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4ー3:午後9時の涙 (7)

人参とりんご以外の材料がすでにカットされていたこともあり、カレーはすぐにできあがった。 キッチンからリビングに良い香りが漂っていく。 子供の頃家族と食べたカレーを思い出して、くすぐったい懐かしさを覚えた。 理人さんが隠し味にと用意してくれたりんごはカレーには入れず、櫛形に切ってデザートにした。 理人さんと隣り合わせに座り、両手を合わせる。 理人さんは、こういう時の所作がすごく綺麗だ。 長い指がピンと綺麗に伸びている。 いただきます、のタイミングがピタッと合って思わず顔を見合わせて、ふたりで照れた。 カレーは甘すぎず辛すぎず、ふつうに美味かった。 予想外の出来事に大量のHPを消費し腹が減っていたのもあり、俺はすぐに二杯目をおかわりした。 でも、理人さんの皿は、ずっと底が隠れたままだった。 ひと口食べては、うかない顔をして唇を尖らせる。 そんなことを繰り返すばかりで、全然カレーがなくなっていかない。 どうしたんだろう。 『食べたいものリクエスト』への出現頻度は少ないけれど、カレーは嫌いじゃないはずだ。 「理人さん、口に合わないですか?」 「え?あ、いや、美味いよ。これくらいの辛さ、好き」 「やっぱり」 「え?」 「理人さん辛めの方が好きだから、ルーが甘口だと食べにくいかと思って、ちょっとだけスパイス足してみたんです」 「甘口?……俺、甘口買ってた?」 「はい」 なにも考えずに頷いて、しまった、と気づいた時にはもう遅かった。 理人さんが、がっくりとうな垂れた。 ズウウウゥゥゥン……という文字を背負っているように見えるのは、気のせいじゃないと思う。 カレーを自分で作れなかったこと、そんなに気にしていたのか。 かける言葉を見つけられずにいると、静まりかえった空間にかちゃかちゃと食器が擦れる音だけが響いた。 「なんか、ごめん」 「理人さん……?」 「佐藤くんの誕生日だから、ちゃんとしたかったのに」 手当されたばかりの右手をギュッと握りしめながら、理人さんが声を震わせる。 俺はスプーンをカレーの上に戻してから、理人さんの頭を撫でた。 「だめですよ。右手、そんなに握っちゃ」 「だって……」 「俺は、理人さんの気持ちが嬉しかったです」 額と額を合わせて覗き込むと、理人さんの瞳になみなみと涙が込み上げてくる。 俺は少し笑って、目尻に溜まる涙の粒をそっとキスで拭った。 「理人さん、泣かないで」 「……泣いてない」 「言ったでしょう。俺はこうして一緒にいられるのが嬉しいんです」 理人さんは不満げに俺を見上げてくるけれど、この言葉のどこにも嘘はない。 俺は今、本当に空も飛べそうなくらい嬉しい。 まさかこうして、理人さんと一緒に誕生日を過ごせる日がくるなんて考えたこともなかった。 もしこれが全部夢だと言われたとしてもすぐに信じてしまいそうなくらいだ。 でも、夢じゃない。 だから、嬉しい。 正直なところ、理人さんがこれほどまでに必死になってくれるなんて思っていなかった。 四人兄弟の末っ子ともなると、きちんと誕生日を祝われるのは生まれて最初の数年だけで、あとは兄弟の何かしらのイベントに合わせられるのが当たり前になっていく。 しかもこの時期、両親はいつもクリスマスと年末のことに気を取られがちだった。 さすがにこの年になると誕生日にそれほどの思い入れもなくなっているけれど、昨日の今日なのにここまで頑張ってくれる理人さんの気持ちが、たまらなく愛おしかった。 「理人さん」 「んっ……」 「今日はまだ3時間くらい残ってます」 「……」 「俺のほしいもの、覚えてますか?」 理人さんが身動ぐ。 俺は、抱きしめるに腕に力を込めた。 ーー俺、理人さんとセックスしたい。 ーー考え、とく。 「答えを、聞かせてください」

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