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4ー3:午後9時の涙 (8)
「ずっと言いたくて、でも我慢してました」
「佐藤、くん」
「俺、理人さんを抱きたい。だから……っ」
声が、震えた。
呼吸が、震えた。
腕が、震えた。
「理人さんを、俺にください」
朝からずっと、平静を装っていた。
ベッドで。
シャワーで。
ソファで。
キッチンで。
隣にいる理人さんを、押し倒してしまいたくてしょうがなかった。
理人さんが、ほしくてしょうがなかった。
俺だけのものにしたくてしょうがなかった。
理人さんは、俺の腕の中で微動だにしなかった。
額を当てて、いつものリズムを忘れたようにドクドクと逸る俺の鼓動を味わうようにじっとしていた。
髪の隙間から見える耳が真っ赤だ。
言葉なんていらない。
ただ。
微かにでも。
小さくでも。
頷いてほしい。
俺を。
受け入れてほしい。
早く。
はやく。
どうか。
不安と期待が入り混じった数秒が過ぎ、俺の耳に届いたのは。
「だ、めだ」
拒絶の言葉だった。
「あげられ、ない」
喉が一気に干上がった。
「……ごめん」
理人さんが、ゆっくりと俺の身体を押し返す。
そして、苦しそうに顔を歪めた。
その表情 には見覚えがあった。
俺に触れられるのを怖がっていた時と同じだ。
この人は、まだ過去に囚われているんだろうか。
俺が嫌いになって去っていくと思っているんだろうか。
俺のことを信じられないでいるんだろうか。
「……理人さん」
「っ」
「感じてる顔ならもう散々見てるんだし、もう気にしなくても……」
「そういうことじゃないっ」
「じゃあなんですか?」
「……挿れるだけが、セックスじゃないだろ」
「そうですね。でも俺は挿れるセックスもしたいです」
「でもっ……」
「でも?」
「でも……だって、俺はその、昔からこう、だけど」
「こうって?」
「その、男が好きで、ゲイ、だけど、お前は違った、だろ」
「だから?」
「将来、その、また女の子と付き合って、け、結婚とか、したいって思った時に、俺と、その、ヤッた、とか、そういうのはない方がいっ……」
俺は、傷付いた理人さんの右手を力いっぱい握りしめた。
理人さんの顔が苦痛に歪み、喉の奥から低いうめき声が漏れる。
「佐藤くん、い、痛い」
「本当は?」
「え……?」
「そんなの、本音じゃないでしょ」
理人さんの瞳が、小刻みに揺れた。
まるで、悪戯を叱られた子供が言い訳を探しているようだ。
胸の奥が、きゅうっと締め付けられた。
「理人さん、俺のこと嫌いなんですか」
「な、なんでそうなっ……す、好きだって何度もっ……」
「じゃあ、なんで俺と寝てくれないんですか」
「そ、れはっ……」
「なんでですか」
「だからっ……」
「言ってください」
「佐藤くっ……」
「言えよこんちくしょう!」
いったい、あなたはなにに怯えているんだ。
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