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3-3:午後10時の攻防 (4)
俺は慌てて頭を下げたけれど、神崎さんは三井さんの挨拶を完全に無視してそのままエレベーターに向かっていく。
怒っている……わけではないと思う。
ペースは速いけれど歩く両足は飛び跳ねるように軽快だし、時折垣間見えるその横顔は明るい。
あれ。
もしかしてものすごく喜んでる?
俺に……会ったから?
エレベーターでふたりきりになると、神崎さんの上機嫌ぶりがますます明らかになった。
とにかくにこにこしている。
にこにこにこにこにこにこ……にこにこしている。
飲み会帰りで酒が入ってるせいもあるんだろうけど、目元も頬も口元もいつもよりだいぶ緩んでいる。
こんな近い距離でこんな風に笑顔を振りまかれたら、そわそわして落ち着かない。
なにせここは密室だ。
キスしようと思えば、いつでもできーーあ、だめだ。
三井さんが見てるんだった。
「帰り、早かったですね」
「そうか?」
「終電になるのかと思ってました」
「まさか!明日も仕事あるのにそれはない。部下たちは二次会だーってカラオケ行ったけどな。若者は元気だよ」
「神崎さんだって若いじゃないですか」
「立場の問題。年は近くても一応上司だから、俺はいない方があいつらも息抜けるだろ」
「そんなものですか?」
「うん」
昨日騒いでいた男女三人も、神崎さんの部下なんだろうか。
絶対に神崎さんの隣に座ってやると息巻いていたあの女子は、どこに座っていたんだろう。
宣言通り、一瞬でも神崎さんの隣を陣取ったりしたんだろうか。
会話のどさくさに紛れて、神崎さんに触れたり、したんだろうか。
「今日はもう会えないと思ってた」
「えっ……?」
「だから佐藤くんが会いに来てくれて嬉しい」
神崎さんがボソボソ躊躇いがちに言葉を紡ぎ、斜め上を見る。
右手が何かにきゅっと締めつけられた。
そして、気付いた。
今夜は、ずっと手を繋いだままだ。
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