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2-3:午後7時のベーゼ (7)

「俺は一目惚れはしない」 「えっ……?」 神崎さんが、また俺を見た。 頭がボサボサだ。 「だからそれとは違う、のに……佐藤くんが俺を見てるなって思うと……なんかこう……うまく、言えないけど、その……」 「そ、その……?」 「ムラムラ、してくる」 「えっ」 「……」 「えぇっ!?」 神崎さんの顔が食べごろの林檎色に染まった。 「あ、え、えぇっと、ム、ムラムラ……ですか?」 「うん。もう、ほんと、どうしようもないくらいに」 「そ、うですか」 「ものすっ……ごく、ムラムラムラムラして……で、我慢できなくなって……」 神崎さんが、左手で顔を覆った。 「俺は思春期の高校生か……!」 ……ああ。 どうしよう。 嬉しいなあ。 荒んでいた心が、一気に光を取り戻していく。 神崎さんは、俺を見てくれていた。 ちゃんと俺を求めていてくれた。 それが分かっただけで。 もう、空も飛べそうだ。 きっと、神崎さんにとって、俺との出会いは突然なんだ。 この人の世界に、ついこの間まで俺はいなかった。 俺はふわふわした雲のようなものでしかなく、人という(かたち)もなければ、名前もない、重みのない存在だった。 空気の中に溶け込んでいたんだ。 だからこの人は、戸惑っている。 俺が突然、目の前に現れたから。 突然、好きだって言ったから。 「神崎さん」 「……なに」 「四年です」 「え?」 「二週間じゃありません。俺は四年前からずっと、神崎さんが好きです」 あの日、あの時、カウンター越しにあなたを見たときから。 「俺は、ありがとうのひと言だけで誰かを好きになれるような、純粋な人間じゃありません」 ずっとあなたを見ていました。 「でも、たったそれだけで神崎さんを好きになりました」 認めるのには時間がかかったけれど。 「好きで好きで好きすぎてどうにかなりそうなくらい、好きです」 踏み出すには勇気が要ったけれど。 「こんなの、俺だって納得なんて、していません」 それでも俺は、あなたにこの想いを告げたこと、後悔していません。 「でもきっと、好きって、そういうことなんじゃないかな」 だってこの二週間、楽しくて、嬉しくて。 幸せでいっぱいだったから。

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