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4ー3:午後9時の涙 (4)

カウンターの向こうには、田崎さんと三井さんがいた。 コンシェルジュさんがふたり一緒にいるなんて珍しいな、なんて頭の片隅で思いながら、すみません、と声をかける。 田崎さんと三井さんは、エレベーターから弾丸のように飛び出してきた俺たちを見て、一瞬顔を見合わせた。 でもすぐに表情を和らげて、こんばんは……といつも通り挨拶しかけて、揃って、 固まった。 まず、田崎さんがヒエェェェ!……と情けない声を上げ、救急車救急車とオロオロし始めた。 三井さんがそんな田崎さんを宥めつつ、スーツの胸ポケットに手を入れつやつやした水色のハンカチを取り出すと、すでに白いところがなくなってしまっていた布巾をどけ、代わりに覆った。 そして田崎さんに力いっぱい抑えるように指示してから、フロントのすぐ後ろの壁を押して中に入っていった。 そんなところに扉があったのか。 まるでゲームの隠し扉だ。 それ以上の思考を巡らす間もなく、三井さんが戻ってきた。 その腕には、緑色の十字架がついた大きな木箱を抱えている。 三井さんはそのまま、カウンターのこちら側にまわってきた。 「なにがあったんですか?」 「皮むき器でにんじん剥いてたら、いつの間にか……つぅっ」 ドボドボと予告なく消毒薬をかけられ、理人さんが全身を縮こませる。 三井さんは長い前髪を揺らしながら顔を上げると、困ったように眉を下げた。 「しみると思いますが、少し我慢してください」 「いっ……」 痛みに顔をしかめる理人さんを気遣うように、傷薬をゆっくり丁寧に塗り広げていく。 そして大きなガーゼを四つ折りにすると、傷口にあてがった。 「(みのる)、サージカルテープ取って」 「テープ……ええと、これ?」 「そう、それ。ガーゼ貼るから、長めに切って。4本」 「わかった」 三井さんの言葉に頷き、田崎さんが細いテープをハサミでカットして一本ずつ手渡す。 それを受け取りガーゼを固定すると、三井さんは慣れた手付きで包帯を巻き始めた。 あまりにテキパキした様子に感心していると、ふと視線が交わった。 「俺、前職、看護師なんです」 三井さんが、俺の視線の意味を察して表情を和らげる。 そうこうしている間にも、理人さんの右手には綺麗に包帯が巻かれていた。 「出血の割に傷口は綺麗ですし、大丈夫だと思いますよ」 換えにどうぞ、とガーゼを数枚とテープを渡してくれながら、三井さんがほうっと息を吐いた。 「……ありがとう」 「ありがとうございます。助かりました」 理人さんとふたりで頭を下げると、三井さんが綺麗に笑った。 これまであまり言葉を交わしたことはなかったから、初めて見る笑顔かもしれない。 今までなんとなくクールな印象を抱いていたけれど、その瞳はとても穏やかだ。 「お仕事の邪魔してすみませんでした」 「とんでもない!これも仕事のうちですから」 田崎さんが人好きのする笑みを浮かべる。 「お大事になさってくださいね」 「しばらくはこまめに消毒してガーゼを交換した方がいいと思います。もし化膿してくるようなことがあれば、すぐに病院に行ってください」 「わかりました」 三井さんのアドバイスに深く頷きながら、理人さんが、包帯の巻かれた右手をじっとみつめた。 口がはっきりとしたへの字を描いている。 「理人さん……?」 「……じゃ、おやすみ」 「はい、おやすみなさいませ」 「おやすみなさいませ」 「えっ、あっ、ちょ、理人さん!?」 理人さんが唐突に夜の挨拶を済ませ、踵を返した。 「ありがとうございました!おやすみなさい!」 穏やかな笑みで見送ってくれる田崎さんと三井さんに頭を下げて、俺も足早にエレベーターに乗り込んだ。

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