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2-3:午後7時のベーゼ (2)

「鍋のスープっていっぱいあるんだな」 「ここ数年人気ですからね。でもちょっと買いすぎじゃ……」 「旬はこれからなんだろ?だったら無駄にはならないよ」 神崎さんは今日も楽しそうだ。 キッチンのカウンターに5種類の鍋のスープを並べて、恍惚とした表情を浮かべて鑑賞している。 急に気温が下がった今夜、夕食に鍋を選んだ家庭はたくさんあるだろうけど、こんな風にスープのパッケージに見とれているのは、日本広しと言えども神崎さんだけに違いない。 「今日は何味にしますか?」 「佐藤くんはどれがいい?」 「んー……今日はメインが豚肉だから、キムチ鍋がいいかも」 「豚キムチか!聞いたことある響きだな。うん、それにしよう!」 相変わらず眩しい笑顔を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。 邪の気がこれっぽっちもないのが余計にいやらしい。 人の気も知らないで。 そんな安っぽい台詞まで吐いてしまいそうになる。 「佐藤くん、豚肉開けていい?」 「いいですけど、野菜先に切っちゃいたいんで、まだ出さないでくださいね」 「わかった。見るだけにする」 まただ。 無駄な色気を振りまきながら、豚肉を隅々まで眺めている。 あんたが付き合ってるのは豚肉じゃないだろ。 そんな瞳で見つめていいのは俺だけなんだよ。 ……嗚呼。 すでに肉に成り果てた豚たちにさえ嫉妬してしまうくらい、今日の俺は荒んでいる。 「神崎さんって時々ほんとにおかしいですよね……」 「なにが?」 「……なんでもないです」 「ふぅん……?」 ごめんよ、豚のみんな。 俺たちの命の糧になってくれる君たちにこんな気持ちを抱いてしまうなんて。 でもしょうがないんだ。 分かっておくれ。 だって俺は今日も、玄関先のキスを避けられたんだ。 そして気付いてしまった。 玄関先どころか、俺は、今日まで一度も神崎さんにキスをされていない。 最後にキスされたのは、初めてここに招かれたあの時だ。 それ以来、神崎さんが自分から唇を寄せるのは、俺の分身……と、ふたりで一緒に生み出した『愛の結晶』という名の料理の数々だけ。 口付けする時は決まって俺からで、しかもいい雰囲気になって俺が身体に触れたりすると、決まって何かが起こる。 それはやかんがわめく音だったり、神崎さんの酸欠だったり、理由は様々だけど……なんだか。 なんだか……切ない。

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