽やかな鈴の音と甘やかなクロの鳴き声。
けれど、鈴が鳴ると執筆の邪魔になるだろうからと、その日一日だけで、あとは大事にしまっている。普段はだからつけてない。たまに――。
「それじゃあ、また、宜しくお願いします」
「ぇ……あ、はい! 是非っ! 宜しくお願いします!」
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