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4-1:午前9時のシャワールーム (4)
「なんで開かないんだ……!」
初めてここに泊まった次の日の朝、俺は開かない扉の前で途方に暮れていた。
目覚まし時計よりも早く目が覚めた俺は、隣で眠る理人さんの無防備な姿にあてられてしまって、気を鎮めるために散歩に出ていた。
まだ暗い中で歩く街は、昼間や夜のどれとも雰囲気が違って心地よかった。
30分くらい適当に歩いて、そろそろ戻るか、今日も仕事頑張れそうだ……なんて缶コーヒーのコマーシャルみたいなことを考えながら、マンションの入り口に立った。
立って、でも、扉がーー開かなかった。
あれ?
自動扉だよな?
そう思い込んでいた俺は、立つ場所を変えてみたり、身体を傾けてみたり、しゃがんでみたり、飛び跳ねてみたり。
今思えば完全に不審者的な行動をやり尽くして、それでも扉は開かなかった。
「三井さん、三井さーん!」
カウンターにいたコンシェルジュの三井さんに手を振ってみたけれど、困ったように首をかしげるだけでこっちに来る気配がない。
「こうなったら理人さんに電話……!」
ポケットからスマホを取り出して、通話ボタンを押……そうとしたところで、一抹の不安が胸をよぎった。
ただ今の時刻、朝の5時53分。
理人さんが目覚ましをセットしたのは、7時。
自称プラス他称『群を抜いた低血圧』の理人さんを、こんな時間に起こして大丈夫だろうか。
怒らない、とは思うけど。
思うけど……あっ!
その時、それまでビクともしなかった扉がスーッと開いた。
開けた空間の向こう側には、小さな犬を抱えた小柄な女性が立っていた。
チャンス!……とばかりに横をすり抜けた俺の腕がすごい力で引っ張られた。
「待ちなさい」
「えっ?」
「あなた、ここの住人じゃないわね?」
「あ、野々宮さん、その方は……」
不信感を露わに詰め寄る女性に思わず後ずさると、三井さんが慌てた様子でカウンターから身を乗りだした。
その間も、俺の腕はギリギリと締め上げられている。
とてもか弱そうに見えるこの女性のどこに、そんな力があるんだろうか。
一見40代くらいの普通の主婦に見えるけど、実は過去に柔道の全日本選手権を100連勝して未だその記録は誰にも破られていない……という伝説の持ち主だったどうしよう。
運命の相手と出会い恋に落ちたことをきっかけに、惜しまれながらも引退。
今は夫となったその相手と、愛の巣で幸せに暮らーー
「あー……いた」
下から向けられる鋭い視線に冷や汗を垂らしながらそんなことを考えていると、ふと背後から間延びした声がした。
「なに、やってんの……?」
振り返ると、パジャマ姿の理人さんがいた。
トロンと寝ぼけ眼まなこな上に、寝癖で頭がボッサボサだ。
俺の腕を掴んでいた女性は、理人さんの姿を見てパッと笑顔の花を咲かせた。
「あら、神崎くん」
抱かれていたチワワが腕を飛び出して、理人さんに駆け寄っていく。
理人さんは、足元で尻尾を振るチワワをジッと見下ろしてから、ゆっくりと抱き上げた。
「……おはようございます、野々宮さん」
「おはよう。珍しいわね、こんなに朝早く」
「……こいつ、探してて」
「神崎くんのお友達?」
「あー……はい」
「なんだ、そうだったの」
目を見開いた女性は俺から手を離すと距離を取り、ごめんなさいね、と上品に謝った。
「理人さん……?」
「気づいたら、いなかったから」
「ちょっと散歩に……」
「鍵、持ってかなかっただろ」
「鍵……?」
理人さんは、ポケットからトフィのキーホルダーを取り出してみせた。
その先には、黒くて四角い物体が付いている。
その時初めて、俺はこのマンションがどこもかしこもキーレス仕様になっていたことを知った。
いつも理人さんが近づくと勝手に扉が開いていたから、てっきり自動ドアなんだと思っていた。
三井さんには、顔見知りでも住民以外は許可がないと入れてはいけないことになっている、と申し訳なさそうに説明されて、野々宮さんにはケタケタと笑われて、穴があるなら今すぐ入りたい……ないなら今すぐ掘って入りたい……と頭を抱えた。
理人さんは相変わらずボーッとしていたけれど。
もちろん、その日以来俺が鍵を忘れたとは一度もない。
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