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2-1:午前8時の逢瀬 (10)
「あー、いや別に、その、ただあり得ないくらい眠かったからその、コーヒー、飲みたかっただけで……」
「……」
「……笑うな」
「ご、ごめんなさい!でも……嬉しくて」
神崎さんが、すでに燃え上がっていた顔をさらに炎上させた。
うっすら涙目で見上げてくる神崎さんの瞳に、頬の筋肉が緩みきった俺の顔が映っている。
でもこれは本当にしょうがない。
もうとろけ落ちてしまいそうなくらい嬉しいんだから。
神崎さんがキュッと唇を尖らせた。
「だって、昼休みだとできないだろ……話」
「話?」
「ご飯作ってくれるって言うから、それなら親子丼食べたいって思って、作れるか確認したかったんだよ。でも朝寄ったらいないし、それならまあいいかとは思ったけど、素通りするのも悪いだろ。だからコーヒーでも、って……いい加減そのだらしない顔なんとかしろ」
「無理です。会いたいって思ってるの俺だけかと思ってました」
「……なんで。付き合うって言っただろ」
「はい」
「……」
「神崎さん」
「……なに」
「キスしたいです」
「……家にしろ」
「はい」
沈黙が落ちた。
雑踏の中にいるのに、まるで世界に二人だけになったかのような錯覚を覚える。
すっかり闇色に包まれた空の下を並んで歩く。
相変わらず鞄から飛び出したネクタイの端っこも、俺よりほんの少しだけ小さい歩幅も、時折かすめる肩の感触も、すべてが愛おしい。
本当は手を繋ぎたい。
むしろ今すぐ抱きしめてキスしたい。
それができないならせめて、この時間をまた明日も過ごせるようにーー
「神崎さん」
「……なに」
「明日は何食べたいですか?」
神崎さんはこれでもかと目を見開いた後、ゆっくりと破顔した。
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