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久瀬(攻め)視点 編 5 主人は我が儘

 ―― 真っ黒な毛並みに、月色の瞳、きっと赤色はとても似合うと思います。  真っ赤な首輪に同封されていたファンレターにはそう書いてあった。勘の良い読者なんだろう。  ――彼が気に入ってくださるといいのだけれど。  そう、そのクロファンの女性は綴っていた。細やかにコラムを読んでくれているのだろう。その女性はクロを「彼」と。  猫相手に「彼」というだろうか。  人の家族のように、猫を猫としてではなく考える人もいるだろうけれど。でもその「彼」という呼び方はまるでクロが――。 「久瀬さん、それも洗っちゃうから脱いで」  夜行性のはずの猫が朝から元気だ。 「え? これもか?」 「うん。あとで着替えるでしょ? だから。明日、雨なんだ。だから洗えるもの今日のうちに洗わないと」  そう言うクロも今の今まで着ていた寝巻きを洗濯機へ放り込んで、今はほぼ半裸だ。家着の上だけを着て、主人も早くと、催促の手を伸ばす。愛猫が率先してやってるんだ、グータラ小説家は着ていた寝巻きを渡すしかない。どうせ朝食を作りにベッドから起きれば着替えるんだ。今でも、それが十分後でも大差はない。  愛猫に促され、飼い主はベッドの上で丸裸にされた。流石に、パンツ一丁っていうのはどうだろうかとごろ寝を終いにし、着替えを済ませようと立ち上がる。 「ありがと」  俺の寝巻きを他の洗い物と一緒に抱えて洗濯機へ向かうクロに合わせて、「リン」と鈴が鳴った。  ――今日一日、これしたままじゃダメ?  足首には赤い首輪。  ――うるさい?  今日は一日オフだから、ずっと部屋にいられる。  ずっと愛猫のままでいられる日だからと言っていた。  ――執筆の邪魔になる?  ならないよ。どうせ、俺が執筆中、お前はソファの上でじっとしているだろう?  ――これ、してたい。久瀬さんの猫のままでいたい。  それにその鈴の音は気に入っている。だから、かまわないと答えると嬉しそうにしていた。  ――俺、我儘なんだ。  そう、ぽつりと昨夜、抱き合った後にクロが呟いた。足を、甘えるように絡ませて。クロのさらりとした肌の感触はとても心地良かった。そのクロの足に合わせて、鈴が僅かに音を奏でていた。  クロが囁くようにぽつりぽつりと話しながら、その足で擦り寄る度に、リン……と綺麗に鳴っていた。  ――打ち合わせとかさ、作家さんの仕事の一つっぽくて、いってらっしゃい頑張ってってちゃんと思うのに。編集の人と一緒にいるのも少し妬けてきて。久瀬さんの本を誰かが買うのは嬉しいけど、独り占めもしたくて。  そう困ったように俺の腕の中で呟いていた。  ――久瀬さん。  俺を呼んでキスをするクロが、甘えて擦り寄せた足から、また鈴が鳴っていた。  その独占欲が、鈴の音が、たまらなく愛おしかった。そして笑っちまうのだが、いい歳して必死こいてお前に夢中でガキみたいに独占欲丸出しで、愛しい猫の体中に自分のものだという印をイベントの時に着ていたタイツで隠れる部分につけまくった昨夜の自分にも。  それにしても、えらい盛ったな、と呆れる。  クロの太腿の内側はキスマークだらけだ。朝になると余計にそれが際立って見えた。 「ねぇ、久瀬さん……って、な、なんで俺の写真?」  俺のものだという証の赤い痕。  そして愛猫にしてみたら、それは主人のものだいう証の赤い首輪。  それを写真に撮った。赤い首輪をした足首だけの写真。  いいだろう?  誰にも伝わらなくていい、こんなしがない小説家の独占欲なんて、もらったところで腹を下すくらいには美味くない。だから、これは俺の自己満足だ。独り占めしているという証拠を写真に収めたかった。 「いや……まぁな」  この小さなワンルームで互いを独り占めしている印。 「あ、そうだ、クロ」 「?」  狭いところが心地良い。そうだな、なんというか、布団の中に潜り込んだような暖かさと、安堵感のような感じ。 「短編集が刷り上がったんだ」 「!」  そこでそんなに飛び上がるほど反応するもんかね、とくすぐったくなる。クロの「久瀬」溺愛ぶりに。 「この前の打ち合わせの時にもらった。ビニール袋の中に」 「よ、読んでいい?」 「あぁ、もちろん」  愛猫クロが鈴を鳴らして、ビニールの中から本を取り出した。  まるで宝物を発見したかのように目を輝かせて。 「うわ……」  両手でそれを持ち、表紙を見ては感動したと口元を緩めて。 「これっ俺が一番に?」 「あぁ、発売はまだ少し先だから」 「!」  大喜びだ。嬉しそうにまた鈴を鳴らしながら、今は遠慮することも忘れてるんだろう。せっかく起きたばかりだというのに、かまうことなく、俺の懐に潜り込んで、もうすでに小説を読み始めてる。  知らない作品があったと呟いた。  クロが今開いているページのは確かに知られてないだろう、一番売れてない頃のもの。寂しい話だった気がする。もう何年も前で、もうずっと味わっていない淋しさだ。  恋をすることにも、何をするのにも、諦めかけていた男が片想いを久しぶりにしたと自覚した朝を淡々と綴った気がする。できるだけ小さく、できるだけドラマチックにならず、できるだけ質素に。 「なぁ、クロ、朝飯作ろうと思ったんだが」 「……うん」  聞いてやしないな。これは。夢中で読み耽ってる。 「俺、まだ上を着てないんだが」 「うん……」  月色の瞳をそんなに輝かせて。あろうことか主のことは無視だ。 「お前もまだ着替え途中だろう?」 「……うん」  いい歳してって思うさ。けれど。 「クロ」 「うん」  俺の欲しいものを唇に落とした愛猫が、苦笑いが溢れるほど愛おしかった。

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