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1-3:午後5時のアバンチュール (6)

案内されたのは長い廊下の一番奥だった。 2901、2902、2903、2904……はなくて、最後に2905。 柔らかい床を踏みしめながらたどり着いたそこには、流れるような書体で『KANZAKI』と書かれていた。 どうしよう。 ここまできて今さらという感じはするけれど、さっきまでとは違う意味で緊張してきた。 このままお邪魔してしまっていいんだろうか。 ゆっくりお茶する場所がまさか神崎さんの家だとは思わなかったけど、神崎さんの方から誘ってくれたということは、問題ないんだと思う。 カフェ行脚のお詫びだと言っていたし、そもそも神崎さんに邪な心はないだろうから本当にお茶をご馳走になるだけなんだろうしーー って、もちろん俺にも邪な心なんかない! ない、けれど。 ……緊張する。 曲がりなりにもずっと気になっていた相手の家だ。 緊張しないわけがない。 四年間ずっとレジのカウンター越しに見てきた。 だから、知っているつもりだった。 毎回カルボナーラを買うこと。 必ず現金で支払うこと。 できるだけ小銭を使うこと。 袋は左手で受け取ること。 最後に笑顔でお礼を言ってくれること。 でも、今日この数時間で思い知らされた。 いくら四年間の積み重ねでも、それは神崎さんのほんの一部でしかない。 クリームソーダにこだわりがあること。 双子のさくらんぼが好きなこと。 暑さに弱いこと。 でも夏は好きなこと。 汗を拭いたハンカチはきちんと四角く折りたたんでポケットに戻すこと。 点滅している信号は絶対に渡らないこと。 並んで歩く俺に歩調を合わせてくれること。 知れば知るほどもっと知りたくなった。 心の奥底でただくすぶっていただけの何かが、だんだん大きくなっていった。 これ以上一緒にいたら、きっとあっという間にそれが確実なものになってしまう。 ーー怖い。 漠然とした恐怖を感じて、思わず踵を返しそうになる。 この気持ちが何かなんてきっと本当はもう自分でも気付いているんだ。 気付いていて、それでもまだ認められずにいるだけ。 認めなければ。 名付けなければ。 まだ、引き返せる。

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