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2-2:午後8時のさざ波 (9)
「なんだ、3枚におろすんじゃないのか」
「ブリなんてそうそう自分でおろせませんよ。それに今日は切り身で買ったし」
「ああ、そうだった」
神崎さんがどこかウキウキしながら、俺が半分に切ったブリの切り身に片栗粉をまぶしていく。
ああ、もう。
カウンターにどっさりこぼれてる。
いつのまにか神崎さんも頭やら顔やら服やら粉まみれだし、いったいどうやったらそんなところまでつくんだ。
「なあ、佐藤くん。これくらい?こんな感じ?」
「はい、そんな感じで」
「よし!」
でもまあ、ものすごく楽しそうだし……いいか。
キッチンに立つ神崎さんは、スーパーの時よりテンションが高い。
ゆっくりしててください、くつろいでてください。
俺がいくらそう言っても、神崎さんは大人しくソファに座っててくれない。
おもむろにキッチンに立つ俺の隣にやってきて、キラキラした瞳で見つめてくる。
その無邪気な視線があまりに居心地が悪くて、野菜を洗ったり卵を割ったり、簡単なことを頼んでみたらそれが神崎さんのツボにはまったらしく、ふたりで料理するのが日課になった。
大の男がマンションのキッチンに並んでふたりで料理……きっとものすごく妙な光景ではあるんだろうけど、なんとなく……すごく……嬉しい。
「唐揚げって小麦粉じゃないの?」
「片栗粉の方が衣が軽くなるんですよ」
「ふぅん。片栗粉ってすごいんだな」
「すごい?」
「だって水で溶いて熱したら固まるんだろ」
「はい、餡になります」
「でも揚げるとサクサク?」
「そうですね」
「ほら、すごい」
何がすごいのかわからないけれど、神崎さんは真っ白になったブリを持ち上げてうっとりと眺めた。
なんか妙に視線が色っぽい。
粉にまみれたブリ相手になにそんな無駄遣いしているんだ。
やたら優しく切り身を置く長い指を見ていたら、さっきまでここでされていたことを思い出して身体がそわそわした。
不自然な咳払いでごまかしつつ隣の神崎さんを見ると、相変わらずにこにこしながら今度は玉ねぎの皮を剥いている。
ああ、白いところは剥いちゃだめだって言ったのに、そんなに剥いたらどんどん身が小さくなって……もう。
ハラハラしながら見ていると、神崎さんがぎゅっと目を瞑った。
「いっ……やっぱり玉ねぎしみる」
「大丈夫ですか?あ、こすっちゃだめですよ!」
手首を掴むと、神崎さんは滲む涙を必死に瞬きでやり過ごそうとする。
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