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2-2:午後8時のさざ波 (14)
俺も神崎さんにアイスを食べさせてあげたいとは思うけれど、なにせ今日は卵もなければ生クリームなんてハイカラなものはもっとない。
冷蔵庫にトマトがひとつ残ってたから、シャーベットくらいならなんとなるかもしれないけれど、たぶん神崎さんが今欲してるのは、大きめカップのバニラアイスーー
「あの、神崎さん」
「なに……?」
「あの時なんで突然アイス買いに来たんですか?」
「あの時?」
「ほら、バニラアイスのでかいやつ。うちのイートインで……」
「あ、ああ、うん。あの時の俺は人違いだ。忘れてくれ」
「プッ……いいじゃないですか。見てたの俺だけなんだし」
神崎さんの口が、また『へ』を作った。
これは……照れてるな。
この二週間の成果、おまけ。
神崎さんのへの字口のバリエーションが分かるようになってきた。
「あれは、まあ、なんというか、ただの……憂さ晴らし」
「憂さ晴らし?」
「部ちょ……職場の上司がなにかと俺のことを目の敵にしてくるんだ。それまでは嫌味言ってきても適当に流してたんだけど、あの日ついに決裁書類をわざと破棄しやがったからもう腹わたが捻れるくらいに煮えくり返って……あー、今思い出しても腹が立つ!」
「それってパワハラってやつじゃ……?」
「パワハラ中のパワハラだ!」
いつにない剣幕に思わず上半身を逸らすと、神崎さんは微かに目を見開いてからふぅー……と肺の底の方から長いため息を吐いた。
コーヒーをひと口啜って、俺に向き直る。
「……ごめん」
頭を撫でると、また口がへの字になる。
居心地悪そうにしながらも、俺の手は振り払われなかった。
「だからアイスで精神統一だったんですか」
「……うん」
なるほど。
あの時アイスに睨みをきかせてたのは、沸き起こる怒りを鎮めようとしていたのか。
神崎さんが、またひとつ息を吐き出す。
「俺への個人攻撃は正直どうでもいいけど、課のみんなが労力費やしてまとめた資料を破棄するなんて、どう考えても上に立つ人間のすることじゃない」
「そうですね」
「社内のコンプラ窓口だって、匿名なんてそんなの上辺で結局迷惑かけるのは課のやつらだから言えないし」
「じゃあ、何もできないんですか?」
「いや、俺から人事部長にきっちりみっちり直訴した」
「人事部長?」
神崎さんが口の端を上げる。
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