65 / 492

2-1:午前8時の逢瀬 (10)

「あー、いや別に、その、ただあり得ないくらい眠かったからその、コーヒー、飲みたかっただけで……」 「……」 「……笑うな」 「ご、ごめんなさい!でも……嬉しくて」 神崎さんが、すでに燃え上がっていた顔をさらに炎上させた。 うっすら涙目で見上げてくる神崎さんの瞳に、頬の筋肉が緩みきった俺の顔が映っている。 でもこれは本当にしょうがない。 もうとろけ落ちてしまいそうなくらい嬉しいんだから。 神崎さんがキュッと唇を尖らせた。 「だって、昼休みだとできないだろ……話」 「話?」 「ご飯作ってくれるって言うから、それなら親子丼食べたいって思って、作れるか確認したかったんだよ。でも朝寄ったらいないし、それならまあいいかとは思ったけど、素通りするのも悪いだろ。だからコーヒーでも、って……いい加減そのだらしない顔なんとかしろ」 「無理です。会いたいって思ってるの俺だけかと思ってました」 「……なんで。付き合うって言っただろ」 「はい」 「……」 「神崎さん」 「……なに」 「キスしたいです」 「……家にしろ」 「はい」 沈黙が落ちた。 雑踏の中にいるのに、まるで世界に二人だけになったかのような錯覚を覚える。 すっかり闇色に包まれた空の下を並んで歩く。 相変わらず鞄から飛び出したネクタイの端っこも、俺よりほんの少しだけ小さい歩幅も、時折かすめる肩の感触も、すべてが愛おしい。 本当は手を繋ぎたい。 むしろ今すぐ抱きしめてキスしたい。 それができないならせめて、この時間をまた明日も過ごせるようにーー 「神崎さん」 「……なに」 「明日は何食べたいですか?」 神崎さんはこれでもかと目を見開いた後、ゆっくりと破顔した。

ともだちにシェアしよう!